第35話 パーティ内で殺し合いはおやめください
森の街道は西へ西へと途切れずに続いております。
ときおり木に登って周囲を確認しましたが、北に見える冠雪した山塊はいつみても変わらず、西と南は高い木が連なって視界を防いでおりました。
妖精の言う蛮族の都市のそれらしい手掛かりは見つかりません。
もこもことした緑のじゅうたんと、青い山々と、生き物の鳴き声だけが、周囲には存在しておりました。
出発して4日めに天気が崩れましたので、わたくしたちは雨を避けるために、半壊した石柱にテントを張って休憩しました。
古い街道にはところどころに人が住んでいた痕跡があります。
その全てが廃墟で、壁は崩れ、柱は倒れて砕けておりました。
根で覆われて形が保持されている建物もありましたが、別の植物が入り口から茂っており、明らかに食欲を持った触手が小動物を捕まえておりましたので、内部の調査はやめました。
わたくしは文明の衰退を見せつけられた気がして、時間の無慈悲さに考え込んでしまいました。
いずれわたくしも何も残らずに消えてしまいます。それが早いか遅いかの違いですわ。
立ち止まると内省的になっていけませんわ。
たき火でお茶を沸かします。
フライパンはお鍋にも使えて便利ですわ。
沸騰したお水に、真四角のお茶の結晶を入れて溶かします。良い香りが漂ってきました。
これは街のそばにある白雪草の畑から取れた葉を、細かく砕いて煮詰めたあと、天日で乾燥させて固めた、携帯用のハーブティーブロックです。
お酒を飲み過ぎだと叱られたので、代替品として使っております。
このお茶は疲労回復と覚醒効果があるそうですが、生産に手間がかかるので、希釈品でも10回分で金貨1枚ですわ。
借金で生活しているわたくしたちには、ぜいたく品に感じられますが、快適に冒険するためには食品や道具の補助が必要です。
充分にあったまったお茶をカップに半分注いで、もう半分をお酒で埋めれば完成です。みなさまに回します。
「できましたわ」
「ありがとうですぅ」
「あなたたちもお飲みなさい」
「くゃん」
「……!」
灰黒狐には深いお皿に入れ、妖精には木のスプーンにお茶をすくいました。
椅子変わりの木の根に腰かけ、お茶をいただきます。熱い液体が喉をとおり、胃がポッと暖かくなりました。
「ふぅ……」
「あったまるですぅ」
フードをかぶって進んでもよかったのですが、低い温度のなかで行動すると、身体が冷えてしまいます。
もし雨が強くなり、風が吹きすさぶ中で動きますと倒れてしまいますわ。
天気が回復するまで休憩いたしましょう。
「……」
妖精が黙っていると静かでいいですわ。落ち着いた雰囲気です。
今の妖精は大けがをして、言葉を話せなくなりました。メルクルディさまがおっしゃるには、折れた骨が喉を傷つけて、一時的に喋れなくなったのだとか。
癒しの力を持ったメルクルディさまの見立ては信頼できますが、傷つけたのもメルクルディさまですので、一概に良し悪しは判断できませんわね。
妖精はスプーンをかかえると、ふよふよと飛んでわたくしの左肩に腰かけました。定位置になりつつあります。
「こぼさないでくださいませ」
「……」
視界の端で妖精が頷きました。
ニンゲンだったらとっくに死んでいる大けがをしましたのに、さすが異種族は丈夫ですわ。
身体と同じくらいの大きさのメイスで殴られたら、わたくしならばバラバラに砕け散ってしまいます。
丈夫さも当然ですが、おおきなお体の相手を煽る胆力にも感心しました。
事の発端は昨日のお昼です。
わたくしの唇から魔力を飲んでいた妖精が、飲み終わった後にメルクルディさまとお話をしにゆきました。
メルクルディさまとはあまり仲がよくないと存じておりましたが、旅を通じて親交を深める気になったのかと考えておりました。
「ねえ、じろじろと見てるけど、あなたもわけてほしいの?」
「話しかけないでほしいですぅ」
「じゃあどうしてわたしを見てたの?」
「見てないですぅ」
「うそばっかり! 昼のあなたがわたしを、すっごくうらやましそうに見てたもん。ねえ、ぜーんぶ知ってるんだから。あなたはうらやましいんでしょ? あなたも魔力飲みたいんでしょ? ねえねえ、うらやましいの?」
「おまえが悪さをしないか、監視してただけですぅ。勘違いにもほどがありますぅ」
「あははははは! うそばっかり! しっとニンゲンのくせに、ごまかしてばっかり! あなたも魔力をもらいたいんでしょ! でもだーめ。あのニンゲンはわたしのだもん。あなたはもらえませーん。プクククク」
「はー? ぜっ、ぜんぜん、はー? はああ? ぜんっぜん羨ましくなんてないですぅ!」
「しってるー? このニンゲンの魔力って、とってもおいしいんだよ。心のそこからあたためてくれるの。おおきな愛がわたしを満たしてくれるの。なんにも知らないでしょ!」
「……はあぁ?」
「だってわたしのニンゲンだもん。あなたはずーっと見ているだけ! うらやましそうに見てるだけ! あはははは! おもしろーい!」
「私のほうが長く一緒にいるですぅ! おまえが知らないことも、私は知っているですぅ」
「えー、長くいるのに、昼も夜も魔力をもらえないの?」
そこからしばらく妖精の自慢らしき言葉が続いたのですが、最初は2、3言の返事をしていたメルクルディさまも、途中からお話に付き合わず、一方的に話を聞いていらっしゃいました。
そのうちメルクルディさまの目が座り、剣呑な雰囲気が漂いました。
わたくしはおふたりが解決すればよい事柄だと放置していたのですが、それは間違いでした。
「それ以上はしゃべらないでください……どうなっても知らないですぅ」
「かわいそー、かわいそー。何もできないのに、かわいそー」
単純な言葉の連呼はメルクルディさまの勝利と存じます。
レッテル貼りなど無視しておわりですもの。
「プクククク。かーわーいーそオッ!? ──いぎゃ!」
「メルクルディさま!?」
「やめろって、言ったですぅ」
妖精が吹き飛びました。
樹木の幹にぶつかって、ぺらりとはがれて地面に落ちました。
羽らしき透明の膜片が、きらきらと砕けて舞い散りました。
メルクルディさまは振りぬいたメイスをもって、冷たい目を地面に投げつけ、そのあとわたくしをみて、無理やり微笑みをお浮かべになりました。
「ちょっとだけ、やりすぎましたぁ」
低いお声ですわ! 低いお声ですわ!
わたくしの驚きが伝わったのか、メルクルディさまは申し訳なさげに眉を下げ、はやくも後悔なさっておいでですが、いまだにメイスを握ったままです。
うかつな発言をすると、金属塊が頭に飛んできそうで恐ろしいですわ! ですが、仲間の無法をそのままにはしておけません。
わたくしは木の根元でボロクズになった妖精を拾い上げました。手足はまっすぐなままで、折れ曲がったり、骨がはみ出したりはしておりません。
首の骨も無事。予想に反して外傷がありません。ふわふわとした感触の服も無事です。ただ背中の羽だけが四散してなくなっておりました。
「……」
胸が上下して、呼吸もしております。さすが人外だけあって、丈夫ですわ。
人間ならば破裂しても不思議ではない殴打でしたが、五体満足で生きております。すこしだけ、ほっとしました
「メルクルディさま、いくら妖精が相手でも、過剰な暴力はよくありませんわ」
「……そうなるまえに、どうして止めてくれなかったのですかぁ?」
「どうしてって、たかが妖精の戯言なんて、赤ん坊の鳴き声と同じですの。メルクルディさまがここまでお怒りになるなんて、存じませんでしたわ」
「私はその妖精がとても気に入らないですぅ。……我慢できないですぅ」
わずかに言いよどんだ言葉と言葉のあいだに、メルクルディさまがおっしゃらなかった鬱憤が込められているようですわ。
殺意があふれるほどの理由はいったい何なのでしょうか。
「理由をお聞かせ願えまして?」
「……」
「わたくしに解決できるかもしれませんの。どうか、お話になってください」
「もしかして私が悪いのですかぁ? アテンノルンさまはどっちだと思いますぅ?」
どちらが悪いかなどと言いはじめたら、納得のゆく答えがでるまで話し合うしかありません。
その和解するまでの長大な時間を考えますと、わたくしのなかで即断が頭をもたげました。
「分かりましたわ。仕方ありません。では妖精はそのあたりのキノコの上にでも、置き去りにいたしましょう」
「えっ……いいのですぅ?」
「ええ。わたくしは妖精が嫌いではありませんが、パーティの不和の種になるのでしたら、森に返すのが一番ですわ」
「ううう、アテンノルンさま連れていきたいなら、どうぞ連れて行ってほしいですぅ。次は喧嘩もしないし、絶対に我慢するしますぅ」
「まあ」
わたくしと似た急な方針転換ですわ。似た者同士があつまるとの言説は本当かもしれません。
「そのかわり……そのぅ……が、我慢する魔法に手を貸してほしいですぅ!」
「ええ、もちろんですわ。そのような魔法がありますの?」
「はいですぅ! でも、ちょっとだけ痛いかもしれません。アテンノルンさまからすこしだけ血をもらわないといけませんからぁ。もちろん! すぐに魔法で傷を癒しますぅ。傷も残らないですぅ。人差し指と中指のあいだに儀礼針を刺して、血の戒めの魔法の触媒にして、それでおわりですぅ」
「わたくしには難しくてわかりかねます」
「毎日じゃないですぅ。完全新月までに一度だけ一回だけしてくれればいいですぅ。それだったら生意気な妖精とも絶対に仲良くできますぅ。暗黒神フィリーエリさまに誓って本当ですぅ」
たいそう力説なさいますわ。
魔法と言うよりもタブーの制約に近いと存じますが、わたくしの血を媒体にする必要性が理解できません。
痛いのは嫌ですわ。
「どうしても血が必要でして?」
「そ、それは……術者が一番あぃ──信頼している相手の、痛みの責任を背負う魔法だからですぅ。信頼している相手を裏切ったら、私が傷つけた苦しみを何倍にもして受ける魔法ですぅ」
「それは我慢できる痛みですの?」
「愛があれば、神さまへの愛があれば耐えられますぅ。それに、裏切らなければ、平気ですぅ!」
「わかりました。わたくしが妖精を引きいれましたもの。小さな痛みで不和が消えるならば、お手伝いさせていただきます」
「ありがとうですぅ!」
指にあいだに針が刺さる瞬間、チクリと痛みが走りました。
自分でやるには勇気の必要な痛みですが、他人にしていただくのなら耐えられる程度です。
暗黒の針が刺さるとき、メルクルディさまはわたくしのお顔をじっと見つめていらっしゃいました。
針がうずもれてゆく感触に、眉をひそめますと、焦っていらっしゃいました。
「もうすぐおわりですぅ。我慢できない痛みですかぁ?」
「いえ、最初が痛かっただけですわ」
「よかったですぅ……入れられているあいだは痛くないですぅ? 少しだけ、動かしたいですぅ」
「どうぞ」
「わ、わかりましたぁ」
メルクルディさまは針を少し振動させた後、引き抜かました。
すぐさま癒しの魔法をかけてくださいました。あっというまに体の中にあった痛みの根が解きほぐされ、刺創も消えて見えなくなりました。
メルクルディさまは真っ白な高級布で、針を包みます。赤い血がにじみました。
メルクルディさまは何かの呪文をつぶやいて、その包みを今度は黒い布でさらにつつんで、カバンにしまわれました。
「もうよろしくて?」
「ありがとうですぅ。これで終わりですぅ。妖精にも癒しの魔法をかけておきますぅ」
「メルクルディさまがお優しくなるなんて、さっそく効果がありましたのね」
「嫌悪感が消えましたぁ」
心に影響がある魔法は恐ろしいですわ。自分とは何か考えてしまいます。
癒しの魔法をかけらえた妖精は、ほんのわずかに透明な羽が伸びました。ぱっちりと目を開き、わたくしとメルクルディさまを見上げ、ぱくぱくと口を開きます。
「治ってよかったですわ」
「……」
「まだ完全に回復してないですぅ」
「……!」
こうして妖精は、喉が治るまで喋れなくなったのです。
ライゼさまといい、肉体的な痛みに連動して、言葉を失われるかたが多いですわ。
お話し合いが終わると、雨が上がるまでのあいだ、自然と無言になりました。
灰黒狐は目を閉じて丸まり、妖精は背中の上で毛をいじっております。
メルクルディさまは目を閉じて瞑想しておいでです。
宗教のシンボルを両手で握りしめ、彫像のように動きません。
深い祈りで魂が空に去ってしまい、重い肉体だけが残されているようです。
この状態になったメルクルディさまは、少しの刺激では反応したしません。
たとえば、このように頬に触れても無反応ですし、顎をもちあげてもわたくしを見もしません。
深い睡眠に匹敵する隙だらけの状態です。
仲間のわたくしを頼ってくださるからこそ、深い祈祷に入られているのかもしれません。
刑場でみた少年少女たちも、刑がはじまるまではこのような夢うつつに捕らわれた様子でした。
祈りをささげて催眠状態に陥る行為こそが、フィリーエリ教徒の信仰の形ですわ。
年上のかたの無防備に付け込みたくはありませんが、日々の感謝を込めて手と手を重ねました。
強力なメイスを振るわれる手は、それでもすべすべとなめらかでした。
これからも仲良くしてくださいませ。
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しとしとと雨が降り続いております。
森全体を雨雲が多い、重い色の雲から、とめどなく細い雨がしたたり落ちます。
たき火の暖かさを、一層感じます。
テントから見える街道のあちらこちらに、半透明の水の柱ができはじめました。
腕くらいの太さで、高さは30センチほど。空中に浮かんで、雨水を受けてうねっております。
精霊さまの偉大なお力のかけら、
水辺で稀に見かける精霊力ですが、このように密集しているのはめずらしいですの。
せっかくですし、何か捧げものをできればよいのですが……あいにく高価なものや、貴重な品物は、何も持っておりません。
手ごろないけにえも見つかりませんし、メルクルディさまのように、祈りだけをささげさせていただきます。
「……」
そうですわ。捧げものがあります。
メルクルディさまは血と痛みを望みました。
妖精はわたくしの中に流れる魔力をほしがりました。
どちらも身体のなかを循環している存在だと仮定しますと、その両方が含まれている可能性のある血を捧げれば、敬意を表す行為になるかもしれません。
肉体は、貧しいかたの最後の担保とも言われておりますし、
わたくしは短剣を取り出して、指先を突きました。一瞬の痛みの後、血が滲みます。
腕をまっすぐを雨の中に伸ばし、指を天に向け、雨粒があたるにまかせます。
天と地のあいだで潤いを与えてくださる精霊さま、どうぞ旅をお見守りください。
(いつでも死ぬるがよい。眷属につくりかえてやろうぞ)
また幻聴ですわ。
頭が働いておりません。血はともかく、少々たき火のそばに寄りましょう。
雨に差し出した左腕だけが冷たいですわ。
雨粒が指をしたたり、わたくしのほど近くで発生した
精霊さまのお力の片鱗は、わたくしの血を受け取ってくださりました。
ぽたぽたとこぼれる赤を飲み干し、やがてピンク色の水柱が形を変えて、球状にまとまりました。
うねうねと蠢いた後、1メートルほどの少女の形になりました。
屋敷で見た『水の乙女と勇者の出会い』の絵画を思い出します。半透明のヒトガタをした少女が、川の近くで力尽きた勇者に、優しく手を差して水中に引きずり込む場面です。
その不定形の少女は、妖精のように指先に口を付け、とりこみ、くすぐったく傷口を愛撫します。
力が抜けてゆく感覚がいたします。
このまま目を閉じてしまいたいような……
心地よい肌寒さにすべてをゆだねてしまいたいような……。
「……」
にわかに天気が変わりました。
雷雲が巻き起こり、お空の上でピカピカと稲妻が走りました。
遅れて聞こえてきた空気がねじ曲がるような轟音のあと、急速に雨があがり、雲間から太陽の光が差し込みました。
さらさとした小雨にかわり、やがてそれも枯れて空の上に戻ります。
指にまとわりつくエレメンタルの少女は、雨上がりとともに消滅しました。
「……ん!」
眩しいです。光が目を貫いておりますわ。
なんですの? 指の隙間から薄眼を開けてみて見ますと、水たまりに太陽光が反射して、わたくしのお顔を照らしておりました。
身体を動かして避けても、角度を変えて追尾してきます。
そんなことってありますの!?
「ぐるるる」
膝の上の移動した灰黒狐が、わたくしを見上げて不満そうにうなりました。
前足でしきりに膝を叩き、装甲されていない太ももを軽くかんできました。
「おやめなさい。大人しくしていなさい」
「アテンノルンさま、ちょっと顔色が悪いですよぉ。どこか痛いですぅ?」
「いえ。わたくしも精霊さまにお祈りしていただけですの。大事ありません」
「よかったですぅ──祈りのなかで第一使途さまが警告したですぅ。横取りに注意しろ、って言ってましたぁ」
「まあ。村が何者かに狙われているのでしょうか?」
「私個人に向けた警告だから、村は関係ないですぅ」
「そうですのね。ではスリなどに注意いたしましょう」
「はいですぅ」
たき火の後始末をして出発いたしました。
過剰なまでに強烈な日光で、あっというまに乾いた街道は、進みやすかったですの。
それにしても不安定な天気ですわ。
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