企業亡命//カオス

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 ──企業亡命//カオス



 引き抜き実行日。


 現地時刻正午丁度にブロードウェイ、マディソン・スクエア、タイムズスクエア、ウォール街でゴミ箱や駐車中の車から突然緑色のガスが噴出した。


 同時にマトリクスと電波ジャックされたラジオ、テレビで民兵ミリシアであるニューヨーク・リバティ・フロントから人体に有毒な神経ガスであるエージェント-27Aを散布したとのテロ予告が流された。


 ニューヨークは大混乱に陥った。


『アーチャー・ゼロ・ワンより本部HQ。チェックポイントが突破されたことを確認した。民兵ミリシアだ。高威力の銃火器で武装。指示を求める』


本部HQよりアーチャー・ゼロ・ワン。指定地点まで撤退。現在ニューヨーク市はテロリストによる化学攻撃を受けている。化学戦部隊が展開するまで安全地帯まで撤退し待機せよ』


『アーチャー・ゼロ・ワンより本部HQ、了解』


 ニューヨークに展開中のALESSのコントラクターがチェックポイントを越えて侵入してきた民兵ミリシアと応戦していた。


 民兵ミリシアはニューヨーク州の州法に定められた銃規制以上の銃火器で武装し、12.7ミリ重機関銃をマウントしたテクニカルでマンハッタンに押し入った。


 全員が防護装備を身に着けている。


本部HQよりニューヨーク市に展開中の全部隊へ。ディレクティブ72を発令。繰り返す、ディレクティブ72を発令。直ちに配置につき、全ての障害を排除せよ』


 ディレクティブ72。ニューヨーク市で化学テロが起きた場合を想定したALESSの緊急命令だ。全ての部隊が防護装備を装備し、治安回復と除染を行う。


 この間、ニューヨーク市全体に非常事態宣言が発令される。


「敵は経済中枢を狙ってきた。ペイルサマー演習の想定通りだ」


 ALESSのマトリクス上でニューヨーク管轄イザック・アルグー司令官がそういう。


「現在緊急即応部隊QRFの化学戦部隊が汚染源に向けて展開中です、中将閣下。侵入した民兵ミリシアに対してはハンター・インターナショナルから無人攻撃ヘリが出撃準備中」


「急がせろ。ディレクティブ72発令下ではハンター・インターナショナルの動員も許可される。それから混乱はまだ広がるぞ。民兵ミリシアが暴れれば他も暴れ出す。治安回復のためには全て制圧しなければならない」


 イザックが指揮下の部隊にそう命じる。


「ペイルサマー演習の通りなら第二撃の可能性もあります。住民が退避したところを退避したシェルターに対して攻撃する。あるいは除染部隊を攻撃する」


「あり得るな。民兵ミリシアによる攻撃も、経済中枢を狙ったテロ攻撃も、それに伴って発生した暴動も、全てペイルサマー演習のままだ。防護装備の配布を急げ。化学戦部隊の護衛が必要だ」


 ALESSとハンター・インターナショナル、そしてニューヨーク州自治政府はニューヨーク市をターゲットにした大規模化学テロを想定した演習を以前から行っていた。


 それがペイルサマー演習。


 ペイルサマー演習では正確な住民の退避とALESS及びハンター・インターナショナルによる早期の治安維持活動によって犠牲者をニューヨーク市の住民20%までに抑えられると想定されていた。


 そして、死者のほとんどは化学テロそのものではなく化学テロによって誘発される暴動によるものだった。


民兵ミリシアとの戦闘発生。クイーンズボロ橋のチェックポイントです。敵は防護装備を装備しています。また化学兵器らしきものを所持との報告」


「叩き潰せ。これ以上ガスを撒かせるな。安全地帯のチェックポイントにコントラクターを集めて、区画封鎖を実行しろ。ハンター・インターナショナルは?」


「ディレクティブ72で計画された命令に従って行動中。防護装備を備えた空挺部隊がマンハッタンに向かっています。核兵器N生物兵器B化学兵器C防護装備の整った空挺戦車も展開準備中」


「暴動の鎮圧は初動の動きにかかっている。こちらが鎮圧する意志を明確に示さなければ暴徒は暴れ続ける。時として流血が平和を守ることもある」


 ペイルサマー演習にはイザックもALESS側の司令官として参加している。彼は暴動によって犠牲者が拡大することを知っていた。


 今のアメリカは分断国家だ。人種で、財産で、環境で人間が分けられている。このアメリカは今や巨大な弾薬庫なのだ。


 ひとたび混乱が起きれば瞬く間に炎は広がる。


 鬱屈した貧困層が混乱を撒き散らすのだ。


「パトロールの被害甚大。武装した暴徒に襲われて指定されたチェックポイントに到達できないコントラクターが相次いでいます」


「予定通り行動できなかった部隊を救助する余裕はない。とにかく指定地点に部隊を結集させ、区画の安全確保に急げ。全ての武器兵装の使用を許可する。チェックポイントを不法に越えたものは敵と判断していい」


「了解。ディレクティブ72における交戦規定ROEに変更してよろしいですか」


「そうしろ。直ちに」


 ALESSのコントラクターによる全面的な発砲許可が出される。


「放火による火災が広がっています。消防が出動中。救急はもう全て出動しました。汚染地域付近の住民の治療を優先しています」


「今のところ化学兵器による被害は?」


「のどの痛みや目の痛みを訴えている市民がいます」


「神経ガスにしては妙な症状だな。散布されたのがエージェント-27Aだとすると殺傷量が低い。手製の化学兵器か?」


「あり得ます。1995年の東京での地下鉄に対する化学テロでは手製の化学兵器だったために殺傷力が低かったと報告されています。これも民兵ミリシアの手製化学兵器なら殺傷力が低いのも頷けます」


「いずれにせよ除染を急がなければ碌に行動できない。ドローンを飛ばせ。生体認証スキャナーによる認証は当てにするな。もう破壊されているものが多い。ドローンを飛ばして街の戦況を確認しろ」


 消防も救急医療も民営化されアトランティスの系列企業が引き受け、今はディレクティブ72発令下によってALESSの指揮下にある。


「化学兵器の被曝者は指定された医療機関に集めろ。二次汚染を防ぐために除染が済むまでは隔離しておけ。抵抗したら拘束していい。医療機関にもコントラクターを集めて、群衆を整理するように」


 そう言いながらイザックはドローンの映像を見た。


 ニューヨークが燃えている。放火によって燃え、略奪が行われている。


「ドローンからの攻撃を許可する。ディレクティブ72発令下での交戦規定に則って攻撃せよ。銃で殺すのもミサイルで殺すのも変わらん」


「了解。攻撃を指示します」


 次の瞬間、ドローンからミサイルが発射され略奪を行っている暴徒たちが吹き飛ばされた。辺りに人間だったものが飛び散る。


「セントラルパークにハンター・インターナショナルの空挺部隊の第一波が到着。展開を開始します。空挺戦車とアーマードスーツも展開を開始。また空輸部隊によって防護装備が到着しています」


「よろしい。事態の鎮静化を急がなければならない。遅れれば遅れるほど経済に影響が出る。暴徒がいくら武装していようと戦車とアーマードスーツには敵わん。民兵ミリシアにしたところでな」


 イザックはそう言ってドローンからの映像を眺めた。


 だが、彼は気づかなかった。


 ヴァンデンバーグ人工島に向かっているALESSの軍用輪駆動車には。


 場がフリップする。


「いよいよ混乱も広がってきたな。俺たちの仕事ビズが始まるぞ」


「準備は万端か?」


「ああ」


 ALESSの制服を着た呉が尋ねるのに同じくALESSの制服を着た東雲が頷く。


「色男さんたち。仕事ビズを始めるよ。気合を入れな」


「任せろ、セイレム。ベリア、準備はいいか?」


 運転席に座るセイレムが尋ねるのに東雲がARデバイスでベリアに連絡を取る。


『いつでもどうぞ。私とロスヴィータはALESSのセキュリティシステムの一部をハックしてALESSの構造物の中にいるよ。君たちを研究所内にエスコートするのと君たちがしくじったときにALESSを攪乱する』


「上出来。そのままALESSをマトリクス上で見張っておいてくれ。これからヴァンデンバーグ人工島に乗り込む。IDが通用することを祈るよ」


 東雲はベリアとの連絡を切った。


「マトリクスでも準備ができてる。さあ、行こうぜ。仕事ビズだ」


「出発進行」


 セイレムがALESSの軽装甲が施された軍用四輪駆動車をヴァンデンバーグ人工島に繋がる橋に向けて進めた。


 ヴァンデンバーグ人工島にマンハッタンから通じる橋はロナルド・レーガン橋と言い、真っすぐヴァンデンバーグ人工島に繋がっている。


「止まれ」


 そして、チェックポイントでALESSのコントラクターたちが車を停車させる。


 チェックポイントは土嚢が積み上げられ重機関銃が据え付けられている。


「司令部からの命令だ。ディレクティブ72。あたしたちは重要施設の警備に回された。ほら、命令書だ。確認してくれ」


「ああ。確認した。しかし、ディレクティブ72とはな。未だに信じられない」


「ニューヨークはカオスそのものだよ。お互い仕事ビズをしようぜ」


「ああ。俺たちはここを死守するように命令されている」


 ALESSのコントラクターはセイレムたちの偽装されたIDと命令書を疑わず、チェックポイントを通過させた。


「ヴァンデンバーグ人工島の警備はかなりのものだったんだろう……」


「そこら中に重武装の装甲車両だ。見つかったら蜂の巣だぞ」


「スリルがあっていいね」


「俺は胃に穴が開きそうだよ」


 セイレムが笑うのに東雲が愚痴る。


「……東雲。ここに私のジョン・ドウはいると思うか?」


「いいや。ジョン・ドウは六大多国籍企業ヘックスの汚れ仕事をやる。六大多国籍企業はブランドイメージのためにもジョン・ドウ、ジェーン・ドウとの関係を否定する。だから、ここにいる可能性は限りなく低い」


「そうだな。私もそう思っていた」


 東雲が説明するのに八重野が頷く。


「ちゃんと警官や軍人より高報酬で雇われ、それでいて義務はなく、権利だけを主張する傲慢な民間軍事会社PMSCらしくしておけよ。チェックポイントはまだまだあるんだからな」


「嫌な芝居をさせられるな」


 呉がそう言い東雲がため息を吐く。


『エキドナ・ゼロ・ワンより本部HQ民兵ミリシアは次のターゲットにヴァンデンバーグ人工島を選んだ模様。増援を派遣する』


 ALESSの無線通信が傍受される。


「ハッカーが上手くやったな。これであたしたちは研究所に堂々と押し入れる」


「ベリアとロスヴィータ様様。最後の難関であるレベル1のチェックポイントが通過できれば文句なし」


 セイレムが小さく笑い、東雲が周囲を見渡す。


 高層ビルが立ち並び、それでいて緑化された公園などある。全てがアトランティスの所有物でALESSの軍用四輪駆動車とコントラクターが展開している。地対空ミサイルを装備した車両もあった。


「研究所に押し入ったらスピードが重要だな。ゆっくりしているとそこら中にある地対空ミサイルに叩き落とされる」


「研究者がだだをこねないことを祈るのみだ。企業亡命ではよくあることだが、研究者や技術者は土壇場になって元の職場に執着心を見せることがある。強引に連れ出すとなるとタイムロスだ」


 東雲が言うのにセイレムがそう言った。


「大人しくついてきてくれることを祈るしかないな。客商売ってのは難儀なものだぜ。お客様は神様ですってか」


「神なんていない。とっくの昔にくたばった」


 呉がそう言いながらALESSの軍用四輪駆動車から状況を眺める。


『セントラルパーク前線基地より展開中のALESS及びハンター・インターナショナルの全部隊へ。暴徒がブルックリン橋付近に集結中。緊急即応部隊QRFは汚染源に対して展開中につき余剰戦力はブルックリン橋に向かえ』


『ドーントレス・ワン・スリーよりブルックリン橋に展開予定の全部隊へ。ブルックリン橋の暴徒はMANPADS及び自走対空砲で武装。航空部隊は警戒せよ』


『チェックポイント・ウィリアムズバーグより本部HQ! 近接航空支援CASを要請! 南軍の旗を掲げた重武装の暴徒がチェックポイントに押し寄せている! 敵はドラッグを使用している! 来たぞ! 撃て、撃て!』


『ホワイト・ダガー・ゼロ・ツーよりチェックポイント・ライカーズ。これより近接航空支援を行う。オーケー、目標のストロボを視認。攻撃を開始する』


 ALESSとハンター・インターナショナルの混乱した無線通信が流れてくる。


「大混乱。カオスそのもの」


「好都合だな。恐らくリアムはペイルサマー演習について知っていた」


「ペイルサマー演習?」


「こういう事態を想定した演習だよ」


 呉はそう言って助手席からヴァンデンバーグ人工島の様子を見た。


 上空をドローンが飛び交っている。警戒態勢だ。


……………………

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