調査//統合

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 ──調査//統合



 ベリアはマトリクスからログアウトした。


 ジェーン・ドウに売れそうなネタは少ないが、一先ずはこの辺りだ。


「おう。起きたか。昼飯買ってあるぞ」


 ベリアがダイニングに顔を出すと東雲がそう言って、テイクアウトの中華をテーブルに並べた。いつものように安っぽい食事だ。


「何か情報は手に入ったか……」


「あんまり。そっちは何かあった?」


「ああ。ハッカーの死体を見つけた。有名なハッカーだと八重野は言っていた」


「へえ。なんて名前?」


 ベリアが中華にフォークを指しながらそう尋ねる。


「“レックス・ジャック”。マトリクスじゃストロング・ツーって知られていたらしい。俺にはさっぱりだが」


「え? それ、本当? 本当にストロング・ツーだった?」


「ああ。心臓麻痺でくたばったとさ」


 東雲はそう言って炒飯を口に運んだ。


「そのハッカーはね、有名だったんだ。あのマトリクスの魔導書に接触したって」


「は? ストロング・ツーってトンチキな男はマトリクスの魔導書に接触したハッカーだったのか?」


「うん。ここ最近姿を見せないから現実リアルで死んだんじゃないかって噂されていたけど、本当に死んでいたなんて」


 ベリアがそう言って考え込む。


「君たちが殺したわけじゃないよね?」


「俺が到着したときには死んでたよ。メディカルログでも心臓麻痺だと」


「ふうむ。六大多国籍企業ヘックスに喧嘩を売ったから、殺された方がある意味では安心できるんだけど。ハートショックデバイスかな」


「陰謀論だろ、それ。俺だって信じてないぞ」


「それぐらい今回の事件は奇妙だってこと。君たちがハッカーの居場所を掴んだってことは、ジェーン・ドウもある程度は居場所が分かってたってことでしょ?」


「ジェーン・ドウでも手ごまを上手く使えば俺たちなしで掴めたかもな」


 東雲はジェーン・ドウがサイバーデッキを抱えてハッカーが逃げたことに言及していたのを思い出す。


「それでいて殺されなかった? 君たちの仕事ビズが殺しだったとか?」


「いいや。ジェーン・ドウはそのハッカーと話がしたいから連れてこいってことだった。まあ、死んでいても文句は言われなかったがな」


「ふうむ。ジェーン・ドウは私にマトリクスの魔導書について調べるように言い、君にはマトリクスの魔導書に接触した人間を調べさせた。これって偶然だと思う?」


「どうだろうな。俺たちはあの腐乱死体がマトリクスの魔導書に接触した人間だと今知ったところだ。ジェーン・ドウは何も言わなかった」


「だろうね。仕事ビズに関係する以上の情報は与えない。どうせ、私たちが答え合わせをするのは分かっているはず」


 ベリアはそう言って青椒肉絲を口に運んだ。


「で、こうなるとマトリクスの魔導書はどういう扱いになる……」


「これまではハッカーに天啓を与えるものだと思われていた。だが、ハッカーは死んだ。それも心臓麻痺なんていう胡散臭い死に方で。どうにも妙だ。ハッカーが、それも調子に乗ったハッカーの死因として心臓麻痺ってのはおかしい」


 誰かに殺されている方がよほど納得できるとベリアは言った。


「じゃあ、なんだ。マトリクスの魔導書に呪い殺されたとか?」


「考えてみて、東雲。マトリクスの魔導書に記されていた魔法陣と八重野君の背中の魔法陣には同じ規則性があったんだ」


「ってことは、呪いってのはマトリクスの魔導書が」


「あるいはマトリクスの魔導書は呪いの技術を応用して作られたもの」


「しかし、ハッカーは一時的にだが、凄腕になったんだろう?」


 だったら、八重野はどうして凄腕のハッカーにならないんだと東雲が尋ねる。


「分からない。人の才能を引き出すのかも。死と引き換えに」


「となると、ますます謎だな。そんな意味不明な呪いをどうして八重野のジョン・ドウは使い捨てディスポーザブルにする八重野にかけたのか」


「そうだね。奇妙ではあるけど、白鯨の時と同じかもしれない」


 ベリアがそう言って空になった紙箱をゴミ箱に捨てる。


「白鯨と同じ?」


「魔術について製作者自身も完全に理解できてるわけではないってこと。オリバー・オールドリッジはロスヴィータのホムンクルスの技術を盗んで白鯨を作ったけど、メティスとしては魔術を理解できているわけではない」


「メティスは魔術を取得したわけではないのか」


「幸いなことにね。彼らは今のところ新しい学派を興すほどの知識はないと見える」


「魔術ってのがマトリクス上で機能するって説明するだけでも面倒くさいだろうしな」


 それにこの世界には魔術の基礎となる学問が発達していないと東雲はいう。


「そう、基礎がない。錬金術にせよ、魔術にせよ、この世界には私たちの世界にはあった体系化された学問がない。ハッカーたちはマトリクスで魔術を解析しているけれど、それはあくまで経験則的なもの」


「であるからにして、マトリクスの魔導書に関しても作った人間は意味が分かってないかもしれないと」


「そういうこと」


 ベリアはそう言って頷いた。


「それでも八重野とマトリクスの魔導書がかなり結びついて来たな。マトリクスの魔導書に白鯨のコードがあったことを考えると八重野のジョン・ドウはメティス?」


「分からない。もはや、白鯨の技術はメティスだけの特権じゃなくなりつつある。マトリクスのハッカーたちが解析できているんだ。六大多国籍企業の力ならばもっと利用できているはず」


「また白鯨みたいなのを相手にするのは勘弁してもらいたいな」


 東雲は心底嫌そうにそうぼやいた。


「可能性としては低いと思う。マトリクスの魔導書には白鯨由来のコードが含まれているけれど、白鯨と違って攻撃的じゃないから」


「それはそれでどうして存在しているのか意味が分からないけどな」


「だよね」


 そこが論点になったとベリアは言う。


「おっと。ジェーン・ドウから呼び出した。セクター6/2のバーに来いとさ」


「ロスヴィータにも声をかける?」


「調べものの最中だろ? 俺たちだけでいいさ」


「じゃあ、行こうか」


 東雲とベリアは家に厳重にカギをかけて外に出た。


「八重野君は?」


「あいつには何かあった時のために残っておいてもらった方がいい」


「オーキードーキー」


 東雲たちは駅に向かい、電車に乗り込む。


「車が欲しくなってくるな」


「君の免許、偽造じゃん。大井統合安全保障に捕まったら面倒なことになるよ」


「世知辛い」


「いいじゃん。TMCには発達した鉄道網があるんだから。何かあれば私が足は準備するよ。仕事ビズの際にはね」


 電車はTMCのセクターを上っていき、セクター6/2に到着する。


 ナイトタウンとして有名な繁華街は昼間でも盛り上がっている。


「日の高いうちからバーとは堕落してるが」


「本当。こんな時間からお酒飲むものじゃないよ」


 東雲とベリアはそう文句を言いながら、ジェーン・ドウに指定されたバーを訪れた。


「遅いぞ」


 ジェーン・ドウがいつものように文句を言って出迎える。


「それからセクター一桁代に来るときはちゃんとした格好しろ」


「どうせすぐ帰るからいいだろ」


「目立つんだよ」


 ジェーン・ドウはそう言って、個室に向かうといつものように技術者が東雲とベリアのチェックをして出ていく。


「興味深い情報が手に入ったから教えてやる。マトリクスの魔導書に関することだ」


「あれについてはあまり報告できる情報はないよ」


「だろうな。今のところ、事態は落ち着いてるが、確かな脅威になっている。国連チューリング条約執行機関の本部がクラックされた。内部情報100万点が流出したところだ」


「わお」


 ジェーン・ドウの言葉にベリアが目を見開く。


「どうにもこうにもマトリクスの魔導書は混乱の種だ。クソみたいな餓鬼に企業情報やらを流出させる。電子掲示板BBSなんかでも目立ちたがりのハッカーが騒いでいただろう?」


「まあね。けど、どうもマトリクスの魔導書は万能ではないような気がするよ」


「ということは答え合わせは済んでいるわけだな」


「それは当然」


 ベリアは東雲の方を向き、ふたりして肩をすくめた。


「で、死んだハッカーの死因がマトリクスの魔導書だって話か?」


「そういうことだ。あれからメディカルログを詳細に調べ、解剖もしたが、健康そのものだった人間が突然心臓麻痺を起こして死んでる。ハートショックデイバスなんて陰謀論は持ち出すなよ」


「持ち出さねえよ。あんたにとってはいいニュースじゃないか。マトリクスの魔導書に関わった人間は最終的には死ぬ」


「クソみたいな混乱を撒き散らしてな。こいつは白鯨ほど攻撃的じゃないそうだが、厄介さは白鯨級だ。そして、俺様たちはメティスがこいつに関わっているとみている」


 ジェーン・ドウはそう言って東雲たちを見た。


「あのちびのサイバーサムライ。あいつのジョン・ドウは今のところ分からないが、メティスかもしれないと伝えてやれ。次の仕事ビズでやる気が出るだろ」


「また無責任な。いい加減な情報で踊らせてやるなよ。マトリクスの魔導書のことが本当なら、あいつは2年後にはあのハッカーと同じように原因不明の心臓麻痺でくたばることになるんだぜ」


「だからこそ、その2年間を俺様のために有効活用してやるんだよ」


「どういう神経してんだ、あんた」


 東雲は心底呆れたようにそう言った。


「その言いぶりからするとメティスと戦争でもやるつもり?」


「もう始まっている。メティスからのAI技術者の引き抜きを六大多国籍企業はどこもやってる。メティスの混乱に乗じた企業亡命だ。それにメティスの理事会より下はキレ散らかして、メティスの保安部が技術者を殺しまくっている」


「メティスからの反撃が怖いんじゃない?」


「そうだ。メティスも黙って殴られたままで終わりにはしないだろう。そこで連中の手にマトリクスの魔導書があるとなると面倒なことになる」


「マトリクスの魔導書はある種の電子兵器ってわけだね」


 六大多国籍企業や軍のアイスすらものともしない兵器とベリアは言う。


「メティスからの反撃はあるだろう。電子デジタル的な報復も、物理フィジカル的な報復も。どちらも想定しなければならない」


「で、前にテロを防いだみたいに俺たちに働けと」


「ローテク野郎にしては察しがいいな。そういうことだ。お前たちはまずは守りに回れ。メティスが動けば経済的要衝であるTMCは間違いなく戦場になる」


「あいよ。前は呉がいてくれたが今回は俺だけかい?」


「違うだろう。今回はあのちびのサイバーサムライがいるだろ。使え」


 ジェーン・ドウは突き放すようにそう言った。


「何のためにわざわざ生かしておいたと思ってる。俺様があのちびのサイバーサムライが使い捨てディスポーザブルにされて同情したとでも思っているのか」


「はいはい。使えるものは使いますよ。しかし、八重野の本物のジョン・ドウはちゃんと探してほしいんだが」


「探している。どうもメティスが荒れたせいで混乱が他にも波及していてな。その世界的な混乱に乗じて儲けようと思っている連中がいるようだ」


 クソ面倒な話だとジェーン・ドウが愚痴る。


「しかし、お前らの仕事はまずはメティスと戦争をすることだ。これで使えなきゃ、あのちびのサイバーサムライが2年でくたばろうが俺様の知ったことじゃない」


 ジェーン・ドウはそう言ったのだった。


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