第50話 彼の前に現れた彼女、彼は2度と彼女を離さない

 アベリアが侯爵の邸へ向かって出発した頃だった。

 侯爵邸の中では庭師とデルフィーが、こんなやり取りをしていた。


「ご当主、いい加減に庭の雑草を刈り取る許可をください。庭師の儂が、まるで仕事をしてないように思われております。このままじゃぁ、邸の中だけじゃなく、領地中から笑い者にされます」

「駄目だ、あの草は雑草ではない。あのままにしておいてくれ」

「とは言ってもあのドクダミ、放っといたらもう少しで枯れますよ。もし、何かに使うのでしたら、儂が刈っときますから」

「枯れる……そんな。でも、刈っては駄目だ。確か……根のついたまま抜いていたはずだ。それから……。いや、私も一緒に作業する」


 デルフィーは、領地の邸の為に新たに雇った使用人たちへ、庭の草を刈り取ることを禁止していた。

 彼は、アベリアが戻ってきた時に悲しまないようにと、彼女が化粧水を作っていたドクダミをそのままにしていた。

 新しく雇い入れた庭師から、これまで再三にわたり苦情を言われていたにもかかわらず。

 だけど、そのまま枯らしてしまえば、あの草は使えなくなる。

 彼は慌てながら、邸の裏のドクダミを抜くよう指示を出した。

 自分自身も、1年前にアベリアが作業していた事を思い出しながら、それを抜き始めていた。

 門から見える場所のドクダミは、彼女が訪ねて来た時の為に、最後まで残しておきたかった。


 この草に触れれば、必然的にあの頃の彼女の姿を思い浮かべたデルフィー。

 彼女の「雑草じゃない」という声も聞こえた気がした。

 そんな時は、彼女が訪ねて来ないか、門を見るのがすっかり癖になっている。

 いつも、その期待は裏切られるのは分かっている。でも、しないという選択もない。


 ――――

「ぁ……アベリア様」

 居ないと思っていたその場所に、彼女の後ろ姿があった。

 外の暑さも気にせず、黙々と草をむしっていたデルフィー。幻覚を見ている気分だった。

 彼がこれまで思い描いていた通りの姿。ゆったりとした服を着た彼女。

 彼女は、彼が自分の事に気が付いたことを知らないまま、邸から遠ざかっていく。


「まっ待って、行かないでください……」

 全速力で走りだすデルフィー。

 どんなに離れていても、身重の彼女を逃すような、弱弱しい彼ではなかった。


 まだ、彼女までの距離は少しあった。でも、抑えられないデルフィーは彼女へ声をかける。

「……アベリア様……、お帰りを、ずっと、お待ちしていました」

 彼は、走る速度をさらに上げて、一気に彼女へ近づく。

「アベリア様っ」

 彼女の名を呼び、背中から抱きしめる彼。

「えっ」

 彼女が振り向いてもいないのに、我慢できない彼は、そのまま続ける。

「もう、離しません! 王都のあの邸へ向かわせたことを、ずっと後悔していました。こうやって、私の腕の中に、あなたを再び抱きしめる日を、……どれだけ待ち望んだことか」

「デルフィー……」

 やっと、彼女が彼に向かって振り返る。


「私の妻になってください、アベリア様。いや……アベリア」

 デルフィーからの突然の求婚。

 それに驚きも戸惑いも、混乱もしたアベリア。

 だけど、湧き出た感情は「言葉にできない喜び」だった。

 それなのに。


「だって……。デルフィーは……他にもっと……」

「私には、あなた以上に欲しいものはありませんから」

「そんな、急に……」

「もう、遅すぎて、言い訳もありません。あの日『応えられない』などと、愚かな事を言ってしまった私の事が許せないのでしたら、それでも構いません。そう思われてもおかしくない事をしていますから」

「デルフィは何も……」

「それは、アベリアが一番わかっているでしょう」

 アベリアの大きなお腹へ視線を向ける彼。

「アベリアが、私の事を拒む理由がなければ……、その子へ父と称することを、許していただけませんか」

 はにかんだ笑顔をするアベリア。

 彼には、この表情だけで十分だった。


「私の妻になってくれますね、アベリア。あなたの気持ちは?」

「……もう、デルフィーってば、分かってるくせに。私が断れるわけないでしょう。だって……、だって、忘れられないくらいデルフィーのことが好きなままなのに」

 アベリアから、自分への気持ちは変わっていないと言われ、目が潤むデルフィー。

 考える前に体が動いた。


 これまでの空白の時間を埋めるように、人目も憚らず口づけをする2人。

 長い長い口づけだけど、愛するアベリアを見つける日を待ち望んだデルフィーにとっては、まだまだ物足りなかった。でも、今は彼女の為に唇を離した。

 アベリアは、デルフィーとの再会に突然の求婚、そして、熱い抱擁に口づけで思考が追い付かず、彼の唇が離れた後も、うっとりしつつも、ぽわぁーっとした表情をしていた。言葉の出ないアベリア。


 アベリアを見つめるデルフィー。

「さあ、立ち話では疲れてしまいますからね、邸へ行きましょう」


 ……邸? えっ、どうして?




 ▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃┄▸◂┄▹◃

 間もなく本編完結に近づきました。

 改稿作業と新作執筆の同時進行が、ちょっと大変になって来てしまいました。

 本編の区切りまで、何とかこのペースで投稿していきたいとは思うのですが、ざまぁ編は、不定期投稿にしようかと思います。すみません。

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