諜報員、イエニー
「これから二週間、ディートリヒ殿下とマルグリット様のお世話をさせていただきます。“エミ”と申します」
「同じく、“イエニー”と申します! 何でもお申し付けくださいませ!」
ハンナが部屋を出て行ってしばらくした後、リンケ子爵が二人の侍女を連れてきた。
「ああ、よろしく頼む。リンケ卿、このようお気遣いいただき、誠にありがとうございます」
「とんでもありません! やはり、ディートリヒ殿下とマルグリット様には快適にお過ごしいただき、充実した視察を行っていただきたいですからな!」
リンケ子爵は、どこか誇らしげに胸を張ってそう話す。
「本日の晩餐会ではうちの料理長が腕によりをかけて準備しておりますので、お待ちくださいませ」
「はは……それは楽しみだ」
「では、失礼します」
リンケ子爵は一礼すると、部屋を出て行った。
「ふむ……ではエミ、イエニー、二週間という短い間ではあるが、よろしく頼む」
「かしこまりました」
「お任せくださいませ!」
上品で、少し冷ややかな印象を受けるエミとは対照的に、イエニーは元気よく返事をした。
「ところで、リズ……マルグリットの部屋の準備はどれくらいかかりそうだ?」
「はい、もう準備ができております。ちょうどそのこともお伝えしようと思っていたところです」
「そうか。リズ、では行っておいで」
「ふふ……はい。あとでディー様もお越しください」
リズの手を取って立たせると、彼女はエミと共に自分の部屋へと向かった。
「さて……」
私は、一人残るイエニーへと視線を向けた。
「それで……
「はい。あのエミはリンケ子爵の愛人で、殿下の監視役としてあてがわれた者です。そして、新米の侍女でまだリンケ子爵の正体を知らない者として、この私がお世話係に選抜されました」
ついさっきまでの様子とは打って変わり、イエニーは膝をつきながら淡々と説明する。
「うむ。それより、この一か月の間ご苦労だった。あと少しで全てが終わる故、苦労をかけるが引き続き頼む」
「とんでもございません。このイエニー、常にディートリヒ殿下と共に」
そう言うと、イエニーは
そう……イエニーもハンナと同じく、フリーデンライヒ侯爵家子飼いの諜報員の一人で、侯爵が私にと一年前に与えてくれた者。
といっても、歳も私やリズと同じ位の上に、諜報員としてはまだ見習いの域は出ていない。
だが、指導係のハンナ曰く、諜報員としての資質は充分で、すぐに即戦力になるとの評価だったが……この様子を見る限り、その言葉どおりだったようだな。
「うむ。では、明日にでも人身売買の組織を壊滅。証拠を突き付けてリンケ子爵を逮捕するとしよう」
「証拠は全て用意しておりますので、それは構いませんが……さすがに性急なのでは……?」
「当然だ。動くのが遅れてしまえば、それだけ国民が被害を受けるのだ。ならば、指をくわえて待つ道理はない」
まあ、一番の理由は今頃私とリズの国立学園の制服が一式届いているはずで、早くリズの制服姿が見たいからなのだが、それは言うまい……。
「かしこまりました。出過ぎたことを申し上げました」
「いや、いい。これからも、気づいた点や疑問に思ったことがあれば、遠慮なく話してくれ。余計な気遣いは無用だ」
「殿下……」
イエニーの瞳が潤み、顔を上気させている。
……む、これはまずいな。
どうやらイエニーの
「殿下……どうか
「……駄目だ。それはいつも言っているだろう」
「で、ですが! これでは生殺しです!」
イエニーは、ブラウスのボタンを上から順に外しながら、私に詰め寄ってきた。
その頭に、もふもふとした猫耳を生やしながら。
何を隠そう、このイエニーは大陸では絶滅寸前である獣人族の末裔で、普段はその長い髪の中に耳を隠しているのだが、その……
本当に、私からすれば非常に厄介だ……。
「殿下……大丈夫、マルグリット様には絶対に言いません……ですから……」
「……いや、そういうことではなく、とにかく離れろ」
私はそう冷たく拒絶するが、イエニーは一切聞く耳を持たない。
せっかく触り心地のよさそうな猫耳を出しているというのに。
「……こうなれば、実力行使……「そこまでです」……フギャッ!?」
耳と同様、スカートの下から伸びる尻尾を思い切り引っ張られ、イエニーが床で悶絶する。
「ハア……入れ違いになったみたいだったのですぐに戻ってみれば……」
「ウニュウ……ひ、酷いですよ、ハンナさん……」
盛大に溜息を吐くハンナとは対照的に、涙目で訴えるイエニー。
「す、すまん……ハンナ、助かった」
「……殿下、イエニーに優しい言葉など無用です。逆に襲われてしまいますよ?」
「そ、それは承知しているのだが……とはいえ、私とリズのために尽くしてくれている者を無下に扱うわけにもいくまい……」
「ハア……いいですか? 殿下の優しさはとても素晴らしいものですが、それでも、相手を選んでください」
ハンナが呆れながらも、ずい、と身を乗り出して私に注意する。
む……そのように正論を返されると、言い返せないな……。
「殿下がそのような御方だから、この私まで……」
「む? どうした?」
「いいえ、何でもありません」
ハンナが何を言おうとしたのか気になるところではあるが、私はあえて聞かないことにしよう。
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