第6話 非常の時なので無作法ですが

 ユリウスは、アンナリーザが幾つかの商会を回る間、無言でに徹してくれた。フェルゼンラングの侯爵子息である彼の装いは、身分相応に上質なものだった。見る者が見れば──つまり、マルディバルの王家が頼るような商人が見れば──ひと目で従者でことは知れただろう。

 それでも、面と向かって不審を口にする者がいなかったのは、たぶん面白がっていたのだろうと思う。が王女の馬車を止めた騒動も、そのが馬を乗りこなす精悍な貴公子だったことも、マルディバルの誰もが知ることになってしまっていただろうから。


(噂が大きくなってからのほうが色々とでも思ったのでしょうとも!)


 王女につき従う従者ということにしておけば、間近で容姿を眺めることができる。後になればユリウスの素性も広まるだろうけれど、その時にフェルゼンラングの侯爵子息はどんな容姿でどんな振る舞いで云々と語ることができるというのは、人によっては堪らなく優越感をくすぐるものなのかもしれなかった。


 とにかく──最後に尋ねた商人の屋敷を出たところで、馬車に乗り込む前に。アンナリーザはユリウスに微笑みかけた。


「今日の予定は終わりました。お付き合いいただき、ありがとうございます」

「……恐れ入ります、王女殿下。その──」


 翠の目を瞬かせて口ごもったユリウスは、演技を続けるべきなのかどうか迷ったのだろう。従者ならば、目を伏せて馬車の扉を開けるだけで良い。でも、彼の本当の身分ならば、アンナリーザの手を取って口づけるべきだろう。事実、彼の手は中途半端に持ち上がったところで所在なげに漂っている。


(あんなに思い切ったことをした方なのに、おかしなこと)


 父君のヴェルフェンツァーン侯爵カールは豪放磊落な方だったけれど。先ほどの行動は、まさしく父君譲りだと思ったのだけれど。ユリウスは意外と人見知りというか恥ずかしがりというか、そんな性格なのだろうか。困り切った様子の彼を助けてあげようと、アンナリーザは笑みを深めた。


「恐れ入りますけれど、王宮までお出でくださいませ。急なことではありますけれど、おもてなしをさせていただきますから」

「そんな、そこまでしていただく訳には」

「遠慮などなさいませんように。きちんとおもてなしをしなければ我が国の不名誉にもなってしまいます」


 また後日に改めて、などという訳にはいかないのだ。今別れれば、ユリウスは真っ直ぐにラクセンバッハ侯爵アルフレートのもとに向かうだろう。彼こそが、マルディバルにおけるフェルゼンラングの代理人なのだから。


(アルフレートに会ってしまったら、この方はフェルゼンラングの貴族として振る舞うでしょう)


 何を語るか、語らないかも、祖国の意志を受けてのことになってしまう。だから、何としても招待を成功させなければ。


「──ご身分は、もう伺っておりますの。眼鏡なしで、私の顔がご覧になっていただけているでしょうか?」


 必死の思いで、それでも顔では微笑んで。冗談めいたことを言ってみると、ユリウスの頬がやっと少しだけほころんだ。


「マルディバルの海の朝もやに、隠されてしまっているかのようです。……眼鏡があっても、眩しさにまともに見ることができないかもしれませんが」

「まあ、お上手ですのね」


 本当に、この貴公子は父君に似ないことを言う。少し不思議で少しおかしくて、アンナリーザはユリウスの顔をまじまじと見上げた。


(髪と目の色は、カール小父様と同じ色なのに)


 銀の髪が、沈みゆく夕日の色を映して燃えている。ぼやけているというアンナリーザの姿形を見極めようというのか、少し細めた翠の目にも、灯がともったようで──吸い込まれそうで。不躾に見つめてしまっていたことに気付いたアンナリーザは慌てて小さく咳払いした。


「……かしこまっていただく必要もございませんわ。どうか、気楽な席だとお思いになってくださいませ。父や母や兄にご紹介する前に、お話を伺いますから」


 今度こそ馬車に乗り込みながら──例によって従者に扮したディートハルト王子が扉を開けてくれた──アンナリーザは護衛の兵に目くばせした。晩餐に、ひとり分の料理を増やすこと。かつ、父たちには内緒で、アンナリーザの私室にその席を設けること。未婚の王女にはあるまじき振る舞いに、非難するように顔を顰められた気がするけれど──その兵は、小さく頷いてくれた。


 常識的な礼儀作法では括れない事態だということを、たぶん察してくれたのだろう。


      * * *


 マルディバルの王宮に、アンナリーザに与えられた空間は大きい。今現在、唯一の王女だから当然のことだけれど。だから、ディートハルトやユリウスを、寝室や私的な居間に通すということでは断じてない。これまでにも友人を招いてちょっとした茶会を催すような、ほど良い客間がちゃんとある。とはいえ、父たちに内緒で殿方を招待するなんて初めてのことだ。


(はしたないことをしてしまっているわ……今さらだけれど)


「アンナリーザ様、これは──」

「お客様よ。お食事をご一緒するからそのように。お供の方々にも十分なおもてなしをして差し上げて」


 常ならぬ報せを先に受けて、主の帰りを待ちわびていたのだろう、浮足立った様子の侍女たちに命じながら、アンナリーザは心の中で溜息を吐いた。

 そもそも、イスラズールとの交易を取り仕切ろうという時点で彼女の未婚の王族としての価値は大きく損なわれている。侍女も従者も伴うとはいえ、荒っぽい船乗りに混ざって未開の地──ということになっている──国に乗り込もうというのだから。マルディバル同様に、交易で身を立てる国なら面白がってくれる殿方もいるかもしれないし、彼女の経歴を敬遠しそうな国の筆頭がフェルゼンラングであることは、むしろ願ってもないことではあるけれど。


「姫君の秘密を垣間見るようで、胸が痛むというか弾むというか──いずれにしても、光栄なことです」

「突然のことで、片付いておりませんで恐縮ですわ。庭園には母の自慢の薔薇が咲いておりますのに」


 興味深げに室内の調度を見渡すディートハルトは、正直にいえばユリウスのおまけのようなものだった。この御方が同席していると、フェルゼンラングにとって都合の悪い話の流れになった時に口止めされてしまうかもしれないから。でも、ディートハルトだけを追い出す口実が思い出せなかったから仕方なく同行してもらうしかなかったのだ。


(……だから、別に殿下を特別扱いしたのではないのだけれど)


 だから、どうして王子が嬉しそうにしているのか今ひとつよく分からないのだけれど。それはそれとして、アンナリーザはこの場ではユリウスを懐柔することに専念しようと決意していた。ちなみに、彼の眼鏡は従者が保管していたらしく、王宮に到着した時点でユリウスは──目を細めたり首を傾げたりしない──涼やかな表情を取り戻していた。燻した銀に細かな彫金を施した眼鏡は、彼の理知的な顔立ちによく似合っている。


 ディートハルトのことはひとまず置いておいて、アンナリーザは改めてユリウスに向き直った。


「……でも、すぐに父に伝えたら、お叱りを受けてしまいそうですもの。とても、強引な手段でしたから。──だから、ひとまずは私たちで、口裏を合わせてみませんこと?」

「お気遣いに感謝申し上げます、アンナリーザ殿下」


 かなり露骨に恩着せがましい物言いだったし、詳しく話を聞かせてもらうぞ、と匂わせてもいた。でも、ユリウスは話を聞いてもらえる、ということ自体を僥倖と認識したのかもしれなかった。彼は流れるように優雅な所作で跪くと、アンナリーザの手を取り、口づけた。


「そして、先ほどの非礼に心からの謝罪を。──私はフェルゼンラングはヴェルフェンツァーン侯爵の長子、ユリウスと申します。イスラズールからの船が貴国に入ったと聞いて、居ても立っても居られずに馳せ参じました……!」

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