8 グラジオ視点 静かに、そっと。寄り添う君は、美しい。

 グラジオ・ルーカハイト。

 そう名乗ることに抵抗がなくなったのは、何年前のことだったか。

 ルーカハイト辺境伯の長男として誕生した俺は、生まれたときには既に、次期当主となることを期待されていた。

 この地は今でこそ隣国と友好関係を築いているが、元は争いと悲しみに満ちた場所だった。

 その争いを収め、他国との交流を始めたのが、俺が生まれた家系――ルーカハイト家だった。


 親族も、王侯貴族も、領民も。みんなが次期当主の俺に期待していた。

 先代たちのようにこの領地と国を守り、発展へ導くのだ、と。

 年端もいかぬ子供が抱えるには、重すぎる責任だった。

 それでも、人前で泣くわけにはいかない。

 ルーカハイト家の跡取りとして、辺境の地を守る者として。

 皆に弱いところを見せることはできないのだ。


 けれど、絶対に涙を流さないというのも無理な話で。

 幼い俺は、人目につかない場所で隠れて泣いていた。

 あれは、7歳か8歳ぐらいのときだったろうか。


 その日も、俺はいつも通り、ルーカハイト邸の庭の片隅でひとり泣いていた。

 大きな木にできた、穴の中。子供ならなんとか入れるぐらいの大きさだ。

 自分以外は誰も来ない、秘密の場所……のはずだった。


「誰か、泣いているの?」


 ぐすぐすずびずびと情けなく泣いているところを、たまたまルーカハイト家に来ていたリリィベルに見つかってしまった。

 銀の髪をふわりと揺らした彼女が、穴の中を覗き込む。


「……グラジオ様?」

「目にゴミが入っただけだ!」


 幼い俺は、苦しい言い訳をして必死に涙を拭う。

 自分より年下の女の子に、情けない姿を見られてしまった。

 今すぐにでも泣くのを止めて、ルーカハイト家の人間として振る舞いたいのに、どうしてか、涙は流れ続ける。


「くそっ、とまれ、とまれ……!」


 そう思えば思うほどに、涙がぽろぽろと。

 どうしようもなくなって顔を隠し、ひっくひっくとしゃくりあげる俺に、リリィベルは。

 

「グラジオ様」


 優しく名前を呼んでから、俺の手をぎゅっと握ってくれた。


「私が怪我をしたとき、お母様がこうしてくれたんです。どうですか? グラジオ様」


 痛いのは、なくならないかもしれないけど。リリィベルはそう付け足した。

 それから、目をきちんとお医者様に診てもらったほうがいいとも。

 小さな手がくれた温もりに涙腺を刺激され、更に涙があふれてくる。

 リリィベルは少し慌てながらも、俺の手を握り続けてくれた。


 それ以降も、その場所で泣いているのをリリィベルに見つかることがあった。

 今思えば、心のどこかで、彼女が来てくれることを期待していたのかもしれない。

 そのたび彼女は俺の手を握ったり、ただ近くに座っていてくれたりした。

 同じことを何度も繰り返した頃、俺はついに、ルーカハイトの名が重いのだと彼女に打ち明けた。

 しかし、まだ5歳や6歳だった彼女からは上手く言葉が出ず。

 それでも、俺をバカにしたり、がっかりしたりすることもなく、静かに寄り添ってくれた。


 なにも言わずにそばにいた。それだけのことかもしれない。

 けれど、次期当主として厳しい言葉や重すぎる期待を向けられていた俺にとって、静かにそばにいてくれる彼女の存在は、確かに救いだったのだ。

 リリィベルは、俺が弱音を吐いたことを他の誰かに話すこともなかった。

 まだ幼いにも関わらず、自分の胸にそっとしまってくれた。


 時が経ち、10代半ばとなる頃には、幼い頃のように怯えて泣くことはなくなった。

 辺境伯としての務めを果たす覚悟ができたのだ。

 逃げ出さずにここまで来れたのも、リリィベルが俺の涙を受け止めてくれたからだと思っている。


 17歳となった今だって、ルーカハイトの名は重い。

 けれど、この土地と、大切な人たちを守るためならば、己に課された役割を果たしたい。

 今なら、そう思える。


 リリィベルと婚約してからは、よりその想いが強くなった。

 彼女は知らないかもしれないが、そっと見守ってくれるリリィベルは、ずっと前から俺の支えになっている。

 そんな彼女と、人生を共にする。気合が入るのも、当然というものだろう。


 リリィベルには情けない姿ばかり見せているような気もする。

 それでも、彼女は俺に失望したりしない。


「リリィ」

「はい、グラジオ様」


 隣に立つ彼女が、柔らかく微笑んだ。

 この優しさと、美しい輝きを。傷つけられて、なるものか。

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