紅を差したのは。(4)



 ギュスターヴにとって、『恩恵』は厄介なものでしかなかった。


 物心ついたころから、稀に、見えてはいけないものが見えるときがあった。

 そういう『恩恵』を与えられて、生まれた。

 楽しげに歌う小人や空を飛ぶ半透明の魚などの無害なものから、ねじくれた角を持つ巨大な甲虫や宙に浮く牙を生やした口唇など、多種多様な外見の者たち。

 見てくれがどうあれ、違う界にいる彼らを見るだけなら、なにも問題はなかった。

 ただ、妖精眼のコントロールを失うと、「あちら」から「こちら」への進出をもくろんでいる悪精霊を呼び寄せてしまう。

 ドラクロワ王家の家族たちは、それはもうおおらかなもので、悪精霊が出ても「あらあら困ったわね」などと言いながら得意の魔術で撃退したりするのだが、とはいえ周りに被害が出る。

 暴走に巻き込まれて怪我をしたメイドも、ひとりやふたりではない。


(僕のせいだ。僕が、外で遊びたいって言ったから。)


 幼い頃、血を流すメイドを見て、そう思った。

 以来、ギュスターヴは外で遊ばなくなった。

 いつ暴走してもいいように、王家が王都郊外に作った離宮の自室に閉じこもり、本を読んで過ごす日々が続いた。


 転機が訪れたのは、シャノワール魔術学園への入学が決まった時だ。

 ほんとうは、生徒がたくさんいるところには行きたくなかったのだが、同じく『恩恵』を持つ年の離れた姉に――ギュスターヴよりもよほど強力な先祖がえりを起こしているデルフィーヌ・ドラクロワに――無理やり離宮から引きずり出された。


「姉さまは、僕がどれほど危険かわかってないんだ。またメイドに怪我をさせちゃうかもしれないのに」


 ぼやくと、会話の間合いが独特な姉(新婚)は、真顔でギュスターヴの頭を撫でた。


「そう。なら、雇うわね」


 翌週、どこからか悪精霊を叩き切れる流浪の女冒険者を連れてきて、メイドにした。

 怪我をしないくらい強いメイドならいいだろう、という判断らしい。

 めちゃくちゃな姉だな、と幼心に思った。

 そういうわけで専属の護衛兼メイドとなった黒髪の女剣士フミカ・フジワラだが、デルフィーヌが選んだだけあって、強かった。

 目に見えない悪精霊の気配を感じ取るや否や、魔術しか通じないはずの精霊体を、腰に佩いた東洋の片刃剣ですぱりと両断してしまうのだ。

 メイドとしても優秀で、秘書のような仕事も飄々とこなす。

 人柄も朗らかでユーモアに富み、引っ込み思案だったギュスターヴも、すぐに仲良くなった。

 ……外に出るのを怖がるギュスターヴを、フミカは優しく手を引いて連れ出してくれた。

 妖精眼が暴走して悪精霊が出ても、必ずフミカがなんとかしてくれる。

 感動と感謝が好意に変化し、愛へと昇華されるのに、さほど時間はかからなかった。

 だが。


「僕はこんなにもフミカを想っているのに、フミカはちっとも相手にもしてくれない」

「メイドをからかうのもほどほどになさりませ、若。傷だらけのこの身が美しいはずありますまい」


 いつだったか、こんな会話もあった。

 高等部に上がってから積極的に愛を告げているのに、フミカはなかなか相手にしてくれない。

 ギュスターヴを弟かなにかと思っているようだった。

 残り三年で、どうにか恋愛相手として意識させないと、フミカの契約期間が終わる。

 焦っても、仲はまったく進展せず、


「殿下。ご武運を」


 と、己が振った女子生徒に、応援されてしまう始末。

 当のフミカに「きみを手に入れたい」と告げても、冗談だと流されるだけ。


(情けない。背丈が伸びても、フミカにとっての僕は、小さなギュスターヴに過ぎないんだ。)


 ずきずき、ずきずき。

 心が痛む。

 もう、諦めるしかないのか、やはりフミカにとって己は恋愛対象にはなりようがないのか、と……そういう気の弱りがいけなかったのだろう。

 久々に、妖精眼を暴走させてしまった。

 いつも通り悪精霊が出て、いつも通りフミカが倒して……いつもと違ったのは、フミカが傷を負ったこと。

 四年超の付き合いの中で、フミカが手傷を負うのは初めてだった。

 しかも、血がたくさん出た。

 自分でも驚くくらい、気持ちが荒れてしまった。

 フミカの頬に流れる赤色に、焦りを抑えられなかった。

 そして、皮肉にも……その焦りが、フミカに効いた。



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