第4話 After many bloody battleですわ
「がうっ!」
灰黒狐が側壁を走って、横合いから飛び掛かりました。
先頭のコボルドの首筋に噛みついて、身体を振っております。他の2匹が刃を振り下ろすと、すぐに牙を離して身体をひねり、俊敏に地面を疾走しました。
これは好機です。わたくしも接近戦で混ざれば生き残る確率があがります。
灰黒狐に気を取られている今こそゆくときです。
「やあっ!」
剣術の先生の掛け声を真似して、灰黒狐に夢中なコボルドの楯をつかんで引き寄せました。
体勢を崩したコボルドが、無防備に首筋をさらしておりますわ。力いっぱい短剣で突きました。刃が到達するまでの時間が妙に引き延ばされて感じます。
刺さらなかったらどうしましょう。
もし刺さったら次にどんな動きをすればいいのかしら?
毛皮は刃をはじきますの?
皮膚まで通りますの?
ごく短時間に不安と予測が頭の中を駆け巡ります。
柔らかな手ごたえですの。
刃が毛皮をかき分けて皮膚を貫きました。
「ギャッ!」
刃を押し込みます。
動かした瞬間、コボルドの身体から力が抜けました。手ごたえが変わるのは皮膚の内側にある脂肪を切り裂き、骨を削り、筋肉と血管をたち切っているからですわ。
持ち手のぎりぎりまで刃が埋もれました。
コボルドの全身を覆った毛皮はみためほど防御力はありませんの。
脆弱な手ごたえですわ。
そのまま前後にひねりますと、わずかな抵抗を切り裂いて、うなじのあたりから切っ先が飛び出しました。
左半分を切断されたコボルドの首が、赤い糸を引いて残ったもう片方に傾きました。
「ゴボ」
水に溺れたかたが発するような粘度の高いお声が断末魔でしたの。わずかに残った生命への未練をお声に残して、コボルドが倒れてゆきました。
やりましたわ──叩き殺して差し上げましたわ! このわたくしに戦いを挑むからこのような──ひぃ!
振り下ろされた剣を探検で受けました。
達成感を覚えた一瞬後には、別の一匹に斬りつけられましたの。短剣で受け止めましたが衝撃がつよく、わたくしの腕に切っ先が入りました。
熱くて痛いですわ!
「このっ! お死になさいませ!」
怒りに任せて体当たりですわ!
小柄なコボルドが吹き飛んで、壁に衝突しました。そのまま押さえこみます。もがいておりますがもう遅いですわ。大して狙わずにめった刺しですの!
刺すたびに力が抜けてゆくコボルドのお身体に、そろそろとどめを差し上げようと突き出した刃が、頭部の側面についた耳の中に入ってしまいました。
硬い手ごたえを貫通しました。コボルドはビクリと痙攣して動かなくなりました。
さらにねじると耳と目からどろりとした血を流して、完全に抵抗しなくなりました。
身体が痙攣しております。
生命の消える不気味な手ごたえです。
目を見ますとわずかに涙が浮かんでおりました。亜人の分際で、涙を流す機能がそなわっているなんて生意気ですわ。
「わたくしの勝ちですわ!」
勝利宣言気持ちいいですわ~! 残りの一匹も始末して差し上げます!
「くぅうぅうぅ……」
灰黒狐が情けないお声をあげておりました。
最後の一匹は灰黒狐を壁に追いつめて、なんと勝利を収めつつありました。
さきほどわたくしがしたように、コボルドは楯で灰黒狐の身体を壁に押し付けて、動きを封じておりました。
そのまま喉をのけぞらせて剣を当て、フィニッシュムーブに移ろうとしております。
一対一ならば勝ちでしたのに残念ですわね。腕をつかみねじりあげます。華奢な腕から剣が落ちました。
そのまま喉に短剣を当てて、ノコギリのように刃を何度も引きました。赤い傷口がぱっくりとひらき、血の飛沫が飛び散り、半分を超えたあたりで身体の力が抜けました。
「ゴゲゲ」
よく切れる短剣ですわ。あまりに斬れるので楽しくなってしまいます。切れ味を確かめるために、頭をつかんで骨まで切ってしまいました。
わずかに硬い程度でしたわ。
首とお別れしたコボルドの胴体が力なく倒れました。
「くあぅぅ……」
灰黒狐は楯と壁の隙間から抜け出しますと、身体を震わせております。負けてプライドが傷ついたとでも言いたげな仕草でうつむいております。
「想像よりも簡単に倒せましたが、スマートとは言えませんわ……お互い成長が必要ですわね」
「ひゃうぅ」
もっと落ち着いて倒せるようになりたいですわ。
短剣の血糊をコボルドの毛皮でぬぐっておりますと、コボルドの身体が溶けて床に吸い込まれてゆきました。
ダンジョン特有の肉体溶解現象ですわ。
ここはどこかの地下迷宮でしたのね。なぜこのような場所に転移魔方陣の行き先をつくったのでしょう。ご不便だと存じますが、何をお考えなのかしら。
わたくしはクロスボウを拾って、新しくボルトをつがえました。今度は一撃を加えたらすぐに置いて短剣に変えましょう。
落ち着いて狙えば、安全な距離から攻撃して敵を1体減らせますし、学びが多いですわ。
灰黒狐が鼻を鳴らして前足で何かをつついております。
石畳の上に小指ほどの大きさの犬歯が3本転がっておりました。コボルドの遺したドロップ品ですわ。おぞましい魔物の一部ですがお金になるかもしれませんので、拾っておきましょう。
「さあ、進みますわよ。どこかに出口があるはずですわ」
コボルドがやってきた通路に向かって進み始めました。念のため再び歩数を数えます。今度は間違えないように、出発地点の壁にナイフで傷を付けました。
これで安心ですわ。
140歩で右に折れました。顔を出して通路の先をのぞき込んでみますと、同じような見た目の石造通路が続いております。魔物の姿は見えません。
わたくしと灰黒狐の足音だけが響きます。
白色たいまつによって明暗がくっきり分かれた空間は、木漏れ日の林道を歩いている気分で楽しいのですが、魔物が住んでいなければもっと素敵な心持になれましたのに。
「くぅ……」
なんですの? 急に止まらないでくださいませ。
灰黒狐が足元にまとわりついて通せんぼしております。さかんに上を見上げておりますが、なにかあるのかしら?
天井に紫色をしたまるい塊が引っ付いております。
あれはスライムですわ。通りかかった獲物に覆いかぶさって、窒息死させてから溶かして食べる魔物ですの。
あれを警告していましたのね。
「利発ですこと。ほめて差し上げます」
「くぅん」
スライムプールに亜人を投げ込む遊びをお考えになったのは、何代前の国王だったかしら?
溶けてゆくさまを観察する嗜好があるなんて、わたくし存じませんでしたわ。
球体の中心に狙いを定めます。
矢じりの先が揺れて定まりませんが、息を止めると身体の揺れが止まりました。息を吸って、止めて、引き金を絞ります。
風切り音がして矢がスライムの中心に吸い込まれました。
命中ですわ!
半透明な体に波紋が広がり、柔らかい紫色のゼリーがふるふると揺れて、天井から落ちてきました。形状を維持できずに放射状に広がって消えてゆきます。
あとには透明な薄紫色をした、四角い立方体が残りました。
「ふふふ……よい一撃でしたの」
適切に使えば
ドロップ品を回収して進みます。
通路を右に折れ、そのまま突き当りまで進みました。
途中、2匹で連れだったコボルドに出会いましたが、一度勝った相手ですのでもう怖くはありませんでしたの。始めから弓を置いて短剣で襲い掛かりました。
灰黒狐も戦い方を学んだのか、コボルドの背中に取りついてうなじに噛みついておりました。
パキンと乾いた音が鳴って、コボルドの首がぐにゃりと曲がる光景は、意志を残した目が合ってしまい不気味でしたの。
「こゃぁぁ!」
目を輝かせてわたくしを見上げてきましたので、頭を撫でました。ごわごわしておりましたのですぐに手を引きました。
224歩で再び通路が右に折れました。わたくしの歩幅は70センチと仮定しまして、約160メートルのまっすぐな通路です。
次はおおよそ100メートルで曲がり角。
歩数は138歩で先ほどより少ないです。右、右、右と直角に曲がっているのですから、わたくしの想像が正しければ、通路は正方形のうずを巻いており、外側に隠し扉がある構造ですわ。
忘れないように壁に歩数と矢印を記しておきます。コボルドの牙は適度に硬くて便利ですわ。
今度の通路もおなじく100メートル。
途中でコボルドを5匹倒したあと、曲がり角で天井からぶら下がっている、奇妙な黒いさやを見つけました。
折りたたんだ傘に似た楕円形で、鋭い爪で天井につかまっております。
おそらくコウモリの魔物だと存じます。
ひとまず矢で先制攻撃ですが、翼にはじかれましたわ。
揺らぎもしません。
となれば近接攻撃です。
何をしてくるかわかりませんので、恐る恐る近づきます。
わたくしが真下に入っても、わずかに揺れているだけで特に反応いたしません。
短剣を向けても、天井に捕まっているだけです。
無害な魔物ならば無視いたしましょう。
そう考えていた時、突然、傘が開きました。
翼が弧状に広がり
「いっ!?」
「きゅあう!」
耳に針を突き立てられたような痛みですわ。痛くて立っていられません。
クロスボウを向けますと、
叫び声はますますうるさく、可視化された光線リングはくっきりと存在感を増してゆきます。
よくない予感がしますわ!
頭を押さえつけられるお声のなかで、慌てて床を転がりました。
わたくしがいた場所に光線が当たってピンク色の光が砕けました。
わたくしの耳はさらにおかしくなります。耳鳴りと頭痛が止まリませんわ。頭が内側から破裂する痛みですの。
うるささに耐えかねて短剣を投げつけました。
運よくお口の中に飛び込んだ短剣を、リングを作り出そうとしていた
水っぽい破裂音と共に頭部が砕け散って、赤と黒が飛び散りました。
残った胴体はしばらく天井で揺れたあと、地面にがさりと落ちました。
「花火みたいな魔物ですわ」
「くうう……」
死体が溶けたあとには翼膜が残りました。すべすべとして悪くない手触りでした。
「うう、耳鳴りがまだ続いていますわ。愉快な亡くなりかたを見物できただけでは、釣り合いませんわね」
再び右に曲がって40メートル──距離が極端に短くなりましたわ。さらに曲がって60メートル進むと、ついに行き止まりにたどり着きました。
重そうな扉がわたくしたちを待っております。
ひとまず進みましょう。
扉を開けたとき、わたくしはしばらく固まってしまいました。
地下迷宮には似つかわしくない、居心地のよさそうなお部屋が広がっておりました。
雑貨が置かれた深緑色のテーブルが中央にあり、周りには赤いクッションの張られた茶色い椅子があります。
棚やクローゼットが並び、突出した柱は飾り細工が刻まれ、壁にはいくつも絵画が飾られておりました。
今まで歩いてきた通路が木漏れ日の中のお散歩だとすれば、今いる部屋は月明かりに照らされた落ち着いたリビングですわ。
扉には魔物除けの模様がありますし、ここはレストルームですわ。
「失礼いたします」
シンと静まり返ったお部屋から返事はありませんでした。灰黒狐がわたくしを追い越して中に入ってゆきました。
扉を閉めると安全な雰囲気に包まれました。教会の中にいるような聖潔な空間です。
灰黒狐はある棚の前で、八の字を描いて走り回っております。
「何かありまして?」
棚にはまった硝子の向こう側には、お酒の瓶がたくさん並んでおりました。ラベルを見るとどれも古いお名前ばかり。今では生産していない100年前の銘柄まであります。
「まあ!」
灰黒狐は後ろ足で立って棚をぺしぺしと叩き、はやくあけろと主張しております。
狐のくせにお酒が好きなんて個性的な種類ですこと。あなた洞窟にいたウナギと同レベルですの。
まずは無視して探索を続けますわ。
「くぅぅ……」
家探しと言えば聞こえが良くありませんが、お部屋を見て回ります。
絵画はお空の絵が多いです。棚にあるアストロラーベは夜空の観測道具ですわ。大きな星図の描かれた羊皮紙がいくつも張り付けられております。
推測ですが、この場所を作ったかたは、おそらく学問の趣味を持たれた貴族さまですわ。
わたくし天体観測がどのようなお役に立つのかわかりませんでしたので、熱心にお勉強をしませんでした。
もし理解が深ければ、ここにある品物がいつの時代のものか判明しましたのに、残念ですわ。
「……あら、すばらしいですわ」
知識がなくても理解できる品物がありました。
テーブルの上にある金貨の山です。
わたくしにはお星さまより金貨の輝きのほうが分かりやすいですわ。
一枚手に取ってみます。表面には男のかたの横顔が彫られております。
この金貨には見覚え場ありますわ。
今は流通していないブルンヒルド大金貨ですわ。大陸共通金貨よりも前の時代に作られた金貨で、500年前に大陸中央部を支配した皇帝がお造りになりました。
形が大きく、金の
それがテーブルの上に小山を作っております。
この積み上げられた小山には目算100枚以上ありますわ。
ふふ、ふふふふふ。
わたくしにも運が向いてきましたわ!
どなたか存じませんが、お借りいたします!
テーブルの上には他にも品物があります。銀細工の
……お借りするのは少々の金貨だけにいたしましょう。
ご本をお借りして呪いがかかっては大変です。
お部屋の中には入り口の他に、もうひとつ扉がありました。
ドアはついておらず、深い闇だけがのぞいております。
室内の光も届かない闇の空間です。どこに通じているのかわかりません。
異質な光景ですが、不思議と危険は感じませんでした。ただ暗さがあるだけですの。
いきなり闇に飛び込む勇気はありませんが、安全なお部屋から通じているなら、この先も安全ではないかと考えられます。
入り口近くの壁には赤い石でできたプレートが埋め込まれており、古代魔法語で文字が書かれております。
『枝道に迷えし魂は、この世のことわりを外れる──探究者でなくば直進せよ。望みの地にたどり着かん』
不思議な誘惑です。では先に参ります。そう考えてしまいそうな気軽さが、闇の空間から感じしてしまいました。
……わたくし判断力が鈍っておりますわ。
ここにくるまでにコボルド14匹、スライム4匹、
身体は元気でも、ここは無理にでも休憩すべきですわ。
わたくしは
「あなた、棚の前からお下がりなさい」
棚にとりついた灰黒狐をどけます。一番年代の古い、琥珀色の液体が入った瓶を取り出しました。食器棚からグラスを選び、少々悩んでからスープ皿をとりだしました。
灰黒狐も頑張ったのですから、お酒を与えてもいいでしょう。
ふかふかとした椅子に座ってグラスに液体を注ぎます。お皿にもついで床におきます。狐は喜んでなめ始めました。
わたくしも一息つきます。グラスを傾けますと、なんともいえない甘みと、ずっしりと重い余韻がお口の中に残り続けます。
しばらく飲み続けるとすると気分がよくなってきました。
わたくしはまだ生きておりますし、きっと明日も生きております。実のところずっと不安にさいなまれておりましたが、心を抑え続けて隠し続けました。
魔物との戦いはよかったですわ。戦っていれば不安を忘れられますから。
金貨の山も素敵でした。敗北感を紛らわせてくれました。
そしてこのお酒。気分を前向きにするには、お酒が一番ですわ。これらの
進んでいる限り、わたくしは負けておりません。
そう信じさせてくださいませ。そう考えたとき、灰黒狐が立ち上がりました。
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