番外編2 那須さんとホワイトデー?

 今日はホワイトデーだったんだ。なんだか月日が経つのが早い。歳のせい? やだやだ、考えたくもないよ。


 でもあんみつちゃんや小野寺くんを見てると若いっていいな、と切なくなる時はある。


 いやいや、私、まだ24だからね!?


 ……『まだ』? 『もう』?


 専門学校時代の同級生は既にパティシエを辞めた子も多い。事務職やフリーターに転職したり、別の学校に通い直したり。それから……結婚したり。


 私だって結婚に憧れの気持ちがないわけじゃない。友人から送られてきた幸せそうなドレス姿の画像を前にいいなあ、と本当に指を咥えてるんだから。


 でも相手なんかいないし。


 毎日通う職場には既婚のおじさん二人といけ好かない後輩男子。どれも恋愛対象になんかなり得ない。


 だからと言って同級生もパッとしない。そういえば専門学校時代の元カレは最近怪しい浄水器? か何かの販売に注力していると噂を聞いた。


『タケちゃんも気をつけて。そのうち連絡来るよきっと』


 開業を夢見て意気込んで都会の有名店に就職したはずじゃなかったのか、あいつ。


「はあ……」


 白いため息が三月の冷えた夜空に溶けた。


 来月からは、私もここを離れる。なんだかんだ、このお店で丸三年も働いた。続いたのはシェフのフォローとあんみつちゃんの存在のおかげだと思う。


 私は、弱いから。助けがなかったら、きっと一年も続かなかった。



「おつカレーライス。タケコ。なんだよ、今日もシケてんな」


 背中に声を掛けられて振り向いた。


「おつかれさまです。那須さんこそ今日も元気で騒がしいですね」


 耳を塞ぐと小突かれた。暴力反対。


「あれ……今日歩きですか?」

 いつもは自転車なのに。


「タケコ、飲みに行かね?」

「え!?」


「いいだろ。付き合ってよ」

「いやです」

「いやっておまえ」

「いやですよ、なんで」

「本気でいやそうじゃん」

「本気でいやですよ」

「おごるから」

「タダほどこわいですっ」

「じゃあ割り勘」

「余計いや!」


「どっち道ダメじゃん」

「だからそう言ってんじゃないですか」


「……ったく。ならいいよ。帰ってひとりで飲むしー」


「私より小野寺くんでも誘ったらどうですか。最近仲良いじゃないですか」


 今月頭から那須さんの引き継ぎで厨房に入った小野寺くん。不仲だった一年間が嘘のように今や二人はいい関係に見える。


「はあ? パスパス。あいつ酒癖悪いもん。あんなの誘ったら絶対朝までコースだぜ、老人には耐えられん」


 ああ、そういえば先週二人して二日酔いの青い顔で出勤してきた日があった。


「老人って……」

「老人だろーがよ、うちの店じゃあ」

「そんなこと言ったらシェフに怒られますよ」

「シェフくらいになれればレジェンドで無敵なんだけどなぁ」


 ボヤいて夜空を見上げた。今日は曇りで星はない。


「俺って気がみじけーからさ」


 空を見たまま、ぽつりと呟いた。


「傷つけてたことなんかあったら、ごめんな、タケコ」


「え……?」


 思いもしない謝罪だった。思いもしないし、望んでもいなかった。


「よくがんばってるよ、おまえは。……新しい店でもがんばれよ」


「な、なんですか、らしくない!」


「ぶは! そうかよ! なんだよ褒めたのに」


 へらへら笑うと少年のように小石を蹴飛ばした。石は、ち、と地面を跳ねて闇に消えてゆく。


「……泣かれてさ」


「え?」


 やっと気づいた。今日の那須さんはいつもと違う。


佳乃よしのに」


 佳乃さんは那須さんの奥さん。


「泣かれて……つーか、怒り狂ってどつき回されて。ボッコボコよ。ったく」


「辞める話をした時、ですか」


「そう。気持ちを伝えるってのは、難しい。夫婦でもそうなんだ。だからタケコにも、たぶんそういうこといろいろあったろうな、と思って」


 あったには、あった。那須さんは本当に口が悪いもん。けど今更そんなの気にしたりしないのに。


「那須さん、なんで辞めるんですか」


 詳しいことは未だにシェフしか知らないらしい。


「我が家の革命だ」


「革命……?」


「ま、いろいろ考えての結論よ」

端折はしょらないでちゃんと教えてくださいよ」

「いやだ」

「な!?」

「おまえも結婚でもすりゃわかるよ。自分より大事なもんが出来りゃあ」


「……やっぱ、収入面ですか」

「まあ……それだけじゃないけど」


 どこか遠くを眺める那須さんは、ここじゃない、遠い未来の家族の姿を見ているみたいだった。


「後悔しません?」

「後悔だらけよ、俺の人生なんか」

「結婚したことも?」


 そんなこと聞いちゃいけないのかもしれないけど。案の定「ばかやろ」と小突かれた。もう、だから暴力反対!


「俺の夢は、佳乃に託したよ」


「え? 佳乃さん復帰するんですか?」


「いや言わないけどさ。やりたいの、見てたらわかる」


「そ、それって」

 すごいこと。ママさんパティシエールだなんて。


「あいつらしいじゃねーの、母親でパティシエなんて。でも簡単じゃねーよ。保育園に入れるにしても金はかかるし、小学校に上がっても学童とかに入るならその分要る。保険に学費に習い事。挙げ出せばキリがない」


 ぐ……なんて現実的な話。


「でもあいつを夢なかばで退職させちまった責任は俺にあるし。そんで俺よりあいつに才能があったのは俺がいちばんわかってるから」


「那須さん、まさか佳乃さんのために辞めるんですか?」


 それはどつき回されるわ!


「夫婦揃って見習いパティシエで食っていけるほどこの世の中は甘くねーんだよ」


「うう、でも……」


「俺はあいつに輝いてほしいんだ」

「でもそれ佳乃さんは……」


「望んでない? そうかな」


 惨めさ、悔しさ、希望、理想、そして呆れ。全部が混ざったみたいな表情だった。だけど少し、かっこよくもあった。絶対本人には言わないけど。


「今の俺の夢は佳乃にパティシエとして復帰してもらうこと。それだけだ」


「那須さん……」


「なんてな。あれ? なんで俺はタケコに夢を熱く語ってんだ? ひ、ダサすぎる」


 くはは、と自嘲して片手を挙げた。「じゃーな。おつカレーうどん。タケコ」


 そこはもう私の家のすぐ近くだった。ああ、さりげなく家まで送ってくれたんだ。


「おつかれさまです」


 いつもより深く頭を下げたら、「ばーか」と笑われた。




〈番外編2・完〉



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