第4話 同僚と仲間の境界線
自己紹介を終えるなり、唐突に「本屋へ行きたい」と言い出したレーゼを、同じ方向にある武具店に用がある、ダルットへ無理矢理押し付けて、ユリスとマリアは役所で各々の用事を済ませてから、食料品店へ買い出しに向かった。
昼食の材料を購入した後、用事を済ませた他の二人と合流する予定である。
「何で俺がそんなことを」と渋るダルットだったが、
「慈善事業を手伝うとかいう話、どういうことかきちんと確認したいんだ。マリアが何を考えているのかを」
と言われれば、黙らざるを得ない。その反応を見るに、彼は姉が慈善事業に興味を示しているなど、夢にも思っていなかったようだった。
もっとも、例えマリアとダルットの間で既に話がついていて、自分だけが蚊帳の外にいたとしても、仕方のないとユリスは思う。何せ、自分は彼らの身内でもなんでもない、ただの同僚に過ぎないのだから。
マリアやダルットと仕事をするようになって、二年経つ。しかし、この間柄を『同僚』ではなく『仲間』と言い切れるほど、踏み込んだ信頼関係を築いたとは思っていない。
少女がチームクラウンズを去ることになったとしても、引き止める理由など見つからない――そう、理性は言うものの、本音はまた別のところにありそうだ。しかし、それを言う資格は自分に無い。
己にそう言い聞かせ、迂闊にほうってしまいそうな言葉を噛み潰していたためか。ユリスは、当のマリア本人が、何事か言いにくそうにこちらをチラチラと見ているのに気がつかなかった。
だからだろうか、
「こんなこと……言いたくないんだけど」
眉間にシワを寄せながら、生真面目な表情で話し出す少女を見て、何だか足元がガラガラと崩れ落ちてゆくような感覚に陥ったのは。
「――辞めるのか」
「――え?」
「うちの便利屋を辞めて、シッカートのおっさんのもとで働きたいのか? と、言ってる」
「――違うけど」
「は?」
お互いに、噛み合わない相手の態度に眉を顰める。そんなマリアの表情すら、手放すには惜しいくらいに美しいとユリスは想った。間髪入れずに、そんな己を殺してやりたいと呪ったけれど。
先に表情を綻ばせたのはマリアだった。
「ちゃんと順番に言うから、話を聞いて欲しいな」
幼子のわがままを諭す母親のような笑みから、ユリスはぷいと視線を逸らした。
その勢いで食材店に入り、素知らぬ顔で、サラダに使う野菜を荒っぽく物色しだす。しかし、
「わかった」
と一言だけ、呟くのは忘れなかった。
「私が言いたいのは、レーゼちゃんのことだよ。悪い子には見えなかったけれど……記憶喪失なのに、自分の名前をタイミング良く思い出せるものなのかな? 私たちはユリスの力を知っているから、君が本当の名前を”視る”ことができても、不思議には思わないけれど、”レーゼ”と言うのが本当の名前かどうかなんて、他に判断材料もないのに、あっさり受け入れられるもの?」
「ああ、そっちの件か」
ユリスはニンジンと、数種類のサラダリーフが梱包されている商品を買い物カゴの中に入れ、鮮魚を扱う売り場へ移動する。
「狂言の可能性は捨てきれない。でも、受けた以上、依頼は依頼だから」
「――……そっか」
迷うことなく、白身魚の切り身を人数分注文し、受け取るや否や、今度は保存食の売り場へと歩いてゆく。
どうしても、私の目を見て話をしたくないらしい――……。マリアは小さく息を吐いて、ずんずん進んでゆくユリスを追うのをやめ、買い足しておきたかったジャムを探すことにした。
色とりどりの小瓶が陳列された棚を前にして、伸ばしかけた手を寸前で止める。自分がユリスの死角の居ることを確認してから、言った。
「この赤いジャムって、甘いっけ?」
――二呼吸ほどの間があった。
少し離れたところから、ユリスの平坦な声が谺して、マリアの頬を撫でてゆく。
「それは、3種のベリーの甘さ控えめジャム。アンタの好物だが、ダルットは物足りなさそうな顔をしていたな。アームクラフ産のものは、少し味が淡白だから」
マリアは、商品棚の隙間から同僚がこちらを覗いているのではないかときょろきょろしつつ、今度は隣のオレンジ色の、簡素なラベルが貼られたビンを指さした。
確かに、少女の指先が見える位置にユリスの姿は無かった。それなのに。
「それは、りんごとアプリコの入ったこの店のオリジナル商品。後味が爽やかで、お財布にも優しい俺の好物」
続けて、さらに隣りのビンを指さそうとした少女の意図を、予め知っていたかのように、少年の声が追いかける。
「それでその隣が、シナモン入りの桃ジャム。濃厚な甘さで有名なエモル産。アンタの弟が毎日、パンに塗りたくってるやつな。っていうかさ」
だんだん声が近づいてきたと思ったら、携帯食用のショートブレッドを手にしたユリスが、恨めしそうに、棚の後ろから顔を覗かせた。
「俺を図鑑がわりにすんの、やめて欲しいんだけど」
「ごめん。相変わらず、すごいね。なんだか手品を見てるみたい」
ユリスは頭をガリガリと掻きむしりながら、マリアのそばによると、最後に見た桃ジャムを手にとった。
「タネも仕掛けも、あったほうがカッコつくんだけどな。俺のはただの、見えちゃいけないものが、見えてしまうバグだ。だから、占いもよく当たる。そりゃそうだ、正解が目の前にぶら下がって見えるんだから」
「『禁じられた知に触れし者』な訳だね」
「――大袈裟な物言いだよな、バグはただのバグなのに」
「その力を使って、レーゼちゃんの記憶を、ユリスが代わりに見てあげることはできないの? そうしたら名前だけじゃなくて、どこから来たのか、何をしにきたのかわかるし、依頼もすぐに解決するんじゃない?」
何気なく言ったその一言を聞いて、ユリスの顔からさっと血の気が引いたのがわかった。しまった、と思ったが既に遅く、瑠璃色の猫目はマリアの眼差しから逃れるように、手元のジャムが入った小瓶へ伏せられた。
「――忘れられなくなるから――嫌なんだ。人を、深く知るのは――」
ぽつりとこぼれ落ちた声は、いつもと変わらない音のように聞こえるが、彼の場合、目は口ほどに物を言うのだ。
ユリスが何を抱えているのか、どう言った経緯で『禁じられた知に触れし者』となったのか、マリアは何も知らない。というのも、ユリスは人当たりが良い割に、他人を自らの懐へ入れないよう、注意深く立ち回っていたからだった。それを、水臭いとは言えなかった。ユリスの辛そうな顔は、見たく無い。
(私がもっと、魔法が得意で世間知らずなんかじゃなくて、機転がきく子だったなら、ユリスにこんな顔をさせなくて済むのに。今の自分じゃ、彼の『仲間』になるには力不足なんだ)
なんだか胸がざらついて、少女は唇をきつく噛み締めた。
一方のユリスは、気まずい雰囲気を誤魔化すために、手にしたジャムの小瓶を眺めて続けている。
何気なく小瓶を裏返して成分表を読むや否や、はっと目を見開き、もう一度瓶をひっくり返して白桃ジャムのラベルを凝視した。
「どうかしたの?」
「――いや、なんでもない」
視線を白桃ジャムに固定したまま、ユリスはしばらくの間、何か考えていた。どう考えてもなんでも無いような声音ではなかったけれど、ユリスは何も言わずにジャムを買い物カゴの中に入れたので、マリアはそれ以上追求しなかった。
「他に買う物あるか?」
「特に無いよ」
「ん、そんじゃ行こう」
先程の様子とは打って変わって、悪戯っぽい笑みを浮かべて会計所へ向かう少年を追いかける前に、マリアは陳列された白桃ジャムのラベルをもう一度見る。
ラベルには産地である豊穣の地『アース・グラウンド』の片田舎『エモル』という村を表す植物が刻印されていた。
「で?」
会計を終えて購入品を紙袋に詰めていると、焦れた声でユリスが言った。一瞬何を言われているか判らなかったマリアは、目をぱちくりさせながら少年を見つめる。
「アンタ、俺の質問にまだ答えてない。チームクラウンズは辞めないけど、レッドグラウンドの復興支援には関わりたいってどういう意味だ?」
真っ直ぐに向けられた瑠璃色の双眼は、真剣そのものだった。
マリアはちっとも目を逸らさないユリスを意外に思い、たじろいでしまう。
勿論、雇用主のユリスとしては、従業員であるマリアの動向を把握しなければならない為、質問そのものはおかしくない。しかし彼は常ならば、来る者拒まず去る者追わずの態度を貫いている。そうでなければ、便利屋創立の初期メンバーであるデルーテ姉弟以外の従業員が、「猫の便利屋に用はありません」と言って去ってゆくのを黙って見ているはずがない。自分に対しても、何をしようが興味を持たれることは無いと、マリアは思っていたのだ。
「シッカートさんの活動をお手伝いしたいっていうのは、正式な契約をしたとか、転職活動の為に伺ったというわけじゃ無いの。説明会をのぞいたら、顔を覚えていただいただけ。
復興支援には参加したいよ、例えば、長期休暇を利用して、とかね。でも、まだ何にも具体的な事は決めていないし、正直心の準備も整っていないんだ」
ダルット達と落ち合う場所へ歩みを進める二人の影が、石畳の上に揺れている。交わりそうで交わらないそれを横目に、マリアは続けた。
「チームクラウンズに不満は無いよ。ただ私は、もっとしっかりした自分になりたいだけなんだ。
私は二年前、ユリスに助けてもらってから今日までずっと、君に頼りすぎている気がしてる。君が紹介してくれた仕事をこなして、君が契約をした事務所に住んで――。そろそろちゃんと、自分の足で立ちたいの。
私にしか出来ない仕事に打ち込めたなら、アザのこととか、お母さんのこととか……色んな迷いを断ち切れる気がした。それなら今は、自分が居たい場所よりも、居るべき場所に在った方が良いのかも知れないと思って。
……まだちょっと故郷が怖いくせに、威勢のいいこと言ってる自覚はあるんだけどね」
少しの間、二人とも何も言わなかった。
マリアが顔をあげると、視線がかちあいそうになった瞬間に、ユリスが目を伏せる。
まるで二人の関係性を象徴しているかのような仕草を見て、少女は胸に僅かな痛みを覚え、俯いた。
しかし。
「アンタが俺を頼りすぎていると思ったことは、一度もない」
放り投げられたのは少女にとって意外な言葉だった。
慌てて顔を上げると、大きな瑠璃色の双眸が真っ直ぐ、マリアを見据えている。
「アンタを弱いと思ったこともない。頼りにしてる。アンタとの仕事は楽しいよ。――だからこそ、アンタの意志は――尊重したい。しんどかったらいつでも帰ってくればいいし、踏ん切りがつかなきゃまた次の機会にすればいい。”こうすべき”なんて縛りを課すなよ、好きにしな」
そう言った後、はーっとわざとらしくため息をついて、
「って事は、しばらくはダルットと二人きりで猫探しかよ。あーやる気出ねぇ」
と、冗談とも本気とも取れる声音で、堂々とぼやいた。
その様子がなんだかおかしくて、マリアはユリスにバレないようそっと笑った。
「――ありがとう」
「――ん」
互いに視線は交わさぬまま、二人は待ち合わせ場所へと歩を進めた。
そんな関係を物足りなく思うのは、自分だけなのだろうか?
マリアはそっと天を仰いだ。キラキラと降り注ぐ春の陽光が、二人の影に零れ落ちる。
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