王蘭玲と一緒に

……………………


 ──王蘭玲と一緒に



 東雲はデートの準備を整えた。


「どうよ?」


「似合ってるよ。男前だね、東雲。惚れちゃいそう」


「また馬鹿にしやがって」


 ベリアがからかうように言うのに東雲が新しく買ったカジュアルな服をチェックしていた。服屋のコーディネイトボットに選んでもらったものだ。今は限定AIがファッションの組み合わせを推奨している。


「じゃあ、晩飯も食って来るから。お前たちは自分で済ませてくれよ」


「オーキードーキー。楽しんできてね」


「あいよ」


 東雲がアパートを出る。


 王蘭玲とは彼女のクリニックで待ち合わせだ。王蘭玲は今日もクリニックにいるものの、クリニックそのものは定休日である。


「ようこそ、東雲様。王蘭玲にご用事ですね?」


「そ。頼むぜ、ナイチンゲール」


 東雲はナイチンゲールにそう言って待合室の椅子に腰かける。


「待たせたね」


 それから診察室から王蘭玲が姿を見せた。


 いつもの女医としての格好ではなく、ある程度カジュアルでありながらドレスコードに沿った服装をしており、王蘭玲自身の魅力が引き立てられていた。


「先生。いつものように美人だね」


「また君は。君も随分とハンサムじゃないか」


 東雲が小さく笑って立ち上がり、王蘭玲がそう返す。


「じゃあ、行こう、先生。エスコートするよ」


「任せよう」


 東雲と王蘭玲はセクター13/6を出てセクター4/3に向かった。


 セクター4/3は準六大多国籍企業ヘックスの社員などが利用する娯楽地域として整備されている。ショッピングからリラクゼーション、観光に食事。


「実を言うとベリアが選んでくれたんだけど」


「仕方ない。君はマトリクスには潜れないのだから。それでまずはどこに?」


「本屋」


 東雲はそう言って大きな書店に入った。


「本屋とはクラシックな志向だね」


「今の本屋はほとんどがマトリクス上にテナントを持ってるオンラインショップで、販売されているのもマトリクス上で眺める電子書籍だからね。でも、ここは昔ながらの物理書籍と店頭で選べる電子書籍がある」


「珍しいね。なかなか面白い場所だ」


 東雲たちは物理書籍の並ぶ書店の様子を見渡した。


「作者によっては今でも電子書籍の形式での販売を嫌って物理書籍でしか出さないこともあるらしいよ。そういう本を扱ってる店でもある。ベリアが言うには海外の本もあるってさ」


「そういう話は聞いたことがあるね。小説家という職業にある種の古典的拘りを持っている人々もいる。現行も原稿用紙に手書きし、郵送で編集部と原稿をやり取りし、紙の本を出すということが小説家だと思っている人々」


「マトリクスで何でもできる世の中じゃ、昔ながらの物理書籍の出版なんてある種の伝統芸能みたいなものだけど、俺は好きだよ」


「ある種の歴史的な拘りというのはそれだけでコンテンツになり得る。物理書籍という拘りは今も保存されている人類の文学的歴史を保存しているものだね」


「俺は昔の人間だから懐かしいって思うよ。映画も、音楽も、ゲームも全てBCI手術が必要な世の中で物理書籍だけは以前のままだから」


 王蘭玲がそう言いながら並んでいる本を眺めるのに東雲も歴史小説の棚を見渡した。


「小説もそうだけどマンガなんかも結構物理書籍で出てるんだよね。マンガってのそれなりに歴史があるものだし、昔ながらのコレクターは本棚にマンガを並べるのを楽しんでいるって」


「マンガはカバーすらアートだからね。今も多くの歴史的な絵画が美術館で芸術をして飾られているようにマンガも美術品として楽しむことができる」


「芸術っていうほど高等な趣味とは俺は思えないけど、マンガはやっぱり本棚に並べたいね。電子書籍ってのはちょっと味気ない」


 東雲はそう言ってマンガを一冊手に取った。


「先生。この本、読んだことあるかい? 面白いマンガだよ」


「マンガは昔読んでいただけだね。最近のものは知らない。君のおすすめなら読んでみようかな」


「じゃあ、買っておくおくよ。俺からのプレゼント」


「ありがとう」


 東雲はマンガをセクター一桁代にある高級店舗らしく人間の店員がいるカウンターでラッピングしてもらい清算を済ませた。


「やはり技術書の類は電子書籍オンリーだね。あるのは文芸作品がメイン。青少年向けの児童書やライトノベルもBCI手術を受けていない子供たちのために物理書籍で出版。おや。この本は懐かしいな」


 王蘭玲がそう言って、文芸コーナーから一冊の本を取った。


「何の本だい、先生……」


「昔、気に入っていた小説だ。こう見えて研究者になる前は作家になりたかったんだよ。当然というべきかSF作家にね。けど、どうも私に文系の才能や素質はないと分かって諦めたんだ」


「SF小説はあまり読んだことがないな。俺は時代小説が好きだね。けど、SF小説にも興味があるよ」


「そうかい。なら、これは私からのプレゼントだ」


 王蘭玲はそう言って小さく微笑み、SF小説をカウンターに持っていった。


 東雲と王蘭玲はそれから暫く本屋を見て回るとあれこれと本についての感想を伝え合って、本屋を出た。


 それからセクター4/3にある企業の重役たちが利用するレストランに入る。


 東雲と王蘭玲はランチをオーダーし、テーブルで向かい合った。


「君はこういう高い店にも慣れているのだね?」


仕事ビズでいろいろな場所で食事する機会があったからね。ニューヨークじゃ本物のステーキを食べたよ。まあ、イギリスに行ったときはあまり食事の機会はなかったけれど」


「私も研究者だったときは学会の発表や合同研究の打ち合わせで飛び回ったよ。研究者というのは今のご時世恵まれた身分でね。大抵は親切な六大多国籍企業ヘックスの人間はいろいろと便宜を図ってくれる」


「けど、そいつはただの親切じゃないだろ? 連中は必ず見返りを求める」


「その通り。六大多国籍企業は研究者を監視し、成果を狙っている。有望な学生には大学時代から六大多国籍企業が干渉してくる。大学の運営にも彼らが少なからず関わっているので驚くべきことではないが」


「六大多国籍企業は技術を独占することでのし上がる。メティスのナノマシンと人工食料がいい例。皮肉だけど連中が科学に投資しまくることでこの世界は発展しただろうね」


「国家主導の研究体制はほぼ崩壊した。今の大学は六大多国籍企業から融資を受けて経営されている。東京大学も京都大学も。富士先端技術研究所も本来は半官営半民営の研究所だったが研究所が全ての株式を買い取って民営化した」


 ローレンス・リバモア国立研究所やロスアラモス国立研究所も民営化されて、六大多国籍企業に買収されたと王蘭玲は語る。


「ふうむ。六大多国籍企業も少しは環境改善や健康維持のための科学技術に投資してくれればいいのにな。魚は取れなくなり、牛も、豚も、鶏も絶滅して、あちこちに酷い汚染が残ってるのに」


「無論、彼らもこの惑星が生存不可能な環境に変わることを望んではいない。産業革命時代から増え続けた温室効果ガスによる致命的な気候変動が起きる前に六大多国籍企業はそれぞれの技術を出し合ってナノマシンを散布した」


「地球温暖化ってのはそれで防げたのかい?」


「防げた。もっとも影響は少なからずあったが。洪水と干ばつ、海面上昇によって数百万人が難民になり、生活の糧を失った。穀倉地帯も荒野となりはて、飢餓が世界中で蔓延して地獄を演出した」


「メティスは……」


「彼らが人工食料を本格的に供給し始めたのは穀物に感染し、壊死させるウィルスであるネクログレイ・ウィルスのアウトブレイクが始まってからだ。それまでは彼らは発展途上国が飢えようが知らんふりをしていた」


「金がなければ顧客じゃないってわけか」


「六大多国籍企業は資本主義を信奉している。それは時に非人間的なまでに残酷だ」


「全く」


 王蘭玲が肩をすくめるのに東雲もため息を吐いた。


「六大多国籍企業はどんどんデカくなって、経済活動は拡大を続ける。汚染は省みられることなく放置されて地球の環境は滅茶苦茶」


「何も六大多国籍企業のせいだけじゃない。ネクログレイ・ウィルスの発生地点はイスラエルが核攻撃した中東の実験的な人口水耕栽培施設だという説もある。イスラエルは第六次中東戦争で核攻撃を大規模に行った」


「聞いたよ。それでアメリカが介入してイスラエルがなくなっちまったんだろう。あそこはずっと紛争の種だったけど、こういうオチになるとはね」


「イスラエルが完全に消滅したわけじゃない。イスラエル共和国暫定政権は今も国連UNパレスチナ活動PALの下に存在する。国連は最終的にパレスチナ・イスラエル連合共和国を立ち上げることを構想している」


「上手くいくのかい、それ……」


「中東はイスラエルの核攻撃で滅茶苦茶になった。現地の反イスラエル感情は病的なまでに高い。既にイスラム教徒たちの報復を恐れて多くのイスラエルの国民がドイツ、フランス、イギリス、アメリカに亡命した」


「そんな中でイスラエルの名を冠した国家が成立するかってわけか」


「そういうことだ。国連が国連UNパレスチナ活動PALと称しているのは国際世論に配慮した上でのことになる。第六次中東戦争は第三次世界大戦を上回る悲劇だった。ヒロシマとナガサキの神話が終わったんだ」


「核兵器の実戦での使用」


「そう。そして、核兵器で世界は終わらなかった。人類の歴史は何事もなかったかのように続き、第六次中東戦争に続く第三次湾岸戦争が勃発した。国家が崩壊し、軍閥が跋扈する中東で争いが続いた」


「戦争は続くよどこまでもか。地獄だな。中東が滅茶苦茶になって、ロシアも内戦になったら石油価格の高騰で六大多国籍企業も大打撃を受けたんじゃないか」


「いいや。そのころには富士先端技術研究所、大阪大学、プリンストン大学が共同研究の末に生み出した核融合技術が一般化していた。それに気候変動に備えて化石燃料への依存度を経済界は急速に減らしていた」


「石油、天然ガス、石炭。そういうのは産出地によっては政治的リスクもあるしね」


「そうだね。その手のリスクは第三次世界大戦で顕在化していた。中国が西側との戦争に突入したことで地下資源の供給が混乱し、経済に大きな影響が出た。それがきっかけとなり六大多国籍企業の資源獲得競争が始まる」


「国家による資源管理はもはや信頼に足らず。自分たちが直接資源を確保する。そんなところかね」


「その通りだ。六大多国籍企業の傀儡になりはてた国連がいくつもの国連活動を発足させ、六大多国籍企業の民間軍事会社PMSCが国連軍の旗を掲げてあちこちに軍事介入していった」


 中央アジア、アフリカ、ロシア。


「国連軍の質がどん底とは聞いたけど、それを聞くと納得できるな。大井統合安全保障のような連中が派遣されている戦場で人権侵害がないはずがない」


「民間軍事会社の倫理観ついてはいつも警笛が鳴らされていた。エグゼクティブ・アウトカムズから始まった新しい傭兵の形は世界的に普及し、冷戦終結後に起きたあらゆる戦争に関わっていったからね」


「イラク戦争──今は第二次湾岸戦争って言うんだっけ──で起きたブラックウォーター社の不祥事やアブグレイブ刑務所の事件からその手の危険性はあった。だよな?」


「ああ。だが、もはや国家の有する正規軍は民間軍事会社の支援なしに作戦行動を行えないのが現状だ。それは未だ世界最大の軍隊を有しているアメリカにおいてもそうであり、この日本においても同様だ」


「多少の人権侵害を見逃してコストを削減。資本主義だね」


「多少、で収まるかは分からないが。企業にはデューディリジェンスに配慮しなければならないという規制が以前はあったが、六大多国籍企業の支配が拡大するにつれて人権も倫理も無視され、帝国主義時代の資本主義が復活した」


「ようこそ弱肉強食の世界へ、紳士淑女の皆さんってか」


「全く。どこまで人間が強欲になれるのかの社会実験でもやっているようだよ。奪え、奪え、奪え。モンゴル帝国の侵略のようだ」


「走り続けないと溺死する世界はつらいよ。俺たちも」


「本当だね。逃げたくなるよ。時々ね」


 王蘭玲はそう言って白ワインを口に運んだ。


「お待たせしました。本日のランチとなります」


 それから給仕がやってきて色鮮やかで食欲を誘うランチのプレートを並べた。


……………………

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