第7話 「証明をしたいと思いました」
エヴリーヌが目覚めると、ベッドの上だった。ばっと身を起こして室内を見渡したが、どこにも紫のローブとまっすぐな黒髪は見えない。
膨らんだ期待が、あっという間にしぼむ。
「……ばかみたい」
唇には嫌になるほど、感触が残っている。きっとあれは自分の意識をそらすための“合理的”な手段だったのだろう。考えた途端悔しくなってごしごしと手の甲で拭い、立ち上がった。
もうこの家に居るつもりはない。
旅に出る準備をしなければと、エヴリーヌが考えながら玄関扉を開けると、そこには昨夜と変わらないセルジュがいた。
ぎょっとして立ち尽くすエヴリーヌを、セルジュは上から下まで観察したあと、口を開く。
「おはようございます。眠りの魔法をはじめ、いくつかの法式を使いましたが、体調に変化はありませんか」
「……ッなんでここに居るの!?」
「帰宅すれば、あなたが逃亡すると考えました。ですが未婚の女性の家に独身の男性が居るのは相応しくありませんので、外で」
「まさか一晩中玄関の前にいたって言うの、あんなことしといて!?」
信じられない思いでエヴリーヌが叫ぶが、セルジュは生真面目な態度を崩さない。
「体調に問題はない、と判断します。エヴ、時間がありませんのでついてきてください」
「どこによっ、私はもう……きゃあ!?」
抗議しようとしたエヴリーヌだったが、セルジュに抱き上げられた途端、虚空に体が浮いた。
彼が持っていた杖に乗って空中を移動しているのだ。
空に浮かぶという慣れない体験にエヴリーヌは反射的にセルジュにしがみつく。
こんなに話を聞かないセルジュははじめてだ。穢れ森で会うようになってから、彼の知らない所ばかりを知る。
しかし慣れない体験と動揺は、すぐに森の端に見えた集団を見つけたことで変化する。
集団はこのような辺境には珍しいほど仰々しい身なりをしていた。防具を身につけた騎士や兵士らしい一団の他に、魔法使いもいる。
その集団の中心では聖女を表す旗が掲げられており、その下に聖女がいることを知らせた。
息を呑むエヴリーヌを抱えたセルジュは、更に魔法陣を虚空に描く。
すると魔法陣の中に映像が現れ、一団の中にいる人間達を映し出した。
そこに映ったのは聖女の姿をしたレティシアと大聖教の大司祭、そしてこのクレール国の王子だった。
思わぬ大物の一団にエヴリーヌは困惑するが、大司教の話し声が聞こえてきた。
『まさか、聖女レティシアの御技をこの目で見てみたいと殿下自らいらしてくださるとは……ですがなぜよりにもよって穢れ森なのですか』
『少し興味深いことをセルジュから聞いてな。己の目で確かめて見たくなったのだよ』
『と、いうと?』
『魔法は個人によって差があり、測定器で魔力を使えば一目瞭然だというが、聖女達の御技は区別がつかないのだという。それは本当なのだろうか、とね』
『なるほどそれは興味深い! ですが聖女、聖人の御技は神に与えられたもうたもの。私どもでも見分けがつかないものです。そのような常識を確かめてみようとは、殿下も酔狂でございますな』
おかしげに笑う大司教に対し、王子はもっともらしく頷いた。
『ああそのとおりだ、有史以来ずっとそう言われていた。だがなあ、我が友セルジュは見分ける方法があると語ってはばからないのだよ。というわけで、こんなものを託された』
王子が従者を呼び寄せて持ってこさせたのは、美しい台座に設えられた水晶だった。
『浄化された魔水晶を加工したものだそうだ。近くで使われた浄化の力に反応して、水晶が色づくらしい。俺も実際に見た。わずかな変化だったが確かに使う者によってなんとなく、変わるぞ』
「全く違いますよ」
エヴリーヌを抱いたままのセルジュが断言する。
エヴリーヌの視線に気づくと、訥々と続けた。
「私は、あなたが浄化した亡骸であれば、必ずわかります。採取した魔水晶の質が違う。穏やかで素直で、加工のしやすさが段違いです。だから、聖女の力にも個性がある」
『……まさか』
映像の向こうでも、大司教の顔色が変わる。そのようなものが開発されているとは思いもよらなかったのだろう。これで測定されれば、今までしていた聖女の功績作りのからくりがばれてしまうかも知れないのだ。
だがしかし、王子はそこには触れずにいっそ朗らかに語った。
『まあ、これを試してみるのはついででな。そういえば俺は千年に一度の逸材と誉れ高い聖女レティシアの御技を過分にもこの目で拝見したことがないのも事実だ。この際長年の疑念と不義理を解消しようとおもったのだよ。もちろん無理を聞いてくれた大司教殿には後々礼をしよう』
『私どもは神の御心のままに働いているだけのこと。ですが聖女レティシアとて、この穢れ森すべてを浄化するなど……そもそも現在穢れ森の担当は、あのエヴリーヌで……』
『いいえ』
司教と王子の会話に割り込んだのは、今まで人形のように佇んでいたレティシアだ。
凪いだ瞳をした彼女は、聖女として作り上げられたゆったりとした言葉遣いで続ける。
『聖女として、願われたのです。穢れ森を放置していたことこそ、教会としての恥でございましょう。わたくしの力の及ぶ限り勤めをはたします』
エヴリーヌは一瞬、大司教の表情にいらだちが浮かぶのを見逃さなかった。しかしすぐに柔和な色に取って変わる。
『聖女レティシアはまさに聖女の鑑ですな。ではその……計測器ですかなそれは……』
そのあたりで映像が切られる。
エヴリーヌは動揺のあまりセルジュを見ると、彼は静かに問い掛けてきた。
「どう、されますか」
「どうって……どうしろって言うのよ、私にはあなたがどうしようとしているのかがわからないわ」
震える声を絞り出すと、セルジュは少し考えるように沈黙する。
「証明をしたいと思いました」
「証明って、何を? 力の区別のしかた?」
「あなたの功績を」
ぐっと、エヴリーヌを抱く手に力が込められるのを感じた。
「あなたが罪人として穢れ森に赴任したと聞いたとき、先ず感じたのは怒りでした」
「たしかに、私のした仕事を知っていれば、噂の中身が事実無根だと思いますもんね。不正が嫌いなあなたなら、許せないでしょう」
「あなたが、不当に扱われていたのが許せなかったのです」
そらしていた視線が、強引に合わせられる。凪いでいるとばかり考えていた紫の瞳に強い熱が宿っていることに、今更気づいた。
「私は不合理なことは嫌いだ。だから合理的に動かないあなたがはじめは邪魔でしかなかった。強引に私を乱して、翻弄してくる。いらだちしかありませんでした」
「はは、それは、すみませんでした……お互い様ですからね」
「ですが不合理さを望む自分も現れたのです。あなたから目が離せず、仕事先で遭遇することを夢想するようになった。あなたが話しかけてくる第一声を想像して待つようになった――あなたのせいだ」
なじる言葉のはずなのに、エヴリーヌの胸が嫌なくらい高鳴った。
いつの間にか地上に降りてきたセルジュだったが、エヴリーヌを離そうとしない。
「私は、あなたと当たり前に会えるものと考えていた。私が魔法使いでいる限り、聖女のあなたは現れる。だが、確かなものなどなにもなかった」
「だから、私をもう一度聖女に戻すために、研究をして、浄化の力の測定器まで作って、私に会いに来ていたんですか」
「少し違います」
否定が返ってくると思わず、エヴリーヌは困惑する。
饒舌なセルジュだったが、けれど、はじめて躊躇いを含んだ。
「あなたの名誉は取り戻すつもりでした。だが私は、あなたが何を望むかまでは予測できなかった」
「国外に出るか、聖女に戻るか、という?」
エヴリーヌに、セルジュはこくりと頷く。
「あなたは、以前教会にいたときのように畑を耕し、平凡にゆったりと暮らしたいと言っていた。ならば、聖女である必要はない。あなたのことを誰も知らない国外に逃亡するのも合理的だった」
その答えに、エヴリーヌははっきりと落胆する自分を感じた。
「それで、私を逃がそうって、考えたんです? ひどいですね、ここまでして放り出すなんて」
明らかな非難混じりの言葉になったが、セルジュは微かに訝しげにする。
「国外逃亡を望むなら、荷物を取りに戻ります。半日待っていてください」
暗澹たる気持ちに浸っていたエヴリーヌだが、なんだか妙なことを聞いた気がした。
「……聞き間違いですかね。まるで一緒についてくるという風に聞こえたんですが」
「その通りです」
「ばっ……なに言ってんです!? 宮廷魔法使いさまがどうして追放された私についてくるんですか! あなたは何にも悪いことをしていないのに国外逃亡って、あなたが言う不合理そのものですよ!? 悪いものでも食べたんですか!?」
「悪くなったものは食べていませんが、あなたが居ない悪夢なら今も見ています」
そんな気の利いた返しをされるとは思わず、エヴリーヌが絶句する。セルジュは動揺も見せず、金色の髪を撫でてくる。
まるで、ここに居ることを確かめるようだった。
「合理では、あなたに近づけない。ならばあなたが望む行動を一つ一つ確かめてみるしかなかった。途中で正気に戻るかとも考えましたが、全く嫌にならなかったんです」
生真面目な顔は相変わらず、こんな時にもにこりとも笑わない。
なのに、言葉のすべてが、エヴリーヌの体温を上昇させる。
「一度目は、間に合わなかった。けれど二度目は逃しません。私にとっては、あなたを失うことのほうが不合理です」
「……それ、なんて言うか知ってます?」
震える声で、エヴリーヌがそれでも強がって問い掛けると、ほんの少し、かすかにだけセルジュの目元が緩んだ。
笑んでいるのだと、知るには充分なほど。
「私はあなたの愛を欲しています」
エヴリーヌは、たまらず彼の首に己の腕を絡めて抱きついた。
大きく喘ぐように息をして、この胸から溢れてしまいそうな歓喜の奔流を抑えようとする。
だが、セルジュに抱きしめ返されたことで、もう無理だった。
「全部あげますからもらってくださいこんちくしょう……っ!」
「……このような状況では、雰囲気というものを女性は大事にするのではないのですか」
「私にそういうの無理です。そもそもセルジュさんから愛の告白なんてものを聴けた時点であきらめてください。あなたが来るたびに、ずっと、ずっと律儀な人なんだから、もしかして口説きに来てる? って勘違いしちゃだめだと言い聞かせ続けてきたんですよ」
「意図は伝わっていたのですね」
「やっぱり口説かれていたんですか私!」
ばっと顔を上げて顔を見ると、セルジュは少しだけ不機嫌そうにしていた。
「ここまで、私が時間を使うのはあなただけです」
「そうでしたねあなたはそういう人だって一番知っているのは私でした」
自分の心も曇っていたらしい。はにかんだエヴリーヌだったが、ほんのりと目元を緩めていたセルジュがまたいつもの色に戻ったことに気づいた。
「どちらにしますか。聖女レティシアは、この場で自分の実力を明らかにすると語っていました。あなたがどちらを選ぼうが構わない。と」
「レティも覚悟を決めているんですね」
エヴリーヌは歓喜に染まった己の心に問い掛けてみる。
自分は何を望むのか。復讐か、それとも平穏か。
「セルジュさんは、私が何を選ぼうと」
「ついていきます」
問いにかぶせるように答えられて、エヴリーヌはまた笑う。ああ、ほんとうに自分をつなぎ止めていたのは、この人だったのだと自覚した。
体が軽い。心が軽い。
けれど、周囲に立ちこめるのは、穢れを宿した森である。
何百年とよどみを湛えて、晴れることのない絶望が宿る場所。
何をしたいか、決めるのはすぐだった。
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