第5話 自尊心を取り戻した先に

「アリアベル、人間が憎いか? 嫌いになったか? もう滅び去って欲しいのか?」

「……な、何をっ……そんなはずないわ! ……私はただ……」

「……ただ、何だ?」

「……ただ……」


 その後の言葉が続かない。その時、初めてアリアベルはいつからか、あえて人に対してあまり感情を持たないように、考えないようにしていたのだと気が付いた。


「……分からないわ……。処刑された時は……その状況は、悲しいと思ったけれど、人に対してはどうかしら……。前に人を憎んで後悔して……それからだと思うわ、考えるのをやめてしまっていたんだわ……」

「やはりそうか。お前は先に自尊心を取り戻さねばならんのだな」

「……それはどういう……」

「おいみんな! 外はどうなってる! 手を貸すのだ!」


 ライの声に皆が一斉に動きだした。目を凝らし遠くの様子を伺う者、同じく遠くの音を聴き取る者、何かの呪文を唱える者……。何事かと困惑するアリアベルの前には水の精霊と光の精霊がやってきて、アリアベルを全身ピカピカに磨き上げた。着ていた衣服もそれまで着ていたボロの灰色のものではなく、真っ白なきれいなものに差し替える。


「……まあ……!」


 磨き上げられたアリアベルはその聖域の輝きの一部と言っていいほど美しかった。水を含んだような質感の透明感のある肌、淡いピンクの髪と髪より色濃いローズピンクの瞳が陽射しを受けてキラキラ輝き、その全てが見事な調和を見せている。


「ここは皆で行きたい所なのだが……生憎そなたを除き、ポータルは一体しか通さんのでな。その上で最も都合が良いのは……」

「我だ! ちょうど腹が立っていたのだ! とことんやってやろうではないか!」

「……ふむ。ならば、頼む」

「……え? なに!? ……え!?」


 白龍とライが勝手に話を決めてしまい、アリアベルは強引にライの背中に乗せられる。共にポータルを抜け、外の世界へ飛び出した。


「待って! どこへ行くの!? ねえライ!?」


 外はもう太陽が昇り明るかった。静止も聞かず、ライはどんどん前へ進んでゆく。そうして到着した先は――、

 

 「……あ、……ここは……」


 そこは覚醒前、アリアベルを刑に処した国だった。神殿ではちょうど大きなセレモニーが行われていて、外の式典会場には大勢の人が集まっている。


「イバリ皇太子殿下、並びに皇太子妃ダリア様に不死鳥フェニックス様の加護があらん事を!!」


 大きな声が響いた。目下、階段を上がった壇上には教皇と大司祭、そしてこの国の皇太子と皇太子妃がいて、それを見守るように階段の下では皇族、貴族、聖職者、列を成した騎士たちがいる。そして彼らが一斉に頭を垂れているのが祭壇に祀られたこの国の守護神、不死鳥フェニックスの彫像だった。


「ああ、そういえばこの国――」

「何が加護だっ! そんなもの永遠にある訳ないだろうっ!!」


 “この国のシンボルはライだったわね” という言葉はライが荒げた声に消えた。ちなみに、ここに来てから【隠密】の神術が発動している為、空を自由に飛び回っても声を出しても誰も二人の存在に気付かない。


「アリアベルを殺したのはあいつらだな!」


 まだ生きてるけど、と思いつつアリアベルは壇上にいる人物たちを見つめる。


「……ええ。私が皇太子妃様の怒りを買ってしまったの。それがきっかけで……ええと、口紅が私の瞳の色と一緒だったんですって。だから窃盗侮辱罪と、教皇様達には空気を悪くした環境破壊罪と、皇太子殿下には存在自体が皇室侮辱罪だって言われ…………きゃっ!!」


 瞬間、ライが超音速で下降して、アリアベルは振り落とされないようにギュッと首元にしがみついた。そのままライは会場に突っ込み、自分を模した彫像をこっぱ微塵に壊してしまう。同時に隠密を解いて大勢の前に姿を晒したのだった。それがあたかも今彫像から飛び出てきた不死鳥フェニックスの奇跡として人々の目に映りこむ……


「……!! フェ、フェ、フェ、フェニックス様だああああっ!!!!」

「なんという奇跡っ!! フェニックス様が顕現なされたぞおおっ!!」

「きっとこの国を、殿下たちを祝福しに来て下さったのだああっ!!!」


 会場は最高潮に沸き上がった。目の当たりにした奇跡に皆が歓喜の声を上げている。そんな中、ライが睨みを利かせて発した怒号に場は一気に凍り付いた。


「黙れこの無礼者ッ!! 己の過ちも分からぬ愚か者共がッ!! 我が愛するこの者にお前等は一体何をしたのだッッ!!!!」


 するとようやくアリアベルの存在に気付いたのか一気に彼女に視線が集まる。姿を見た途端、皆信じられないといった顔をした。


「……あ、あれはまさか……」

「……クズの、能無し聖女……?」

「……昨日たしかに処刑したはず……」


 特に壇上にいた皇太子や皇太子妃、教皇たちはアワアワと驚き狼狽えた。そこにいたのは昨日まで虐げていた影の薄い陰鬱な少女ではなく、神獣を従えるにふさわしい膨大な神聖力と風格を合わせ持った只ならぬ人物だったからである。


「ええい忌々しいッ! 特に壇上にいるその四人ッ! お前らの所業には腸が煮えくり返っているッ! いいか! お前等が刑に処したのは唯一無二の神の子だったのだッ! この者こそ真の聖女だったのだぞッ!!」


「「「「……そっ、そんなっ……!!」」」」


「聖女殺しの大罪国がッ!! その罪を永遠に償えッッ!!!!」


 業火が旋風と共に吹き荒れた。砕ける神殿と逃げ惑う人々……、いったん空高く上昇したライが軽く息を吐き出すように咆哮すれば遠くで“ズドーンッ!” とけたたましい音と振動が響いてくる。どうやらライが放った火炎砲が遠くにあった皇宮を一瞬にして吹き飛ばしてしまった様だった。それを皮切りに一気に周りの景色が色褪せてゆく……

 一切の加護を失ったように一斉に枯れ出す木々や草花。空は曇り日差しはなくなり、川の水も干上がっている。とどめとばかりに空や大地、ありとあらゆる所には ” 聖女殺しの大罪国 ” と消えない刻印が残された。

それを見届け、ようやくライはその場を離れる。アリアベルと共に帰路についた。


 帰り道は空の散歩を兼ねたゆっくりしたものになった。いろんな事が嵐の如く過ぎ去ったせいか、アリアベルは呆然と気が抜けたような表情をしている。ライは気にして声をかけた。


「……あれはな、元々、我々のすべき仕事でもあったのだぞ?」

「……?」

「あの国は悪に偏り過ぎていた。あの国の軍事侵攻のせいで近隣諸国が永らく無駄に血を流し、蛮行は自国の民さえも傷付けてきた。国力を削ぐ事が強いては大陸に住まう全ての者の安息に繋がる道でもあったのだ」

「……うん」

「……やり過ぎだと思うか? 言っておくが、善良な民は傷付けてはおらんぞ? その者達の為に今後は他の国が介入し、統治した方が良いのだ」

「……うん」

「それに、成長の為にはわざと転ばせる事も必要……これはレリアーシュ様の考えでもあっただろう? 忘れたのか?」

「……え? ……あ、ごめん、なんだかぼーっとしちゃってた。……えっと、違うの、私はその事を気にしてた訳じゃなくて……」

「……? では、どうしたのだ?」

「……さっき……みんなが私を見ていたわ。それがね、昨日までとは全然違うものだなって……。人として、見ていたなあって……。ちゃんと、人権っていうのかしら? 忘れていたけど、私にも、あったのね……」


 アリアベルは遠くを見やる。忘れていたものを思い出した事で、どこか夢心地だった気分から、だんだん現実に重みがかかったような感覚になり、改めて今ここにいる事、生きている事の実感が湧いてくる。そして、何より呆気なく事を変えてしまった仲間に、圧倒的パワーを持つそれが味方である事に、もう孤独ではないのだと心底安心するのだった。すると、その安心感が引き金となったのか、自覚をする前に心の奥底へ追いやっていたものがポツリポツリと溢れてきた。


「……本当は私、すごく、傷付いていたんだわ……」

「……? ……うむ」

「……今、分かったの。私、人が……苦手。……嫌いではないの。……あ、いいえ、騎士はやっぱり嫌いかしら……」

「その調子だ、どんどん思った事を言ってみろ! まずは何が好きで何が嫌いか、それからだ!」

「王族も皇族も嫌い。神殿も嫌い。貴族も嫌い……じゃなくて苦手かしら。好きは……何か作りたいわ。とりあえず薬草でポーション作りかしら? それから魔物を倒す武器を作って魔物ハンターになるの!」

「ははっ! なんでも好きにやってみろ!」

「うん! 私、今度は自由に生きてみたいわ! 何にも、誰にも縛られる事なく、好きに、楽しく!」


 今ならレリアーシュ様の言った言葉の意味が分かる。期待や希望に胸が高鳴り、アリアベルはワクワクとした気持ちでいっぱいだった。

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