第52話 お久しぶりですわ、チクロさま
出発してから40日が経ちました。
お空の旅は快適で、山脈をひとつ、火山をひとつ、巨大な大河を2つ、砂漠をひとつ越え、懐かしい王都に到着いたしました。
朝のひんやりとした空気の中、霧に包まれた王都は出発前となんの変りもなく、静寂に包まれております。
よく通ったお店も、お祭りで通った教会の高い尖塔も、丘の上にある威厳ある王城のおすがたも、なにひとつ変わっておりません。
裏切られた都市ですのに、ひさしぶりに参りますと感慨深いですわ。
「ウェインライトさまご苦労さま。あなた様のおかげで無事にたどり着けましたわ」
「はい……生きていてよかったです……」
「おもしろかったね!」
「もう、いやです……」
ここに来るまでにいろいろありましたわ。
竜巻に巻き込まれて灰黒狐が鞍から地面に落下したり、野営中にお出かけした妖精が
トゲトゲしい鱗をした、黒い蛇に似た塔のように高い身体が、いくつも山肌から突き出して、飛行中のわたくしたちにむけて礫を放ってきましたの。
邪魔でしたので広域魔法を撃ちこみましたら首がたくさんもげ、おそらく山中にいた胴体が保持力を失って山塊の一部が崩落、ふもとにあった
「それではわたくしはひとまずお屋敷の様子ご確認してまいります。王都で動物を連れていては目立ちますので、ウェインライトさまは灰黒狐を連れて郊外でお待ちください。そうですわね……ただお待ちになるのも退屈でしょうし、ゆったりと過ごせる場所をご紹介しますわ」
「そんな場合ではなくありませんか?」
「……そうおっしゃらずに、わたくしが所用を済ませるあいだはお待ちください。あなたさまに御頼りして、いつでも逃げ出せると考えるからこそ、英気を養っていただきたいのです」
「わかりました」
納得してくださいましたわ。
「南門からでて道なりに進み、監視塔のある分かれ道を丘の方向に曲がりますと、白い岩がたくさん突き出した丘陵地にたどりつきます。そこには魔導士さまがお住みになっている魔術洞窟がありますので、お金さえ払えば不思議なお飲み物をいただけますの。少々お値段ははりますが、幻覚が見えたり空に浮かんでいる気持ちになったり、とにかく効きます」
「それは身体に悪くないですか?」
「ただのお薬ですわ。悪かったらとうに摘発されてますの」
「でしたら安心ですね」
「もちろんですわ」
ウェインライトさまにお金をお渡しして、灰黒狐を預け、わたくしは妖精と王都に侵入しました。
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「ごきげんよう」
「うううん……誰だ。まだ起きる時間じゃない」
「チクロさまごきげんよう。お元気に過ごされまして?」
「おい、何を言って──アテンノルン! ……さま!?」
チクロさまがベッドの上で跳ね起きました。シーツをつかんでお身体を隠し、わたくしを見ます。
「覚えていてくださって光栄ですわ」
「死んだはずじゃ! なんで、どうして……焼け死んだって聞いたのに!」
「わたくしアンデッドではありません。一時的に転進して、こうしてまたお会いできる機会をうかがっていましたの。あなたさまももう一度会えてうれしいでしょう」
「えっ……うん!」
あら? 素直でおかわいいお返事をなさいました。
「意外ですわ。チクロさまならもっとうろたえると存じました」
「ふん……あの時と今は違う。今の私ははるかに強い! お父様のかわりにおまえを地獄に送る!」
「……それでこそチクロさまですわ。そうでなくては戻ってきたかいがありませんの」
ベッドのそばにある武器棚にチクロさまが飛びました。
剣をつかんで抜き放ちます。薄暗いお部屋のなかで、すらりと抜き放たれた刀身が鈍く輝きます。
切れ味のよさを想像せずにはいられません。
「いくぞ。獣殺剣──」
宣言とともに、チクロさまのお身体が3人にぶれました。
幻影──いえ確実に実態が存在しております。
白いネグリジェが目くらましにようにたなびき、いっそう視界を不確かなものにブレさせます。
「獅子分断斬!」
分身が同時に斬りかかってきました。
わたくしの足首を狙った横なぎ、胴払い、そして一瞬遅れての唐竹割り。
どの攻撃を避けようとしても、残りの斬撃が身体を傷つけます。
一対多の状況をおひとりで作り出す見事な技です。
わたくしの身体が3つに別れました。首が飛び、胴体が腰から別れ、脚首から下が絨毯の上に残りました。
「──ッ卑怯者め!」
分身が消えおひとりになられたチクロさまは、すぐさま剣を構えなおしました。
「よくお気づきになりましたの」
「手ごたえがヒトじゃない」
窓のそばにひそんでいたわたくしは、2本の短剣のやいばをかるく当ててリズムを取りつつ姿を現しました。
そのぶん複雑な動きはできなくなりましたが、代わりに斬られるデコイとしては十分です。
「ご存じないでしょうがわたくし精霊使いになりましたの。剣でお付き合いできなくて申し訳ありませんわ」
「卑怯者は何をやっても卑怯者よ。いますぐ斬って殺してあげる」
「そうはやらないでくださいませ。チクロさまのお父さまにご挨拶したお話を聞きたくありませんこと?」
「なんだと! お父様に何をした!」
「こうですわ。
闇の蛇がチクロさまを追跡し、斬られてなお形状を保ったまま追いすがり、一匹が頭を斬られ、もう一匹が両断され、最後のあたまが足元からチクロさまに絡みつき、太ももから股をとおり、お腹を取り巻き、首に巻き付きました。
「ぐうっ!」
剣がゴトッと音を立てて絨毯に堕ちました。
暗黒の蛇は煮えたぎる闇のロープとなって締め上げております。
悔しそうなお顔ですわ。
「あ、クッ、ぐあぁぁぁ……! まだ、不意打ちがっ……! ひ、ぎょう、もっ……」
良いご恰好になられましたの。
指を上に少々動かし、蛇を天井に向かわせます。
チクロさまは磔刑にかけられる囚人のように吊り下げられました。
お苦しいのか、あっという間に涙目になられました。
よくお似合いです。
「く、はっ……」
「ご質問にお答えしますわ。わたくしはチクロさまのお父さま、アルバレビ男爵さまのお屋敷を尋ねましたの。さすが冒険者から貴族になりあがられた武門の家系ですわね。使用人さまをことごとく気絶させてお部屋にお邪魔しましたら、剣を持ってお応えくださいましたの。わたくし心臓を貫かれるところでしたわ」
「ぐうう……
「つれないお返事ですこと。ご伴侶と子供たちを人質に取っていると申し上げましたら、男爵さま剣を置かれましたわ。わたくしの連れ合いの妖精は容赦がありません。一番末の男の子が風のハンマーを腕に落とされて悲鳴を上げたとき、男爵さまはすべてお話してくださいました」
「うぅぅ、ごめん……許じで……」
「わたくしは疑問に思っておりました。たかが娘が決闘にまけて侮辱された程度で、王都に軍を持ち込み、貴族の館を攻めるなんて妙ですわ。男爵さまがお教えくださいましたが、国王陛下の命で軍を動かすようそそのかされていましたの。さらに元をただせば、わたくしのお父さまが王妃さまと密通していたのが事の起こりでしたわ。わたくし失礼ですが笑ってしまいました。愚かなお父さまは死んで当然ですわ」
「……」
「ですが、わたくしまで巻き込んだのは許せません。さらにおばあちゃままで手にかけました。男爵さまは製造責任だとおっしゃいましたが、それであるならば最後の一線を踏み越えさせた、チクロさまのご敗北の責任は男爵さまが取られるべきですわ。
王家をないがしろにする逆賊に、娘が敗北した事実が絶対に許せなかったとおっしゃいました。その結果がこれですの」
「ぐぎぎぎッ」
「ご心配なく。ほかのご家族はご無事ですわ。男爵さまは残念ながらお隠れになっていただきましたが、男の子も生きております。あのかたが成長して家をお継ぎになり、そして他の貴族に嫁いだ姉さまたちと戦ってくだされば良いですわね」
お話が終わったとき闇の拘束が外れました。チクロさまはくたりと絨毯に手をつき、精神攻撃の余波を味わっておいでです。
「許ざない!」
剣をお取りになりました。
ふらふらと立ち上がって、切っ先をわたくしに向けます。
「絶光剣・光鋸両断──」
「
「あぁぁ……」
チクロさまの技は完成しませんでした。
深淵に流れる闇の精霊さまの凝視が、抵抗に失敗した相手を
お顔から表情が失われ、意思が失われました。
知識に乏しく興味で動く幼子の無垢なお顔です。
「さあ、剣をお持ちください」
「うん……」
優しいお姉さまを演じて、チクロさまに剣を持たせます。
きょとんとした瞳でわたくしを見つめ、何の疑いも持たずに、剣を構えます。
「さあチクロさま、これからあなたの敵が襲ってきますわ。この剣で悪い人をすべて斬ってしまいなさい」
「うん……きる……」
最後の仕上げに
チクロさまは幻惑に捕らわれて剣をあらぬ方向に構えました。
「ああああ! なに!? こわい!」
「あなたに近寄ってくる相手は全員敵ですわ。それではごきげんよう」
廊下に出たわたくしは息を吸い込みました。
「くせものがチクロさまのお部屋に侵入いたしましたわ! 誰か! 誰かお助けください!」
そう言い残して窓を開けて外に出ました。
最後まで見物できなくて残念ですが、お屋敷から離れるときに背中から悲鳴とガラスの割れる音が聞こえましたの。
たくさん楽しんでくださいませ。
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