第6話 ワイルドボア

「セリム、何か音がしないか」

 ノエルが右手の人差し指を唇に当てるジェスチャーをしながら、ささやいた。


「焚き火の音じゃないの」

「よく耳を澄ましてみろ」


 言われた通り、セリムは耳を澄ますと、確かにガサゴソと葉っぱが掠れる音がした。

 周りの木の葉を見ても揺れていない。風もない。


 セリムは、右手で剣を握った。


 ガサガサという音は、次第に大きくなってくる。シュー、という音も聞こえてきた。


「ノエル、僕が洞穴から出たら、洞穴の奥に入って。僕が戻るまで、決して出てきたらだめだよ」

「わかった」

 ノエルの返事を確認すると、セリムは洞穴から出て、音のする方に目を向けた。


 すると、目を向けた瞬間に、木の茂みからワイルドボアが現れた。


 目の前のワイルドボアは、ずっとシューシューと声をあげている。

 シュー、というのは、ワイルドボアが興奮しているときに発する声だ。


 鋭い牙に、体の大きさから、オスである。あの牙にひとつきされたら、たまらない。


 セリムは目を逸らすことなく、ワイルドボアと対峙した。


 どの動物でも急所は心臓である。セリムは、牙と、首の付根の位置から心臓の位置を推測した。


 そして、先手必勝とばかりに、ワイルドボアに対して突進し、正面から心臓を剣で貫いた。





「いつ見ても、お前の剣はスゲーな」

 振り返ると頭だけ洞穴から出したノエルと目があった。


 いつもノエルはセリムの剣技を褒めてくれるが、セリムからしたら、剣聖のスキルを持った祖父や父を見ていたので、こんな軽い剣しか扱えない自分を認めることができなかった。


 きっと、本物を見れば、ノエルもセリムを褒めることなどなくなるだろう。


「僕が戻るまで出てくるなっていたのに」


 ノエルは、ワイルドボアが動かなくなったのを遠くから確認すると、洞穴から出てきた。


「あの声、やっぱりボアたったか」

 そして、目をカッと開くと、横たわっているワイルドボアを覗き込んだ。


ーー鑑定してるな。眼球が高速で動いている。

 

「……ん?」

「何?」

 ノエルは倒れているワイルドボアを、自分の顎を触りながら、しげしげと眺めている。


「いや、パッと見、ワイルドボアなんだけど、よーく見たらワイルドボアじゃねぇな、これ」

「じゃあ、何なの」

「いやまあ、ボアだろうけど、変種だな。多分。牙がえらい長いし、耳の形が違う。普通のワイルドボアより、殺傷能力が高そうだな」

 鑑定眼の持ち主が言うのであるから、間違いないだろう。


「じゃあ、ミエル兄さん、欲しがるだろうね」

「あー、図鑑に載せたいだろうな」

 ブールブレ家の5男ミエルは、出版社に勤めている。

 図鑑や辞典を覚えて能力を発揮する鑑定眼の持ち主が、その元になる図鑑を作っているのである。


「まぁ、運ぶ手段がないから無理なんだけど」

「……だな」


 なんせ、次の船は10日後である。それまで、このままの姿で置いておけば、腐ってしまう。


「じゃあ、捌いちゃおうか」

「おおー!久しぶりのセリムのボア肉だな!」


ーーお祖父様、お祖父様の訓練のおかげで、ワイルドボアの変種を撃退することができました。

 やはり、祖父の教えてくれたことは無駄がなかったと、改めて感じたセリムだった。



 その日は思わぬ収穫に、ふたりはボアの肉を堪能した。

 セリムの作った塩だけで味付けし、焼くだけの野性的な調理ではあったが、ノエルはしきりにおいしいと絶賛した。


 しかし、このワイルドボアの襲撃は、セリムを悩ますことになった。


 ボアは集団で生活する。一頭きりではないはずだ。

 おかげで、ガサガサという音に敏感になり、音がするたびに洞穴から剣を持って飛び出すようになった。


 念の為に、毎日洞穴を変えているが、ワイルドボアはいつ襲ってくるかわからない。


 セリムは洞穴の壁にもたれて、剣を傍らに置いた。

 自分だけならどうにかなるが、今はノエルがいる。

 ノエルはセリムが巻き込んでしまった被害者である。なんとしても守らねばならない。


 セリムの眠れない日々が始まったのである。



***



 しかし、それが何日も続くと、次第にセリムの顔には疲労が色濃くみえるようになった。


「セリム、今日は俺が見張りやるわ」

 珍しくノエルが真面目な顔をしていた。これは本気である。


「ノエルの腕じゃ無理だよ」

 これはきちんと訓練を受けているセリムだからできることである。


 セリムよりは背が高く、ガッチリしているノエルだが、こう見えて文系。 学園時代の剣技の授業はC判定だったはずだ。


「そりゃそうだけどよ、お前、顔酷いことになってるぜ」

「……」

 鏡がないので表情を自分で確認することはできないが、セリムはその自覚はあった。頭の芯がぼうっとする感覚もある。


 この程度で体調を崩してしまうとは、やはり戦闘スキルを所持しないと、この程度でくたばってしまう。

 自分ではわかっていたことだったが、改めて指摘されるとしょんぼりしてしまった。


「物音がしたら、すぐに起こすから、な?」

 セリムの落ち込みを、体調不良と勘違いしたのか、ノエルが更に畳み掛けるように説得してきた。


「本当にすぐに起こしてよ」

「ああ、まかせろ」


 セリムはノエルの返事を聞くと、目を閉じたのだった。

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