特別な呼び名

「ん……どうした……?」


 マルグリットと抱き合う中、彼女が胸の中で急にもぞもぞとし始めた。


「いえ……ディートリヒ様が私と同じ想いなのだと分かり、嬉しくてつい、頬ずりをしてしまいました……」


 ……私の愛する婚約者は、なんと可愛いことを言うのだろうか……。


「そ、そうか……汗のにおいなどがしないか、少々心配だな……」

「何をおっしゃいますか……ディートリヒ様からは、その……優しくて落ち着く匂いがします……それに、あなた様の胸の鼓動が心地よいです……」

「ならよかった……君からも、ライラックの素晴らしい香りがするぞ?」

「あう……あ、あまりにおいをかがないでください……」


 私がそう告げると、彼女は恥ずかしそうに顔を隠してしまった。

 そんなマルグリットの一挙手一投足が、ただ愛おしくて仕方ない。


 彼女を、ただ独り占めにしたい……。


「なあ……マルグリット」

「? 何でしょうか?」

「その……私は、君が好きだ」

「ふあ!? そ、それはもう分かっております……」


 はは……また想いを告げただけで、こうも可愛い声を漏らしてしまうのだから、どうしてくれよう……って、そういうことではない。


「いや、話が少し逸れ……てはいないな。私は、特別な女性ひとである君を、より私だけのものにしたい」

「あ……そ、それは、どういうことでしょうか……?」

「その……せめて、マルグリットが私だけの大切な女性ひとなのだと示すためにも、私だけの呼び方で君を呼ぼうと思うのだが、どうだろうか?」

「ふああああ!? ディ、ディートリヒ様だけの呼び方!?」

「うむ」


 そう……これについては、前々から考えていた。

 彼女の父君であるフリーデンライヒ侯爵はともかくとして、弟でしかないオスカーのくせに彼女を名前で呼ぶのだ。到底許容できるものではない。

 しかもオスカーの奴、敬称もつけずに呼び捨てにするなど……どうにも許せん。


「なので、君には特別な愛称をつけようと思う。それで、マルグリット以外に何と呼ばれたことがある?」

「ふあ!? そ、その……亡くなったお婆様は、私のことを“マリー”と呼んで可愛がってくださいました……」

「なるほど……」


 そう言うと、マルグリットはどこか懐かしむ様子で頬を緩めた。

 ふむ、“マリー”か……ならば。


「その“マリー”という愛称では呼べないな」

「あ……それは、どうして……?」

「決まっている。マルグリットにとって、それは君と祖母君の特別な思い出の一つなのだからな。大切にせねば」


 そう告げると、私は頷いてみせた。


 すると。


「……本当に、ディートリヒ様はどこまでお優しいのですか……」

「そうか? だが、そうだとするなら、それは全て君だから・・・・だろう」

「ふふ……でしたら、そういうことにしておきます……」


 マルグリットは口元を緩め、嬉しそうに私の胸に頬ずりをした。

 はは……不器用な彼女が、こんなに甘えてくれるなんて……想いを告げて、本当に良かった。


「では、マリー以外でとなると……マルグリットだから“リット”……はないな」


 その名前だと、何故かどこかの少々お転婆な王女というイメージが浮かんでしまった……。

 まあ、愛する者に一途、という点に関しては、同じかもしれないが。


「……“リズ”、というのはどうだろうか?」

「“リズ”……それが、ディートリヒ様が私だけにくださった愛称……」


 おずおずとそう告げると、マルグリットは何度も“リズ”という愛称を繰り返し呟いた。


「ディートリヒ様……こんな素敵な名をいただき、ありがとうございます……」


 マルグリット……いや、リズは、蕩けるような笑顔を見せてくれた。

 喜んでくれたのは嬉しいのだが……そ、その、リズのあまりの尊さに、胸が苦しいいのだが……。


「き、気に入ってくれたのならよかった。では、次はその……リズの番だな」

「私の番、ですか……?」


 私の言葉の意味が分からず、リズは思わず首を傾げた。


「うむ……私も、リズに特別な名で呼んでもらいたい」

「ふあああああああ!?」


 い、いや、何もそこまで驚かなくても……。


「そ、その……リズは嫌、なのか……?」


 不安になり、私は彼女に尋ねる。

 リズは私のことが好きだというのはもう分かったが、かといって不器用な彼女のことだ。きっと『畏れ多い』だの『不敬だ』だの、何かしらの理由をつけて突っぱねる可能性も否定できない。


 なので、少々卑怯だが、こういう言い方をすれば優しくて面倒見のよい彼女のこと。受け入れてくれるに違いない。


「ふあ……ディートリヒ様、そのような表情でその言い方は反則です……」


 ……むしろ、私が返り討ちにあいそうなんだが……。

 というか、なんだこの可愛い生き物は。全力で愛でたくなるではないか。


「そ、それで、リズは私を特別な愛称で呼んでくれるということでよいのだな?」

「は、はい……」


 恥ずかしそうに頷くリズに、私は心の中で何度も拳を振り上げた。


「で、では、私はディートリヒとしか呼ばれたことがないから、リズがどんな愛称で呼んでも問題ないぞ?」

「あ、そ、そうなのですね……では……」


 リズは少し思案すると、琥珀色の瞳を潤ませて私を見つめた。


「……“ディー”様、でいかがでしょうか……?」

「“ディー”……“ディー”か! 気に入ったぞ!」

「ふあああああああああああああああああ!?」


 私は嬉しさのあまり、リズを抱え上げて立ち上がると、噴水の前でクルクルと回った。


「はは! リズ! リズ!」

「ふふ! ディー様! ディー様!」


 私とリズは、満面の笑みで二人だけの愛称で何度も呼び合った。

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