はじめた共同作業

 私が【カイリ】で、萩本くんは【カズスキー】さん。

 互いの歌い手名を知ったところで、私たちの人生は大きく変わらない。私はそう高を括っていた。

 昔から、私は自分の好きなものを人に言うのがとことん苦手だった。

 好きだったアニメの主人公の子の絵を描いていたら、友達から「変」と言われてしまい、それが原因で絵を描くのをやめてしまった。

 私が好きな猫の動画よりも、動画主が次々と上げているようなセンセーショナルな動画のほうが人気だったし、付き合いで嫌々見ても、なにがそんなに面白いのかがさっぱりわからず、話を合わせるだけ合わせて、こっそりと見るのをやめた。私は猫があくびをしたり、飼い主さんと仲良く遊んでいる動画のほうが、よっぽど見る価値があった。

 人が好きなアーティストよりも歌い手のほうが詳しかったし、人が面白いと言っていた映画よりも私がひとりでひっそりと見に行ったプラネタリウムの展示のほうが面白かった。

 別に自分は万能だと思っていないし、逆張りもしていない。

 私の絵を「変」と言った友達だって、私に「変」と言ったことを忘れているだろうけれど、私は人に好きなものを教えるのが極端に怖くなってしまったから、忘れたくても忘れられないことだった。

 ただ人に合わせるのが苦手で、人が好きなものを好きになれない私は、閲覧数が少ない自分のアプリのアカウントに、自分の好きな歌を歌ってその動画を上げる。それがどれだけ私の気持ちを救ってくれたかなんて、わかる人にしかわからないと思う。

 だから、【カズスキー】さん……萩本くんが私の世界を広げてくれるなんて、本当にこれっぽっちも思っていなかったんだ。


****


 私と萩本くんは互いに席も遠ければ、出席番号も被らないため、同じクラスだからと言って取り立ててよくしゃべることはなかった。

 ただ、私が休み時間にご飯を食べようと思って、家から持ってきたお弁当を食べようと教室を出たとき、同じタイミングで萩本くんも教室の反対側の扉から出てきた。


「あ……」

「なに?」


 相変わらず学校ではマスクで顔を覆っているから、目だけだと表情が全くわからないから、どういうリアクションが正解かが判断に困る。

 私がお弁当を持っているのを見て、萩本くんは首を傾げた。


「教室で食べないの?」

「……教室で、ひとりで食べてたら、あれこれ言われるから」

「あー。じゃあ普段、どこで食べてるの?」


 それを言ってもなあと思う。と、そこで気が付いた。萩本くんはなにも持ってないことに。私は逆に尋ねてみる。


「わ、たしのことより……萩本くんは? お昼どうするの?」

「コンビニでなんか買ってくる」


 それに私は内心「不良だあ……」と思ってしまった。休み時間でも、学校の外に出るのは基本的に禁止だから、堂々と校則違反をするのかと思っていたけれど、萩本くんはあっさりと言ってのける。


「朝に人が多かったし、遅刻しかけたから買えなかった。ちょっとくらいだったら見逃してもらえると思うから行ってくる」

「あ……」


 私はどこで食べているか言うべきかどうか迷った末に、口にしてみた。


「西棟の三階」

「うん?」

「西棟の三階の階段で、いつも食べてるの」

「ふーん。わかった」


 そのまませかせかと萩本くんは出かけていってしまった。いつもひとりでテクテク歩いている彼は、背中が意外と大きかった。

 私はそれを見届けてから、自分も西棟を目指して歩いて行った。

 入学式から今日まで。クラスメイトとしゃべっても共通の話題がせいぜい今日の授業の内容くらいで、見ていた動画も、ハマッているアプリも、中学時代の交流関係や思い出も共通点がないせいで、話題が本当に続かなくって互いに気まずい思いをし、気付けばひとりでいるほうが楽になっていた。

 でもひとりでいるのが楽だからひとりでいても、勝手に先生たちが心配してきて、呼び出しを受けたり、やたらと長い自分語りをされたりする。

 それが困るから、昼休みはなるべくクラスメイトと会うことなく、学校の先生たちに呼び出しを受けることなく、昼休みの部活に鉢会うことのない場所を探して、一学期の間は校舎をうろうろして探し回ったのだ。

 そこで気付いたのは、あちこちの学校の合併作業のせいで、校舎が新築されたり取り壊されたりしていること。私たちが普段授業で使っているのは通称東棟であり、昔の旧校舎は通称西棟と呼ばれ、二階につくられた渡り廊下で繋げられていること。

 どうも旧校舎新校舎と呼ばないのは、西棟は現状一番人数の少ない三年生たちが普通に二階を使っているかららしい。ただでさえ度重なる吸収合併で、今まで関わることのなかった校区の人が流れ込んできていてストレスが溜まっているところで、旧校舎を使っていると揶揄されたら、それはどんな爆発の仕方をするかわからないというのが学校側の見解らしい。

 よって西棟は一・二年はほぼやって来なくて、三年生は二階から下しか使わない。三階以降は、移動授業がない限り使わないけれど、五時間目に移動授業がないのは既に把握済みだ。だから私は、三階の階段でご飯を食べ、のんびりとスマホでネットを閲覧して過ごすことができるようになっていた。

 私が教えたけど、そこに本当に萩本くんが来るのかな。そういえば私は教室でご飯を食べないから、萩本くんが今までご飯を食べていたのか知らない。

 お弁当箱を膝の上に広げ、卵焼きを咀嚼しつつ考える。


「……もし、萩本くんがマスクを外していたら、誰も彼のことを放っておかないような」


 萩本くんが自覚あるのかどうかは知らないけれど、顔の造形は芸能人やモデルだと説明しても納得してしまいそうな細やかなつくりなのだ。でも、今のところクラスの誰も、彼のことについて騒ぎ立てている人はいない。

 そもそも【カズスキー】さんとして行動しているときも、歌だけ流して、顔は一切出していない。でも歌唱力でファンを増やしている。特に【カズスキー】さんの歌う恋愛曲は人気が高くて、コアな女性ファンがついているみたいだ。

 顔を出したら、きっと誰も放っておかない。

 そうなったら、私は初めてできた歌い手仲間をなくしてしまいそうで、それは少しだけ悲しいなと思った。

 私は自分が好きなものを堂々と好きだと言い切れない。誰かに否定されるのが怖いから。「すごいね」と言って、一緒に楽しんでくれる人は貴重なんだ。だから、互いに歌い手名義を知っても、知らんぷりしている今の関係が、居心地がいい。

 そう思いながら、豚肉の生姜焼きを口に放り込んで、白ご飯で流し込んでいるとき。階段に足音が響いた。先生だったらどうしよう。私が少しだけ腰を浮かしかけたところで。


「やあ、お待たせ」


 そう言って萩本くんが機嫌よさそうな顔で階段を登ってきた。

 特に一緒に食べようと約束した訳じゃないのに、こうして本当に一緒に食べることになるのは、なんとなく驚く。


「お帰りなさい……なにを買ってきたの?」

「唐揚げ弁当買いたかったのに、売ってなかった」


 少しだけしょんぼりと肩を落としながら、それでもコンビニで温めてもらったらしい中華弁当のいい匂いが漂ってきて、そのふてぶてしさに思わず「ぷっ……」と噴き出してしまった。


「……今、面白いところあったっけ?」

「ご、めんなさい……でも堂々とコンビニに出かけていって、『温めますか?』に答えてきたのかと思ったら……おかしくって……」

「そうかもね。中華弁当は売ってたよ。麻婆豆腐。どこかの中華シェフ考案だってさ」

「それお箸で食べられるの?」

「箸箱は自分の持ってる。スプーンも」


 そう言って、制服のポケットから、丁寧に箸箱を出してきたものだから、またもおかしくなってプルプルと頬を突っ張らせていた。

 それを気にすることなく、萩本くんはマスクを外して麻婆豆腐を食べはじめる。ツンと漂う香辛料の匂い。本当に麻婆豆腐の匂いだけで、ご飯が進みそうだ。


「旨い、からい。これはコンビニで売っていい味じゃない」

「アハハハハハハハ……! でも唐辛子は大丈夫なの? 普段は喉に気を遣ってるのに」

「唐揚げ弁当売ってなかったから仕方がない。コンビニは神。なぜならポイントが使えるから」


 萩本くんがキリッとした顔でそう言うものだから、ますますおかしくて、私はずっと笑いながら食事を食べていた。

 本人はどうしてそこまで笑われているのかわかっているのか、わかっていないのか。中華弁当を綺麗さっぱりと片付けて、のんびり買ってきたらしい麦茶を飲んでいる。


「でも、私は普段からずっとここで食べてたけど……萩本くんはどこで食べてたの?」

「うーん。そのときによってまちまち。あんまり人がいなくって、先生に見つからなくって、とやかく言われない場所。まさかこんな穴場スポットがあるとは思わなかった」

「本当にね。でもここでは会わなかったね?」

「うん。天気がよかったら、中庭とかで食べてたから」

「そっか……」


 萩本くんは私のように、クラスに溶け込むのを諦めてひとりでいるのを選んだのとは違い、ずっとひとりのように思えた。

 黒いマスクを学校の注意を無視してずっと使い続けているから? ぼんやりとして、関わりにくいから?

 もし萩本くんが【カズスキー】さんだと気付かなかったら、私もそんな偏見の目で見続けていたのかもしれない。でも萩本くんはどうしてひとりでいるんだろう。

 聞いていいのかどうか考えたけれど、私はその疑問をペットボトルのお茶を飲んで誤魔化した。親しき仲にも礼儀あり。私たちは共通の趣味があるだけで、親しくもないんだから余計にだ。

 私が押し黙ってしまった中、萩本くんが「そういえば」とマスクを付け直しながら口火を切った。


「俺が自分のアカウントで【カイリ】さん紹介したけど、あれ山中さんどうかな?」

「どうって? アカウントに上げた動画を、いろんな人が見に来るようになったなあとは思ったけど。目立つと怖い人が来るって言うから緊張してたけど、今のところは変な人は来てないよ」


 実際、どのアプリでもそうだけれど。目立った人をやっかんで攻撃的な言動を繰り返す人が粘着するケースはたびたび見かける。それが原因でよく見に行っていた歌い手さんが引退してしまうケースも多々見受けられた。

 幸いというべきか、私は閲覧数を特に気にせず歌っていたせいか、悪目立ちが過ぎて余計な人まで呼び寄せてしまう事故は起こらなかった。

 私の言葉に、萩本くんは「よかった」とひと言添えてから、私に話を振ってきた。


「俺に曲をつくってくれた人が、山中さんの歌を気に入って、ふたりで曲をつくればって話をしてきたんだけど、どう?」

「え……? 話が見えないんだけど」

「同じ曲で違う歌詞の曲をつくるから、女性パートを山中さん、男性パートを俺が歌って、それぞれ動画を上げたらどうかって提案が来たんだよ。どうする?」

「え……? それって……オリジナルの曲?」


 ひとりで好きな歌を歌い、特に曲をつくることもなく、人の歌を歌っていた私からしてみれば、あまりにも話が大きくって、素直に飲み込むことができなかった。

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