第41話 贖罪
そこにいたのは領主だった。急いで来たのかハアハアと荒い呼吸を繰り返しながら、領主は素早く状況を確認する。皆が無事な様子にホッとしつつ、倒れているのが例の裏切り者の公爵である事が分かると途端に顔を曇らせた。
「……領主さま?」
「……ああっ、すみません、つい心配になり様子を見に来てしまいました」
「なんだと!? おい領主! まさかこんな弱っちい奴に我らが負けるとでも思ったのか!?」
「……弱っちい……!? ……い、いえっ! けしてそのような事はっ! ただ、どうしても気になってしまって……」
否定した後、領主はゆっくり男に近付いた。察したようにそこから離れるアリアベルたち。力なく地面に転がったまま、虚ろな顔でうわ言を繰り返しているその様を、領主は少しの間ただ黙って見下ろしている……。
「……公爵」
声をかけた瞬間、男はパタっと静かになった。正気に戻ったのか目だけを動かし、そこに領主の姿を捉えると、瞠目したまま身動き一つしなくなる。
流れる沈黙……。この男を前に、さっきから領主の中には怒りや悲しみ、憎しみなどの鬱積が年月が経った今もなお大きく膨れ上がり、気道を塞ぐ程の息苦しさにたまらず「ハァ」と溜息を吐き出す。陰鬱な気分だが、それでも先程の呟きを聞き逃さなかった領主はまっすぐに男を見つめながら、その事について問い質した。
「……エレナ・ワトソン。君の婚約者だったな。……実はずっと気になっていた。あれから9年も経つのに、何故君たちは結婚を先延ばしにしているのかと……」
「…………」
「突然社交界から姿を消したエレナ嬢……。療養の為だと聞くが、その後の君の変わり様といい、まさか……」
「…………」
「人質にでもされているのか? 或いは私のように君も呪いをかけられたか……」
すると男は口元を震わせた。グッと堪えては顔を歪め、流れだす涙に固く瞳を閉じている。やがて再び目を開けると、観念したように重々しく口を開いて語りだした……。
「……ええ、その通りです……私は呪いにより行動に制限がかけられています。そして、それはエレナにも……」
「……なっ!」
「呪術のせいでエレナは9年も眠ったままです。私が皇帝の命令に従わなければ、そして任務を遂行出来なければ……即刻エレナの心臓は止まってしまう……」
「……なんだと!?」
「……私が死んでも、この事が人に知られても同じです……」
「――待てっ! それではっ……」
「全てはもう無意味になりましたのでこうして申し上げているのです。……先程、私の魔力も生命エネルギーも完全に潰え、それにより呪が発動したのです……エレナは、もう……」
「……っ、 ……そうか……」
「……結局私は何も守れなかった……あの時、あなたを裏切ってまでエレナの命を優先したというのに……」
「…………」
「もう生きる意味すらありません。最後はどうかその手で目の前にいるあなたの仇を討って下さい。私はあなたに償いきれない程の大きな罪を犯したのですから……」
「……公爵……」
重苦しい空気……。事情は聞いても長年に渡る二人の間のわだかまりがそう簡単に消えてなくなるはずはなく、両者沈黙したまま、なかなか次の言葉を発せずにいる……。すると、
「あの〜、ちょっとよろしいでしょうか?」
アリアベルがヒョコッとそこに割り込んだ。場の雰囲気に似つかわしくない、少し素っ頓狂な喋り方に二人は目をぱちくりさせている。そして次に語られたアリアベルの言葉にもっと驚いた顔をした。
「生きてます、そのエレナさんという人。さっき、私が呪いの発動を止めました」
「……!?」
「……えっ……」
「おかしいなぁと思って、つい条件反射で体が動いてしまったんです。でも、領主さまの敵だというのを思い出して、これは余計な事だったと、一つだけはそのままで……」
実はさっきアリアベルがハッとしながら公爵の方に駆け寄ったのは、発動する呪いに即気付いたからだった。可視化しなければ見えない複数の魔法陣に火がついたように見えたので条件反射でそれを消し去ってしまったのだ。話の通り、途中でこの男が敵だというのを思い出し、すでに効力はだいぶ薄れてしまったが、念の為、一つだけわざと残したという訳だ。
「……!?」
「……あの、発動を止めたというのはつまり…………うん? 一つだけ……?」
「呪いはもうほとんど解いてしまいました。でも、この人は敵の人ですし、領主さまに不利になってはいけないので、眠り続ける弱い術だけ残してます。それは奇跡の食べ物で十分解けると思います」
アリアベルが喋っている間、公爵は終始ポカンとしていた。領主だけは「そうでしたか」と納得し、自分に対する気遣いにも頭を下げて礼を言う。その後も「迷惑でしたか?」とか「そんな事ありません」とか、二人のそんなやり取りに本気で分からなくなった公爵は一人混乱するしかなく、ついにはどう言う事だとアリアベルに喚きだし、慌てた領主がそれを止める。やれやれと、そこで領主が膝を折り、コソコソ何かを耳打ちすると男はたちまち硬直した。そして次第に感極まった顔になる……。
「……ああああっ、……何という事だっ……」
思い出したように急にバッとライを見たり、アリアベルの方に目を向けたり、男は忙しなく何度か視線を往復させた。そうしてその後はまた涙目になり、ワナワナと狼狽えながら口にする……。
「……これは一体っ、どういう状況なのですか!? ……いや、私は何から詫びればいいのかっ……申し訳ありません! 不遜な行為の数々をっ……ああっ、どうかお許しをっ……!」
「……公爵、落ち着け」
「……エレナはっ! エレナは本当に無事なのですかっ!? 呪いはっ……あれは黒魔術でっ……そう簡単に解けるものではない筈なのにっ……」
「……ああ。この方にはそれが可能なのだ。私にかけられていた呪いも全て解いて下さった」
「……! ……まさか、こんな事が本当に……」
「あとは私が管理する奇跡の食べ物でエレナ嬢は完全に眠りから覚めるだろう……」
「……あっ、……ゔゔっ、……どうか、どうかお助け下さい……。私がこんな事を頼める立場でない事は重々承知しています。ですが……!」
「そうだな。いくら事情があったからといって君が私を裏切った事に変わりはないし、私も簡単には許せない」
「……っ、……どんな事をしても償いますっ……一生をかけてこの罪をっ! ですから、どうかっ……」
「そうか。ならば、私に協力してくれないか」
最後は気持ち明るく返した領主に公爵は些か疑問符を浮かべた。領主自身、今はなんだか不思議な気分だ。ついさっきまで苦々しい思いに駆られていたのに、アリアベルが間に入ってからは冷静な頭で公爵と対話が出来ている。しかもアリアベルの機転のおかげでこれ以上ない妙案まで思いついたのだ。
「……協力、ですか……?」
若干訝しむ公爵に領主はコクリと頷いた。何を言われるのかと緊張感が帯びる中、領主は軽やかに、だが有無など言わせない決定事項かの如く堂々とした口調で言い放つ……。
「クレイヴ・フリード公爵。君がハラマン帝国の新たな皇帝になってくれ。そしてこの東部を帝国から切り離し、新たな独立国家とする事を認めて欲しい」
その発言に公爵はしばし言葉を失った。
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