第26話 卒業5/5
引退配信の最中、マリアのもとに突如通話を申し込んできたのは、四期生の
『あっ、マリア先輩出てくれた……! みことです、大事な配信中にごめんなさいっ!』
「みこちゃん? 今って入院してるはずよね……」
『ふははっ! 病院では配信ができぬであろう。みことに頼まれ、余が病院から連れ出したのじゃよ、マリア先輩!』
『おいてめぇ、ダーク! わたくしも協力したのに自分だけの手柄みたいに言ってんじゃねェですわ!』
画面の向こうには四期生の三人が勢揃いのようだった。
「ダックちゃんにシルビアちゃんまで……一体、どうしたの?」
『マリア先輩こそどうしたんですか……卒業のこと、私たちは知りませんでした。他の先輩には相談されたんですか?』
「相談は……ごめんなさい。娘くらいの年の子に弱音なんて情けなくて……」
『お姉さま、それは誤解ですわ。相談相手を嗤うクソッタレはメタライブにいません。逆です……いつも助けてくださる方に頼ってもらえたら、嬉しいんですの』
『そのとおりじゃ。先刻、母親との両立が困難と言ったな。よしっ、では余が食事を作りに通おうではないか。デリバリーダークなのじゃ!』
「い、いいわよ、そんなのダックちゃんに迷惑だもの……!」
『なーに遠慮しとるんじゃ。皆、おぬしにはデビューから散々助けられとる。飯くらい作りに行こうぞ。……でな、余が疲れた際は、またマリア先輩の手料理が食べたいのじゃ。そうやって母子のように、どこまでも助け合えばよかろうて。辞める必要がどこにある』
『みことも、ライブではすごく助けられました。私、休みながら活動するのはメタで一番ベテランだと自負してますし、病院に融通を利かせる方法とか休みながら効率的に活動する方法とか、とにかく力になれるはずです! だから助けさせてくださいね!』
『お姉さま、炎上したわたくしを繋ぎとめてくださったのは貴女ですわ。実家がヤクザ疑惑に比べれば母親なんて立派すぎですわよ。そうでしょう、ファンジェルの皆さん? ……次は、うちでお泊りコラボですわよ!』
かつて母さんが救ったことを思い出させるためか、シルビアは〝次〟と強調して言った。
娘たちの想いを聞いて母さんは何を思っているんだろう。俯いて何も言わない。
ドンドン!
ふいにドアを叩くような音が突如スピーカーから鳴った。
『うわあっ、マネージャーだ! 逃げろ!』
ダークの情けない悲鳴に続き、四期生の慌てふためく声がわちゃわちゃと上がった。
通話先で何が起きているのかさっぱりだが、病院を抜け出したみことをマネージャーが追いかけてきたとかだろう。『ベランダから逃げますわよ!』という声まで聞こえてきた。マネージャーって大変なんだな……。
慌ただしい足音の後、遠くから四期生の声が聞こえてきた。
『……おいダーク、マイクは切ったんですのよね?』
『……はぁ? なんでおぬしの部屋なのに余が切らねばならんのじゃ』
『……てめぇが最後尾なんだから切ってから来んのがスジでしょうがァ!』
『……切り方わかんねぇのじゃ!』
『……イヒャヒャヒャヒャッwwwしちゃうよね~、切り忘れ』
台風みたいに騒がしい三人だったが、湿っぽい空気を取り去ってくれたようだ。三人の話し声に母さんはくすっと笑い、通話を終わらせた。
「あぁもう……なんで、みんなこんなに優しいかなぁ……」
母さんの心に引退への迷いが生じた――、そう俺には感じ取れた。
四期生との通話が終わると同時、スマホにメールの返信が届く。
先ほど俺はマネちゃんにメールを送っていた。今からでも天母マリアの引退を撤回することはできるんでしょうか、と。
〈翔さん。単刀直入に言いますが、それはほぼ不可能です。引退は既に社内で決定事項になっていますし、お母様のお気持ちが固い以上どうにもできません〉
まあ、そうだよな……。わかっていても聞かずにはいられなかったんだ。
ただ、本文には「追伸」とつづられていた――
〈ですが我々としても、お母様と共に歩めることこそがベストだと考えております〉
メタライブ側がそう考えているなら、母さんさえ引退を撤回すると言えば、全部が白紙に戻るんじゃないか?
まだワンチャンあるかもしれない。そう悟ったとき既に、俺は立ち上がっていた。
口を開けようとして、一瞬ためらう。やるしかないんだ。
ここで何もしなかったら推しが――俺の好きな天母マリアが、この世から消えてしまう。
「――母さん」
「しょ……、え⁉」
振り向いた母さんは唖然とした顔で瞬きを繰り返す。
今ので俺の声はマイクに拾われてしまった。もう後戻りはできない。
「ごめん母さん。少しのあいだでいい、マイク貸してくれ」
母さんは戸惑いながらも、わきに避けてマイク前のスペースを空けてくれた。
マイクと向かい合った直後、心臓の鼓動で体が勝手に震えてしまう。
横目に見るディスプレイでは凄まじい速度でコメントが更新されていく。同接は20万人近い。人生で一番大勢の前で話したときでもクラスの30人前後である俺には、現実感がない数字だった。
母さんはいつもこんな人数を相手に喋っていたのか。本当に、すごい人だ。
「はじめまして。俺、天母マリアの息子です。配信に出ちゃいけないことはわかってます……でも、どうしてもファンジェルの皆さんに言いたいこと……っていうか、お願いしたいことがあって、話してます」
コメント
:お、おう……
:息子くんが予想より大人でビビった。中学生? 高校生?
:お願いって何?
「勝手なお願いなんですけど、これからも母さんの――天母マリアのファンでいてもらえませんか⁉ 俺、マリアに卒業してほしくないんですっ!」
服の裾を引っ張られ、「ダメよそんなこと……」と母さんが困り顔で言う。
わかってる。俺は今、ものすごく勝手なことをしている。
だけど、推しが消えようとしているのをただ見守るのは耐えられないんだ。
20万人から罵られてもいい。アンチスレを立てられて馬鹿にされても、俺の声をフリー素材にして一生ネットのおもちゃにされたって構わない。
だからどうか、俺の想いを話させてくれ。
「俺は、実はずっと前からマリアのファンでした。母親だと気づかずにハマって、マリアと話したさに六千円も払って一対一トークに参加してました……ハハ」
我ながら酷い黒歴史にコメントの流れる勢いが増す。
母さん、いつもコメントを目で追いかけながら楽しく話してたのか。すごすぎる。俺には何年も練習しないとできる気がしない。
「中の人が母さんだと知って混乱したし、ファンを辞めるか悩んだ瞬間もあったけど、今日までファンを続けてきました。好きなものは好きで嫌いになれなかったんです。……俺の母さん、ベタベタくっついてくる鬱陶しい人で、いい加減に子離れしろよって感じなんですけど……周りを思いやれる優しさがあって、いつも笑顔で場を明るくしてくれるんです。本当に、天母マリアそのまんまの裏表がない、優しい母親なんです!」
きっと、そんな母さんだから天母マリアは大勢に支えられるようになったんだ。
いつも感謝していた。
いつか恩返しをしたかった。
その〝いつか〟が、今なんだろう。
「卒業を打ち明けられたとき、本当は嫌だったけど何も言えませんでした……反対したって子どものわがままとしか思われないだろうから。だけど、俺より長くファンやってる皆さんに言うことじゃないけど……! アイドルを最後に支えられるのはファンじゃないですかっ! ファンが声を上げなかったらおしまいなんです! 黙ってたらアイドルは死ぬんです! 俺は子どもだけど……っ、一人のファンとして、推しに生きてほしいっ!」
俺はマイクの前で全世界に頭を下げる――
「お願いです……っ、まだマリアのファンなら、俺と一緒に推しを支えてください‼」
頭を下げると火照った血液が顔に集中して泣きそうになった。
もし顔を上げて中傷コメントの嵐だったらどうしよう。立ち直れる気がしない。膝から崩れ落ちると思う。そうしたら滑稽すぎるな、あんなに熱弁したってのに……。
自嘲じみた笑いが喉までこみ上げてきた、そのとき。
「えっ、あ⁉ ちょ、ちょっと待って!」
と、なぜか母さんが悲鳴を上げる。目を見開いて驚いているような表情。ディスプレイを見ると、そこには俺の予想していなかった景色があった。
チャット欄が、虹色に輝いていたのだ。
「これは、スーパーチャットか……!」
スーパーチャットは投げ銭する金額によって、赤や青、緑など様々な色のコメントになる。
今、チャット欄では目にも止まらない速さで様々な色のコメントが飛び交っており、画面の端に虹が架かったかのようになっていた。
コメントの多くはお悩み相談をしたリスナーからのようだ。「緊張せず受験に望めた」「会社を無事に退職できた」「妻と仲直りできた」「つらいときに笑わせてもらった」などなど。母さんに感謝を伝えるコメントが押し寄せていた。
しかし、それだけにとどまらない。
〈ガーターベルト〉:先日、引退の相談をされた際はキミの気持ちを尊重するつもりで頷いた。だけど、わがままを言っても許されるなら、まだキミを描かせてほしい。ぼくが好きなのは、マリアくんのいるメタライブなんだ。
〈夏空ホタル〉:あなたは大事な人の推しなんです! お願いだから辞めないで! 母親でもあたしは応援します……‼
業界の第一線で活躍する有名クリエイターや個人勢など、数えきれないほどの人から引退を説得するコメントが届いている。
ふいにPCがメッセージを受信。
母さんが開いてみるとマネちゃんからのメッセージで、こう書かれていた。
〈続投OK……と、社長の言質とりました! また一緒に仕事頑張りませんか⁉〉
母さんは口元を押さえ、涙を浮かべて震えている。
「わ、私……っ、お母さんなのに、まだアイドルでいても……いいのかなぁ……っ」
「みんながそう言ってくれてるんだからいいんだよ。それにさ、現実の自分に縛られないのがVTuberのいいところでもあるだろ?」
「……うん……うん……っ」
かくして、母さんは卒業を撤回するとリスナーに謝った。
病気のこともあるため今後の配信をどうしていくかはまだ決まっていない。改めて運営と話し合い、決まり次第SNSで告知するとだけ説明した。
とにもかくにも――
今日の配信は、これにて終了だ。
「みんな……お騒がせして本当にごめんなさいっ! 私、今度は無理しないようにアイドルと母親を両立していこうと思います! ……いつの間にか大人になってた息子を頼ってね」
言いながら、母さんが俺に微笑みかける。
気恥ずかしいが俺も笑い返していた。
「それでは今日はこれで終わります。ありがとうございました! 乙マリ~……っ」
締めの挨拶を口にした途端、最後の最後で母さんは泣き出してしまった。しかし嬉し泣きであることは晴れやかな顔を見ればすぐにわかる。
母さんは涙を拭いつつ、手慣れたようにPCモニターをろくに見ず配信画面を閉じた。
「翔ちゃん」
と、俺の存在を確かめるように呼び、母さんは――
「中の人がお母さんでも推してくれる?」
どこか不安げに尋ねる母さん。申し訳ないが、この世で最も下らない問いだと思った。
俺は自信をもって自慢げに答える。
「当たり前だろ。俺はさ、推しを嫌いになったことは一度もないんだ」
身を預けるようにして母さんは抱き着いてきた。その自分よりも小さな体を、俺はものすごく久しぶりに自分からも抱きしめる。
配信が終わり、暑苦しい防音個室にこもる理由も消えた。「そろそろ出るか」「今夜はウナギねっ」「あー、丑の日か」などと話していると、母さんのスマホに着信が入る。配信直後というタイミングからしてメタライブの人だろう。
「もしもし、マネちゃん?」
と、マネちゃんからの電話だった。
「今回はご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。お騒がせしました。今度会ったときにちゃんと謝らせてね。…………えっ、配信? エンディング流して切ったけど……――ひぇっ⁉ うそでしょお⁉」
母さんは電話を切るなり大慌てで仕事机に飛びつくと、消していたPCモニターを点けた。
おいおいこれってまさか……。
「あっ……マリアですぅ。今度こそ配信終わりま~す。乙マリ~」
再び天母マリアの声でマイクに向かって話す母さん。
PCをシャットダウンし振り向いた母さんの顔は、過去にないほど引きつっていた。
「人生初の配信切り忘れ、しちゃった……あはは」
「……母さん、さっき思いっきり俺の名前呼んだよな。〝翔ちゃん〟って」
「やっちゃったよぉぉぉお‼ ごめええぇぇえんっ‼」
「わかったわかった。今更名前バレくらい気にしないし大丈夫だから泣くなって」
「うわああああああぁぁぁん‼ お母さんバカだあああ‼ 翔ちゃんごめんねぇぇ……ごめんねえええぇぇえっ‼」
――こんな母さんである。
アイドルとしても母親としても完璧じゃないし、これから何度も衝突することになるんだと思う。
たとえそうだとしても。一秒でも長く、この人を支えていければいい。
他の誰よりも傍にいるファンとして俺はそう思った。
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