#4 それから二人は
それから二人は駅前大通りに戻り、いくつかの展示を見て廻った。
そのなかでもルツィカは宗教画に心惹かれた様子で、一軒のアトリエに展示されていた創世神話の連作の前で立ち止まった。彼女の背丈よりも大きな油彩画がずらりと並ぶなか、一枚一枚をしげしげと見つめて、隣に貼られているキャプションや神話の一節を真剣に読んでいる。
ヨルマはアトリエの隅に置かれているソファに腰を下ろし、その後ろ姿を眺めていたのだが、気が済んだルツィカがなんだか悪戯っぽい顔をして
「ね、ラサラさまってやっぱりいないのね」
と耳打ちをしてきたので、つられて笑ってしまった。
いつの間にそのことを察したのかわからないが、あまりにあっけらかんとしていたので却って面白かったのだ。
「どれかお気に召した絵がありましたか?」
話しかけてきたのは物腰穏やかな中年の男だった。
「どれも素晴らしかったです。特に最後の一枚、天海のくじらが地上を見る眼差しが」
「ありがとう。くじらの眸には、魔石を砕いた絵の具を使用したんです」
「魔石……。そう。石だからそういう使い方もあるのね」
ルツィカが呟いて目を向けたのは、連作の最後に飾られている絵だ。
どこまでも透明な天海に、白い波濤を刻みながら遊泳するくじら。創世神話お決まりの末節、天海のくじらはいつでも地上を見守り、人々に恵みと幸いを与えたもうというその様子を描いたものだ。くじらの眸は深淵の色をしているが、よく見るときらきらと光を反射して不思議な表情を湛えていた。
「ここにあるのは、創世神話の有名な場面を描いた絵ばかりですね」
「そうですね。みんなに親しみやすいように、わかりやすいところを選びました」
「……家族からよく聞かされていた神さまの名が、創世神話の中にないことに最近気付いたんです。そういう神さまのことを聞いたことがありますか?」
画家は一度、虚を突かれたような表情で瞬きをして、そして柔らかい微笑みを浮かべた。
「そもそも我々が全ての神を存じ上げていると思うことそれ自体が、ひどい驕りなのではないかと思うんです」
「驕り……?」
「はい。創世神話に名が残っている神々というのは、裏を返すと、我々の前に顕現してくださったことのある神さまということになりますよね。ですけどなかには人間と交流するのが好きでない方もおられるんじゃないかな。あなたのご家族に伝わる神さまは、普段は天界に姿を隠しておられるけれど、何らかの偶然でご家族と触れ合うことになったんでしょう。創世神話に名が載らないからといって存在しないというわけではけっしてありませんから、そういうのは大事にしたらいいと思いますよ」
その言葉を聞いたルツィカの目尻から涙が零れて、石になった。
……揺らぎ続けていた彼女の信仰にひとつの正解が示されたのだ。
画家は足元に転がってきた乳白色のさざれ石を拾い上げ、ルツィカに手渡す。
「魔力の循環異常ですか。うちの甥も同じ症状で、それこそほら、くじらの眸の魔石は甥からもらった欠片を使ったんですよ。キレイですよね」
ルツィカはにっこりと笑った。
彼女には魔力の循環異常だと教えてくれる人も、症状に理解を示してくれる人も、きれいな石だと笑って褒めてくれる人もいなかったのだ。何も知らない画家に責はないものの、今のルツィカにはひどい皮肉だった。
「あ……。ね、ヨルマ、あれ持ってる?」
あれと言われて一瞬考え、すぐに思い至ってバックパックを下ろした。
ラサラの養護院でルツィカに処分を任されて以降、ずっと持ったままの魔石だ。古びた巾着袋を渡すと、ルツィカはそのまま画家に握らせた。
「これ、今まで使い道がなくて溜めていたものなのです。もしよかったら」
恐縮する画家にルツィカは微笑み、
「あんなに美しい色になるのなら、少しは浮かばれるわ」
アトリエを出てしばらく歩いたところで、じとりとうなじの辺りにへばりつく視線を感じた。
首筋を撫でる。気のせいではない、尾行されている。
何も気付いていないルツィカが土産物店に入っていったのを見守りながら、横目に周囲を窺った。あからさまに追手とわかるような風体の者はいなかったが、誰もが上空や通りの両脇にある作品に目を奪われるなかで、一切そういうものに目線を向けずに歩いている男がいる。
正教会からの追手は国境を越えて以降一度も現れていない。となると当然、ニコラの家に押し入ってきた〈祝祭の吾が手〉の連中ということになる。
「……まあ、そのうち追いつかれるだろうとは思っていたけど……」
この祭りの人混みに乗じて撒いて、町の外に出たらシリウス三號で一気にムルスカヤを横断する。大陸の最西端にいるいま、白海のある東部沿岸まで向かうのはなかなか骨だが、ルツィカと一緒なら楽しいかも。
ステラリウムの快速船に乗って白海を渡り、いまだ古き魔法の根強く残るベルティーナ王国へ。
そこから少しずつ、あのひとの足取りを捜しにいこう。
自分が生き返らせてしまった皇女がどうなったのか、いまも生きているのか、生きているならどうしているのか、もう死んでしまったのか、それならどんな最期だったか。
おれを怨んでいるだろうか。
自分勝手な願いで儀式の邪魔をして、彼女の覚悟を台無しにしたおれを。
「ヨルマは何も見ないの?」
ひょこっと土産物店の入口から顔を出したルツィカに問われて我に返る。
「おれはいい。何かほしいものがあるなら買ってきな。お客さまだ」
ヨルマの言葉の意味を察すると、彼女はふるふると首を振った。
聞き分けがよすぎて不安になる。こんなことになっているのは大体ヨルマのせいなのだから、もっと文句を言ってもいいものを。
「いい、何もいらない」
「無欲だな。この人混みだし、急がないが」
「わがままよ。足手まといになると解っているのに、ヨルマと一緒にいたいんだから」
「……そうか」
すごいことを言うな、この子は。思わず苦笑いしながらルツィカの手を取り、人混みに紛れるようにして脇道に入った。
この町の路地裏は、芸術祭による展示ありきで設計された大通りに反して雑然と入り組み、どこへつながるかもよくわからない階段があり、大雑把な戸板でできた通路がそこかしこに架かっている。
尾行に後ろ姿を見られる前にいくつかの角を曲がった。手近な階段を上がって建物の二階に入り、そこから架けられている戸板を渡る。隣のビルの二階の窓から路地を見下ろしていると、ヨルマたちを捜す尾行の男が慌てた様子で駆け込んできた。きょろきょろと辺りを見渡しながら眼下を通り過ぎていくのを見送り、ルツィカと顔を見合わせて口角を上げる。
「行っちゃったね」
「だいぶ逃げ方がうまくなったな」
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