第8話 祖父との出会い
あの日から、セリムの一日は一変した。
朝は食事探しから始まり、夜は使い古されたソファで眠る毎日。
そんな毎日でも稽古はなくならなかった。
あの優しかった剣士のスキルを持った退役軍人ではなく、見たことのない若い男だった。
「そんなことでへこたれていたら、軍人としてやっていけませんよ!」
「坊っちゃんにはスキルが無いのだから、剣聖に近づくには普通の人間の何倍も努力せねばならんのです!」
「今日はここまでにしておきますが、明日はこんなものでは済みませんよ」
子供には重い模擬剣を持たされ、素振りの回数は増えた。少しでも体感がぶれると屋敷の周りを走らされた。
あとから噂で聞いた話だが、父は弟にも剣聖のスキルが発現しなければ、セリムに戦闘スキルを持っていると偽らせるつもりだったという。
この常軌を逸した訓練は、そのためのものだったのだろう。
その日も、ドロドロに汚れた服のまま廊下を歩いていると、向かいから使用人が歩いてきた。
「ほら、セリム坊っちゃんよ」
「ああ、外れのほうの」
「やめなさいよ、聞こえるわよ」
本邸の使用人たちは、毎日セリムの顔を見るとヒソヒソ話をするようになった。
「剣聖の息子でも剣聖スキルがあるとは限らないんだな」
「まぁ、あたしたちには、スキルなんて無縁の代物よね」
「でも、坊っちゃんは悪いことをなさらないのにかわいそう」
「侯爵家では剣聖スキルを持たないことが既に罪なんだよ」
最初は何で自分がこんな目に合うのかと思うこともあった。
しかし、母が心労で領地へ戻り、部屋を出てこれなくなったと聞いてからは、自分が生まれてきたばかりにに迷惑をかけて申し訳なく思った。
セリムを産んでしまったせいで、そんな目にあった母のことを思えば、こんなことはまだマシだとさえ思えた。
どうにか、自分がこの家に役立てることを証明しなければ、母は、侯爵家は……という使命感だけで日々を過ごしていた。
「それにあれでしょ。今日のシオン坊っちゃんの鑑定で、剣聖スキルが出るかもって」
「あーあ、俺もシオン坊っちゃんに付きたかったなー」
「でも、セリム坊っちゃん付きなら、何もしなくてもいいし、楽じゃない?」
「それもそうだな、ハハハ」
今日は弟の5歳の誕生日である。
夜、タウンハウスのホールでは、この日のために領地から帰ってきた弟シオンの5歳の誕生日パーティーが開かれていた。
セリムはというと、縁起が悪いと、小さな書斎に閉じ込められたままだった。
使用人はほとんどホールに駆り出されていった。
セリムは、いつもより静かな部屋の窓から、階下の明かりを眺めた。
あの明かりの中に、3年前まで自分も居たのに。そんな思いが過ぎった。
その時、わぁああ、という声と拍手が鳴り響いた。きっと、弟に剣聖のスキルが発現したのだろう。
悔しい思いもあるが、心のどこかで安堵した自分がいた。これでコルマール侯爵家は無事存続できる。
もう、自分がとれると思えないような責任を負わされることもない。
そろそろと小さな窓から離れて、いつも眠っているソファに横になると、昼間の疲れも相まって、セリムはすぐに眠りについた。
そして、弟に剣聖のスキルが発現した翌日から、セリムは誰からも声をかけられなくなったのである。
***
祖父と出会ったのは、それから幾日か経ってからのことだった。何分、誰もセリムに声をかけないし、部屋の中にばかりいると、段々何日経ったかわからなくなっていた。
書斎にある、ちょっと難しそうな本が自分にも読めることに気づいたセリムは、ひたすら窓からの陽射しを頼りに読書に励んでいた。
その日も夢中になって読書に励んでいた。
弟が剣聖のスキルを授かって以降、外から部屋の扉が開くことはなかったので、突然開いた時にはに飛び上がってしまった。
「おまえは……セリムか?なんでここにいる」
セリムは一瞬、目の前の壮年男性が誰か分からなかったが、年格好から祖父であると判断した。
物心つく頃には戦争で祖父はいなかったので、初めて出会ったも同然だった。
祖父シリルは黒髪で大柄な、ひげの生えた強面の男だった。また右目に眼帯をしているのが、強面に拍車をかけていた。
父と同じ黒髪で大柄な男を見て、セリムは知らずのうちに恐怖で震えた。
「お、お父様が……ここにいろって」
父の話題を出すと、祖父は大きなため息をついた。
「何を読んでいるんだ」
ちょうど、セリムは書斎にあった『人体の構造と機能』という学術本を読んでいる途中であった。
勝手に読んでいたことを咎められると思ったセリムは後ろ手に本を隠し、謝った。
「……ごめんなさい」
祖父はつかつかとセリムに近づいて、隠していた本を取り上げて眺めた。
「おまえ、これが読めるのか」
怒られると思ったのに、質問が飛んできて、セリムは上目遣いに祖父の顔を見上げた。どうやら、怒られることはなさそうだ。
「難しかったけど、あれらの本で調べながらなら、少しずつ読めました」
窓際に置いた辞書や図鑑を指差すと、祖父はひげを触りながら何やら思案し始めた。
セリムは、稽古がなくなって空いた時間に本を読むようになり、読書に魅了された。何より知ることが楽しく、難しい本でも、どうすれば読めるかもわかっていた。
なので、ここから追い出されて、読書ができなくなったらどうしようか、と気を揉んだ。
しかし、それは杞憂に終わった。
「……わしと一緒にくるか?ここより沢山の本もあるし、広い部屋で暮らせるぞ」
沢山の本に広い部屋。セリムは一瞬笑顔になったが、すぐに俯いた。
「でも……お父様が何ていうか……」
あの日の父が思い出されたのだ。
「こんな狭い部屋に子供を押し込めるようなやつの言う事なぞ、気にせんでいい」
父のことを気にしなくていい。そんなことを言う大人は初めてだった。
「おい、ドニ。アランに言っておけ。セリムはうちで育てる」
祖父に連れられたセリムは、執事室にいた。
ドニというのは、タウンハウスの執事だ。
ドニは父の言いなりで、セリムのことはいないものとして扱っていた。
ちなみに、アランというのは父の名前だ。
「シリル様!そんな勝手な……」
「お前らは見てみぬふりをしていたのだろう。とやかく言える立場か?」
「わ……かりました」
執事も前当主には逆らえないようだ。祖父はしゃがんでニッコリと笑った。
「よし、セリム。今すぐ、帰ろう。その本はあっちにもあるから置いてきなさい」
「はい。お祖父様」
セリムは祖父と手を繋ぎ、タウンハウスを脱出した。
祖父がいつも暮らしている領地の別邸では、大きな部屋にふかふかのベッド、1日食事は3回。おやつも出てきた。
聞いたら答えてくれる使用人。久しぶりに大人に頼れることに、セリムはとても安心したのであった。
***
「セリムっっ」
そんな過去の夢は、誰かが自分を呼ぶ声で終わりを告げた。
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