第5話 「まあ、住めば都と言いますからね」

 エヴリーヌが家にいると、扉を叩く者がいた。

 いつもの調子でエヴリーヌは扉を開けたが、そこに立っていたのは黒髪のセルジュではなかった。

 黒地に浄化を象徴する銀と水晶が縫い付けられた聖女の装束を身につけた娘だ。

 彼女はレティシア・アンジェ。

 アンジェは聖女を示す姓で、聖女として認められると与えられる名誉あるものだ。

 エヴリーヌと同年代にもかかわらず、儚げに整った美しい顔立ちは、王城でも聖女の鑑として人々から羨望の的だった。

 多くの戦場を浄化し、恨みが染みついた魔物を鎮めた、まるで天の御使いのような娘だと言われている。

 だがしかし、今の彼女は公式行事で見せる慈愛を含んだ笑みではなく、憎々しげな表情でエヴリーヌを睨んでいた。


「エヴリーヌ。なぜ死んでいないの」

「開口一番それはないんじゃないですか? 私の仕事のおかげで、あなたは聖女でいられるんでしょうに」


 曖昧な表情でエヴリーヌが言うと、レティシアの美しい顔がいらだちに歪んだ。

 彼女が二の句を告げないうちにエヴリーヌは言葉を連ねていく。


「あなたが一人で行動しているのも珍しいですね。こんなあばら屋や穢れた森はあなたが一番嫌う場所でしょうしね。あっそうだここは穢れ森ですもん。浄化の力が使えないと10分で死にますもんね。保護の魔法が使える魔法使いや、浄化の力が強い聖人達だったら他人も一緒に連れてこられますけど、あなたの浄化力だったら一人が限度ですもんね愚問でしたっ!?」


 飛んできた張り手をエヴリーヌはのけぞって避けた。

 レティシアは頬を紅潮させて怒りと屈辱にまみれた顔で睨み付けている。


「その口の悪さは相変わらずね」

「これくらいは言わせて貰わなきゃ。じゃなきゃ悪逆聖女なんて言われた意趣返しにならないでしょう?」


 そう、エヴリーヌが王城に来て以降請け負った仕事は、ほとんどすべてレティシアが成したことになっていた。

 レティシアとエヴリーヌは顔立ちこそ似ていないが、金髪だけは似ている。今でこそエヴリーヌの金髪はくすんでいるが、聖女時代は見事なものだった。それだけはちょっとだけ自慢だったのだ。

 だが、大聖教は平民出身で面立ちはぱっとせず、淑女のようには振る舞えないエヴリーヌを認めなかった。

 だから、大聖教は浄化の力は低くとも、貴族出身で誰からも好まれる楚々とした淑女だったレティシアを「顔」にした。

 その、顔であるレティシアは忌ま忌ましそうにしながらも立ち去りはしなかった。


「わたくしに功績を奪われただけでなく、悪名をなすりつけられて、こんな場所に閉じ込められたのよ。たったそれだけ?」

「いやいやそんなわけないじゃないですか。もうちょっとましな食材を乗っけておいてくれとか、ちゃんと殺すんならしっかりと殺してくれなきゃダメじゃないですか。遺恨は残さないのが大事ですよ。あっそれとも万が一代わりが見つからなかったことを考えて、実績担当が見つからなかった用の予備ですかね」

「あなたの頭には花が詰まってるの!? 半年もあって死んだふりもできないなんて!」

 

 普段はほとんど感情をあらわにしない彼女が怒っているのに、エヴリーヌは困った顔で落ちつかせようとどうどうと手を出す。


「ちょっとちょっと、レティこれじゃあまるで逃げてくれって言っているみたいじゃないですか。私はあくまでここに赴任してきたことになっているんだから、放棄しちゃダメでしょう」

「あなたはもう聖女じゃないのよ! だからどこへ行こうが勝手にできるのよ!」


 レティシアに詰め寄られ、エヴリーヌは左の甲にある焼き印を覆う。

 だがそれでもエヴリーヌは微笑んでみせる。

 ぎゅっと歪ませながら、レティシアは血を吐くような声で言いつのった。


「怒ってよ、なじってよ。浄化の力は誰が使ったかわからないってだけで、ずっとわたくしはあなたの功績を奪ってきたのよ。なのに大聖教の奴らはあなたの口封じをしようとした。あなたは怒るべきなのよ……っ!」

「やっぱり、レティが手を回したんですね」

 

 エヴリーヌはレティシアが華々しく顔となっている間はお役目ごめんにならないと考えていたのだが、どうやらそれ以上にエヴリーヌの力は強かったらしい。レティシアの実力が怪しまれるようになった結果、別の実績担当を付けることにしたのだろう。

 本来ならば、事故死か不治の病を装って殺される所を、それを察知したレティシアが、ひそかに手を回して穢れ森に送り込んだのが今回の顛末なのだ。

 穢れ森では浄化の力を使える聖人聖女も生き残れない。遺体が見つからなかったとしてもおかしくはない。しかし、エヴリーヌならば、放り出された時にあった食料があれば、浄化の力を使いながら穢れ森を抜けて隣国へ逃げられる。

 指摘すると、レティシアは唇を戦慄かせたが、ぐっと眉を寄せて傲慢に語る。


「何を言っているの。あなたなんかとっとと穢れ森に飲み込まれて骨も残らず死んでしまえば良い」

「うんうんじゃあ勝手に話しますね。行きませんよ。だって今に満足してますから」

「こんな目に遭わされているのに!?」


 レティシアが指し示す掘っ立て小屋の質素な……いいや牢獄のような部屋を振り返ったあと、エヴリーヌはもう一度レティシアを振り返った。


「まあ住めば都と言いますからね」


 今度こそ頬をはたかれた。

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