第4話 古城の少女

「いッ…」


俺は全身の痛みで目を覚ました。


「ここは…?ちゃんと異世界に着いたのか…?」


辺りを見渡すと、見たことのない風景。

石造りの壁に、蝋燭の仄かな明かり。

まるでファンタジーの城のような雰囲気だと感じた。


「やっぱり異世界ってのは中世ヨーロッパみたいな感じなんだね…っと」


そこで俺はホコリ臭いベッドの上に寝ていることに気がつく。

どうやら俺は気を失い、誰かに運ばれてこのベッドの上で寝かされていたようだった。


「あれ…装備がない…」


まるで軍隊のように武装していたはずだが、今の俺はズボンにTシャツのみという休日のお父さんみたいな格好になっていた。

そういえば、俺は激痛で目を覚ましたはずだ。

身体を確認してみるが、傷ひとつない。


「異世界転移の衝撃みたいな感じかな…?車酔い的な…」


わからないが、ここはもう異世界なのだ。何が起こってもおかしくない。

とりあえず起きるか…。

身体を起こそうとしたところで、廊下から足音が聞こえる。

足音は俺がいる部屋の前で止まり、控えめなノックがされた。


「はーい」


俺が返事をすると、見るからに重そうな分厚い木の扉は軋みながら開かれた。


「おはようございます、目を覚ましたんですね」


部屋に入ってきたのは礼儀正しそうな黒髪の少女だった。黒いセーラー服のような恰好で、こちらに微笑んでいる。

髪の長さは背中くらいで、礼亜を思い出させる。


「調子はどうでしょうか。私のことはわかりますか?」


少女は見るからに行儀良さそうに、俺の寝ているベッドの隣に備え付けられた椅子に座った。

口ぶりからすると、俺が彼女のことを知っているような素振りだが、残念ながら面識はないと思う。

もしかしたら転移後にお世話してくれる人だったりするんだろうか。事前に説明があったりしたのか?


「すみません、まだちょっと混乱していて…」


俺はひとまずお茶を濁した。

すると彼女の目に落胆の色が浮かんだのが分かった。

俯きかけた彼女だったが、意を決するように再び顔を上げると、こう言った。


「一時的に記憶がおかしくなってしまっているかもしれませんしね。ですが、敬語はやめてください。お願いします」


まぁ、学生服を着ているからには年下だろう。お言葉に甘えて、敬語はやめることにする。


「えっと…状況の確認をさせてほしいんだ。ここは異世界で良いんだよな?」


「そうですね」


「君はいったい…俺はどうしてここに寝てるんだ?」


「私はヒナミですよ。そして貴方は私を…」


ここで彼女がふと思案顔になる。

フリーズしていた時間は一秒にも満たなかったか、またすぐに話を続けてくれる。


「貴方はこの古城で倒れていたんです。そこを私が見つけて、この部屋に連れてきました。元気になったようで何よりです」


彼女は優しげに俺に説明してくれた。


「そうか、助けてくれたんだね…それはありがとう、ヒナミさん」


「ヒナミと呼んでください。敬称は不要です」


「わ、わかった…」


この子、いい子だとは思うんだがところどころで謎に圧が強くなる。接され方にこだわりがあるんだろうか…。


「それで、ここはどこなんだ?異世界なのは分かったけど、俺は転移後は拠点に着くと聞いてたんだけど…」


「そうですね、本来はそうなるみたいですよ」


「あ、そうなんだ。んじゃなんで俺は古城で倒れたりしていたんだろうか…」


「さぁ…。あ、お腹空いてませんか?」


そういえば、少し空腹を感じる。


「ちょっとだけかな」


「じゃあ、軽く何か作ってきますよ」


ヒナミは嬉しそうに微笑むと、俺が止める間もなくパタパタと部屋の外へ出ていった。


「知らない子…だよな。なんであんなに尽くしてくれるんだろう」


俺は首を傾げつつも、勝手に動き回るわけにはいかないと思い、大人しくベッドに寝ていた。

少しうたた寝していただろうか、再び部屋の扉が控えめに叩かれる。


「どうぞー」


「失礼しまーす。ミートパイ作ってきました」


既に切り分けられているそれを、彼女はベッドの脇の小さなテーブルに置いた。


「あーん、してください」


彼女は一口大にカットしたそれを俺に差し出す。


「いやいや、怪我人でもないんだから、自分で食べられるよ」


俺は笑いながらやんわりと拒否するが、彼女は一生懸命に、ん!ん!と差し出してくる。

そこまでしたいなら、と俺は彼女が差し出すフォークに食いつく。


「おいしいよ。これは何の肉を使っているんだ?」


味は好みだが、食べたことがない肉だと思った。


「とても貴重なお肉ですよ。ここでしか食べられないと思います」


「ふーん…」


少しは気になったが、追求するほどでもないので、俺はヒナミからフォークを受け取って、残りのミートパイを平らげた。

食べている間も彼女はとても幸せそうにこちらを眺めていたので、少し居心地が悪かった。


「ふふ、ところで、貴方は何をしにここへやってきたんですか?」


食べ終わって一段落したところで、ヒナミは訊ねる。

そうだった、俺は礼亜を迎えに来たんだ。

異世界に来れたからには、もう必要以上に焦る必要はないが、早く逢いたい気持ちはある。

俺はベッドから起き上がりながらヒナミに言う。


「俺は幼馴染を迎えに来たんだ…ッ!?」


するとなぜか、突然ヒナミが俺に抱きついた。


「ヒナミ!?」


「やっぱり、やっぱり貴方がそうなんですね!記憶がおかしくなって、私のことを忘れていても、貴方が私を迎えにくれた!」


ヒナミは感極まって俺の胸の中で涙を流しているようだ。

だがしかし、俺に心当たりはないし、それになにより何か勘違いされているように思える。


「ヒナミ、落ち着いてくれ、なにか誤解がある気がする」


「えへへ、すみません、あまりに嬉しくて…」


俺がヒナミの両肩を押さえて距離を離す。

ヒナミは笑い泣きのような表情で涙を拭っていた。


「ずっとずっと、待ってたんですからねっ」


なんて彼女は言う。だが俺はヒナミを迎えに来たわけではない。


「俺は幼馴染の…竹中礼亜を迎えに来たんだ。ヒナミとは初対面のはずだろ?」


「…え?」


嬉しそうだったヒナミの表情が一気に抜け落ちた。

少し恐怖を覚えつつ、俺は説明を続ける。


「だ、だからそろそろ行かないと。助けてくれてありがとう!」


さっきまで幸せそうだったからだろうか。

その落差があまりにも不気味で、俺は早めにここから去ることにした。


「………」


「俺はまず拠点に…ッ」


しかし説明を最後まで続けることはできなかった。

痛みを覚えた俺の太ももを見ると、いつの間にかヒナミの手に握られていたナイフが深々と刺さっていた。


「ッあぁあ!!」


認識してしまうと、ますます痛みが強くなる。

俺は足を押さえてベッドに転がってしまった。


「どこに行く必要があるんですか?私はここにいるんですよ?」


彼女は痛みに呻く俺の上に馬乗りになる。


「やっと会えたんですから、もう離れ離れになる必要はどこにも…ないでしょう?」


そのまま身体を倒して、彼女はまるで恋人のように俺の上に重なった。

正直ドキドキしている暇もない。

出血は止まらず、脂汗がドンドンと滲んでくる。


「なにをするんだ…!」


力づくで彼女をベッドから投げ落とす。

床に転がった彼女はゆっくりと立ち上がり、その手に持つナイフをもう一度振り上げる。


「いけない人」


「いぁッ…!」


今度は無事だった左足にナイフが突き立てられた。

太ももには重要な血管が通っている。足だからといって致命傷にならないわけではない。

このまま適切な処置が行われなければ間違いなく死ぬ。


「大げさですね…傷口、見てみてください?」


「あ…?」


言われて、傷口を抑えていた手を恐る恐る外す。

溢れ出た血で何も見えないが、出血は止まっているようだった。

痛みはあるものの、触ってみると傷がない。深々とナイフが刺さったのは決して幻なんかではないのに!


「な、なんで…?」


「私の愛ですよ、ふふ。あ〜いです」


彼女は困惑する俺を尻目に、部屋の収納から丸く結ばれたワイヤーを持ち出す。


「そもそも、貴方はこの古城に来た時点で死にかけていたんです。出血もすごくて、洗うの大変でした」


「は…?」


「だから私の左の薬指をこうして…」


ブチッ。ボキッ。薬指を自ら引きちぎり、俺の前に持ってくる。


「貴方に食べさせたんです」


そしてまた、自分の左手に戻した。

信じられない光景だった。間違いなく千切れていた薬指が何事もなかったかのようにくっついている。

いや、溢れ出た血が左手を濡らし、何事もなかったことを否定していた。


「さっき食べたミートパイも、美味しかったですよね?」


まさかあの肉は…。

その考えに至った瞬間、一気に吐き気が込み上げる。


「私を食べた人間は私ほどでないにせよ、回復能力を得ます。代わりに痛覚が少し鋭敏になるみたいですけど…」


彼女は俺に近づく。

必死に後ずさるが、残念かな、後ろは壁だ。

そっと俺の右手を持ち上げる彼女。

そしてナイフを俺の親指と人差し指の間に滑らせ、一気に手のひらを切り裂いた。


「〜〜〜〜ッ」


最早声は出なかった。

ヒナミはその裂けた傷口に持ってきたワイヤーを通す。

そして俺の親指を元あった場所にくっつける。

傷口はワイヤーを挟んだままゆっくり治癒していく。


「もう少しだけ、我慢しててくださいね」


俺が暴れようとするたびに彼女はギュッと傷口に力を込め、俺の動きを制した。

そうして手を離したときには、俺の手のひらからはワイヤーが生えていた。

彼女はもう片方をベッドに縛り付ける。


「これで私から離れることなんてできませんよね。きちんと思い出してくれるまで、ちょっとだけ許してください」


心底申し訳なさげに彼女は言った。


「狂ってる…!」


「貴方を愛しているんです」


憎々しげに呟いた俺の手のひらにキスをして、彼女はベッドから離れる。


「いい子にしててくださいね。ずっと私がついてますから」


照れくさそうに言って、頬を染めながら彼女は部屋から出ていった。


「はぁ…はぁ…」


痛みは落ち着いてきたが、この状態では動けない。

親指以外の4本の指が、親指の骨の付け根のあたりで結ばれているのだ。

すこし引っ張るだけで骨にワイヤーが当たる不気味な感触があった。

しかも、彼女の言うとおり、痛覚が敏感になっている。

試しに頬を抓ってみたが、自分の行いを後悔する激痛が走った。


「流石異世界だな…到着早々、肉体改造されて拷問か…」


俺は抵抗を諦めてベッドで仰向けになった。

身体は治るらしいが、体力は消耗する。

人生初の異世界転移からの大怪我で疲労困憊だ。

これからのことを考えようと、目を閉じた。そのまますぐ、俺は眠りに落ちていく…。



「おはようございます、ご飯ですよ、お兄さん」


茶目っ気を出した可愛らしい声で目が覚める。

頭は覚醒していなかったが、余程ひどい目にあわされたのが堪えているのか、反論の言葉はスッと返すことが出来た。


「誰がお兄さんだ…このサイコ女…」


「そんな酷い言葉を言われてしまったら、私、また貴方を縛ってしまうかもしれませんよ」


言われて気づいた。ベッドに縛られていたワイヤーが解かれている。残念ながら右手に生えたワイヤーはそのままだったが。


「さ、食べてください。このへんの動物を頑張って倒して、料理したんですよ」


差し出されるお盆には簡単な肉野菜炒めのようなものが乗っていた。


「今度はお前の肉じゃないんだな」


「そっちのほうが良かったですか?」


俺は考える。

彼女は簡単に俺が跳ね除けられるほど非力だ。

一度振り払ってしまえば逃げるのは容易ではないか。

ちょうど扉も開いているし、寝ておきたばかりで体力も充分だ。むしろこのまま監禁生活が続けば逃げる機会はどんどんなくなっていくだろう。


「ッ!」


「あら…」


思い立った俺はすぐに行動に移した。

右手から生えているワイヤーの端を掴み、一気に走り出す。

押し退けられた彼女は料理を床にぶちまけてしまった。

少し申し訳なく思えるが、情けをかける必要はないだろう。

ベッドからドアまでの距離は4メートルほど。

無駄に広い部屋だが、既に彼女の手が届く範囲からは逃れている。

もう少し、もう少しで廊下だ。


そんな瞬間、俺の身体はグンッと後ろに引っ張られ、宙に浮いた。

地面と平行に真っ直ぐ彼女に吸い寄せられていく俺。

何が起きているか分からなかった。


「どうなってる!!」


思わず取り乱す俺を受け止めた彼女は耳元で囁いた。


「私、転生者なんです…転生者って、特殊な能力が使えて当たり前なんですって…」


意味がわからない。

異世界とはここまで理解の及ばない世界なのか。

ガックリと崩れ落ちる俺から伸びるワイヤーの端をベッドに再び結びつけてから、彼女は床に散らばった料理を片付け始めた。


「もし次に私から無理に離れようとしたら、分かってくれるまで足の先から首の下までハンマーで砕きます…いいですね?」


料理を片付け終えた彼女は地獄の予告とも言える言葉を吐いて部屋から出ていった。


「チート持ちかよ…ホント笑えねえ…」


俺は再びベッドの上に戻った。

窓の外を見る。

空は白み始めている。

ここに来たのが午前か午後かはわからないが、日が昇っているということは俺はかなりの時間眠っていたのだろう。


明らかに彼女は元の世界で聞かされた“拠点”の人間ではない。

拠点の人間は俺を探してくれていたりしないだろうか。もしそうなら、あまり時間をかけていては捜索が打ち切られてしまう。

先程は逃げるチャンスがあったため、すぐに行動したが、そうじゃなくても、時間をかければかけるほど状況は俺に不利になっていく。


「礼亜…」


俺はこの世界に来るきっかけになった少女を思い浮かべる。

高校時代に死別して、あれから5年。1日たりとも忘れたことはなかった。


「俺はここにはいられない…」


訳もわからないまま一生監禁されるなんてごめんだった。

逃げる方法は思いついている。

しかしそのためには覚悟が必要だった。


「礼亜…必ず迎えに行くからな」


俺は覚悟を決めた。


§


「甘く見てましたね…」


少女の視線の先には、血まみれのベッドがあった。

ワイヤーの端は変わらずベッドに結ばれている。


「必ず、迎えに行きますからね。今度は必ず。死んでも迎えに行きますよ」


少女はニッコリと笑って、古城を後にしたのだった。


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