甘い節制-Ⅱ

 ヨシュア・キンドリーが去ってしまった教室。銃を手渡された生徒達は、選択を迫られていた。震える手で拳銃の重みを再確認する。


「人なんて殺せないよ……」

「殺すとは言ってないだろ。足止めするだけだ」

「やったこともないくせして、簡単に言わないでよ!」


 ノーマンの父親は地元の有力者だ。在籍していた頃、よく射撃自慢をしていた。とは言え所詮は高校生の射撃。たかが知れているとしか思っていなかった生徒達が大多数。ゆえに、彼がサブマシンガンを発砲した恐怖は相当なものであった。


「君たち、拳銃触ったことないの?」


 突然の声に生徒達は危うく銃を暴発させる所だった。振り返った先に、見たことのない生徒が立っている。近づいてきた少年は完全に気配を消していた。しかし今、その事に疑問を持てるような余裕が彼らにはない。


「さっき、この銃をばら撒いてた人だよね。名前は? 何年生?」


「俺たちに名前なんかないよ。好きに呼んだら良いじゃん」


 紅梅こうばい色の瞳をした生徒達を一瞥いちべつした少年が机に腰掛ける。少年は、彼らの瞳を見ても特に驚いた様子はなく淡々としていた。


「名前がないって……えっ? 君は銃の扱いに慣れてるの?」

 

「質問されるのは好きじゃない。銃なんて使ってるウチに誰でも慣れるよ。ちょっと貸して」


 顔を見合わせた生徒達が恐る恐る拳銃を少年に差し出す。


 銃を受け取った少年は次の瞬間、目の前にいた少女へ突然発砲した。そこら辺にある輪ゴムでも飛ばすような感覚で。


 乾いた銃声が教室内に響き渡る。余りにも唐突過ぎる出来事に、生徒達は理解を拒否していた。返り血を浴び、数秒前まで生きていた少女を見ている。血溜まりが急速な勢いで床に広がっていた。


「ほら、簡単だろ」


 少年は生徒達に拳銃を返すと教室から出ていってしまった。





 パン!


 少年が教室内で発砲したのと同じ時、キングはようやく校内に到着していた。銃撃音に反応して顔を上げる。眼鏡のマシューは、ハイスクールに戻ってきた事を後悔していた。


「僕帰りた……」


 そう言いかけたマシューは、続きを飲み込んでしまった。SPの死体と車いすが廊下に虚しく転がっている。二人を置き去りにしてしまった罪悪感が一気に押し寄せていた。そうしている間にも、人の気配を感じたキングが教室へ入ってゆく。


 マシューには、彼について行く以外の選択肢が残されていなかった。


「ねえ、キング助けて……」


「大丈夫かい。皆、怪我は?」


「そんな……酷い、キング。諦めろって言うの?」


 振り向いたキングにマシューが首を横に振る。皆、しか認識出来なかった。声すら耳に届かない。


 キングは、こみ上げてくる怒りを必死に押し殺していた。


 認識されなければ、取引に持ち込むことすら不可能だ。このまま、ハイスクールが崩壊してゆく様を打ちひしがれて見ていろと言うのか。


 その時、一人の生徒が目に入った。教室の隅で膝を抱え、他の生徒よろしくにブツブツと語りかけている。しかし他の生徒と違い、語りかけている対象物が明確に存在していた。


 生徒が話しかけていたのは新聞紙であった。そう、かつてエデンの家でアンナ・キンドリーらと共に写真を撮られた例の紙面。当時のキングは正体を隠すため、写真から存在そのものを消していた。


 メモ用紙に何やら書き込んだキングがそれを置く。新聞の上にメモ用紙が突如舞い降りた様にしか見えていない生徒が、それを拾い上げた。


「(君たちを助けにきた。キングより)……なんだこれ」


 キングは確信を得ていた。これなら何とかなる。彼はマシューに頷いてみせると、二人で職員室へ向かった。放送室のマスターキーを取りに行くために。





 職員室はむごいの一言に尽きた。まだ辛うじて息のある教師もいたが、ひと目でそれも時間の問題だと分かる。壁中に飛び散った血が銃撃の凄惨せいさんさを物語っていた。


 キングが放送室の鍵を取っていると、マシューの小さな声が聞こえてきた。


「アンナさん!良かった……生きてたんですね」


『電話、通じない』


 死体に埋もれて身を隠していたアンナ。這い出て来た彼女は、電話線が切られた事を懸命に伝えようとしていた。悲しいかな、この有様では血で指文字を書くしか術がない。


「僕は読唇術が使えます。電話、通じないんですね。アンナさん」


『貴方の声。エデンの家にいた……』


「そうです。キング・トートです」


 アンナの顔にあの時と同じ笑顔が浮かんでいた。キングの声……それは懐かしくて胸がくすぐったくなるような声。SPを殺害され、それまで一人で恐怖に耐えていたアンナはキングに抱きついていた。


 どうしてそうしたのかはお互いに説明が出来ない。

 

 だがしかし、キングも迷わずアンナを抱き寄せていた。





「ねえ、ノーマン。ここに本物のキングが隠れてた」


「ああ。戻ってきて正解だったな」


 抱擁ほうようする二人のすぐ近くで眼鏡のマシューは両手を挙げていた。押し付けられた銃身がやたらと冷たい。顔なら涙と鼻水でとっくにびしょ濡れだ。


 引き金に手を掛けたレベッカが嬉しそうに目を見開く。瞳孔が完全に一本の線となっていた。





 ◆





 ヨシュア・キンドリーと謎の少年がばら撒いた拳銃によって、二人の生徒が自殺した。迷わず頭を撃ち抜いたのが一名。ノーマンの凶弾により恋人を失ってしまい、後を追ったのが一名。


 そして、少年が殺害した一名。


 その死とは対象的に、鳴り響いた銃声は余りにも軽かった。恐怖の臨界点に達した生徒が疑心暗鬼になるのは、ある種の生存本能と言えた。


「こうなったのは、全部お前のせいだぞ! キング!」

「やめろよ。キングは悪くないだろ」

「うるせえ、俺に指図すんな!」


 揉み合いになってしまった生徒達。彼らは最早、何と戦えば良いのか分からなくなっていた。助かりたい気持ちは同じなのに。一向に警察の訪れる気配がない。誰も助けに来ない。


 キングは拳銃を手渡して戦え、と言うだけだ。


 パン!


 乾いた銃声がここでも響いた。揉み合っているうちに銃が暴発して、一人の太ももを撃ち抜いてしまったのだ。


「ギャッ!」


 叫び声と同時にもう一発、銃声が鳴り響いた。少年が身体ごと崩れ落ちてゆく。


「……大声、出さないでって言ったじゃない」


 少女は泣きながら声を漏らすと、唖然あぜんとしているもう一人に銃口を向けた。

 


 そこかしこで似たような状況が同時多発的に発生していた。生存を賭けた自滅のセレナーデ。最早キャンディーは関係ない。単に種としての人類が持つ構造上の問題。言ってしまえばそれだけの話であったが、人はそれを悲劇と呼ぶ。


 それでも、ただ生きたいだけの生徒達が殺し合う様を観て悦ぶのは、文字通り悪魔のような人間だけだ。





 眼鏡のマシューは、恐怖のあまり失禁しそうになっていた。ノーマンとレベッカはすぐ側にいるキングを認識できない。アンナに耳元で何かを囁いたキングが振り返る。


 立ち上がったキングは白マントを羽織り大鎌を担いでいた。どこからか強い風が吹き始め、血の匂いをかき消してゆく。


 キングが宙を浮いた時、マシューはついに失禁してしまった。


 キングの斜視が、別の生き物としか形容出来ない動きをしながら落ちてゆく。それをてのひらで受け止めたキングが手を差し出すと、眼球が回転し始めた。


 職員室にあったラジカセが宙を浮き、教室内を飛び回る。風で吹き上がったプリント用紙は小さな竜巻を起こした後、大きな十字架を形作っていた。


 ノーマンは冷静だった。照準をプリント用紙の十字架に合わせる。レベッカは、その異様な光景に困惑していた。


 一方のマシューは完全に腰が砕け、盲目のアンナは死体のフリをしていた。


 十字架だけでも不気味なのに、教室の中を縦横無尽に飛び回るラジカセはややもすると狂気に映った。つばめの飛行を思わせるスピーカーから、キングの声が聞こえてくる。

 

「レベッカ、本物ならここにいる。君たちには見えていない」


「どういう事なの? ノーマン」


「お前、信じてなかったのかよ。斜視野郎は死神だって言ったろ。人間じゃねえんだよ」


 ノーマンのサブマシンガンが派手な火花を散らす。だが、キングの声が止むことはなかった。


「人間に僕を殺すことは出来ない」


 キングがおごかな様子で大鎌を振るうと、てのひらの上で浮かぶ眼球が急回転を始めた。身動きを封じられたノーマンとレベッカに苦痛の表情が浮かぶ。彼らは両腕をキングによって骨折させられていた。


 床に舞い降りたキングは大鎌で二人の銃を払い除けると、マシューに手を差し伸べた。


「もう大丈夫だよ。ノーマン達は銃を持てない。骨折している」


「――……触らないでくれ。人間じゃないってどういう事なんだよ、キング」


 眼鏡のマシューから虚しく手を振り払われてしまったキング。そんな彼を見ていたノーマンが大声でののしりだした。


「お前が来たからこの学校は滅茶苦茶になった。お前さえ居なければ、こんな事にはなってなかったんだ! 俺の人生を返せ!」


「その通りだよ、ノーマン。僕は、一度で良いから学校に通ってみたかった」


「きったねえトレーラーハウスで毎日、親父にケツを掘られながらか。あのまま野垂れ死にすりゃ良かったんだ!」


 キングがこれ以上傷つかぬよう、後ろから彼の耳を塞いだのはアンナであった。振り向いたキングに『ありがとう』と微笑みかける。若き死神は、胸の内からこみ上げるものをき止められずにいた。


「マシュー、最後にお願いがある。アンナを連れて逃げてくれないか」


「無理だよ……他にも銃声がしてるじゃないか」


「頼むよ、マシュー」


 マシューを見つめるキングの頬を涙が伝っていた。


「――……分かったよ、キング」


「ありがとう、マシュー。君と友達になれて嬉しかった」


 死神は泣きながら微笑んでいた。「バイバイ」キングが独りごちて左手をかざす。アンナとマシューがひっくり返したパズルのように崩れて、職員室から姿を消していった。


 次の瞬間、二人はアンナが乗ってきたロールスロイスの前にいた。しかし、運転手を兼ねていたSPはとっくにその命を落としている。


 それにしても街は、誰一人としてこの惨状に気がついていないようだった。


 怪訝けげんな表情を隠しきれないマシューに燕尾えんび服の男が声を掛ける。


「アンナさんのご自宅までお送りいたしましょう。さあどうぞ」


 男がパチンと指を鳴らすと、二人は車内で座っていた。運転席には男がシルクハットを被ったまま座っている。アンナは、指を鳴らされた拍子に意識を失っていた。


「……貴方も死神なんですか?」


「私はキングさんの友人なんですよ」


 魔術師はハンドルを握ると、そのままロールスロイスを発進させた。





 ◆





「皆さん、この放送が聞こえますか。僕は生徒会長のキング・トートです。銃をその場に置いてください。事態の収束をしました。動ける方は速やかに講堂へ集まってください。繰り返します、銃を置いてください」


 謎の少年に少女を殺害された生徒達は、銃を床に投げつけて号泣していた。少年に銃口を向けていた少女は、力が抜けてその場に崩れ落ちていった。新聞に語りかけていた生徒も顔を上げる。


 各所で勃発していた争いが止まり皆、キングの放送に耳を傾けていた。


「ぼちぼち私たちは引き上げるとしようか」

 

「そうですね」


 ヨシュア・キンドリーと謎の少年もまた、この放送に耳を傾けていた。校長室にいたヨシュアが名残惜しそうに手を叩く。彼は学内での惨劇を死神から目を借りて堪能していた。


「フフッ。それにしてもキングの涙は傑作だったな。本当の事を言われて傷つく死神なんて見たことがない。君もそうは思わないか、カイン」


「貴方が仰るのならその通りなんでしょう。


 謎の少年は、特にこれといった感情もない様子で返答した。彼は通称カイン。傭兵部門トロイの幹部である。

 

 本当の名前はない。彼もまた、アダムの子だからだ。そしてレイラと同じ、まれに出る洗脳が入らない子でもあった。入れ替わりが激しいトロイにとって、レイラとカインは貴重なリーダー候補として扱われた。


 そう、レイラが下手を打つあの日までは。


「あの死神、次はトロイを殲滅せんめつしにくるだろうね。今更止まれないのさ。憐れなものだよ」


「まあ、俺らは死ぬのが仕事みたいなものですから。本業も殺しですし」


「カイン、君にとっての命は本当に等しく軽いんだな。だから私は君が好きなんだ。どうだい、これからワインでも」


が仰るならお付き合いします」


 ヨシュアは立ち上がると、部屋の隅にいた死神と学園祭の女王に笑いかけた。彼の足元には、取引に使われた校長が転がっている。


「後は任せても大丈夫だね。目は借りておくよ。余すところなく、この男を使ってくれ」


「ねえ……私は連れて行ってくれないの? キング」


「君はこれから出番だろう? 学園祭の女王は最後に登場するのがセオリーなんだ。上手く演じきれたらご褒美をあげよう」


 ヨシュアはキングと呼ばれる事に早くもうんざりしていた。部屋の隅に立つ死神へ目配せをする。「学園祭の女王も適切なタイミングで処分してくれ」と。死神は軽く会釈をしながら口角だけを上げていた。





 講堂には続々と生徒達が集まってきていた。皆、疲れ切って生気のない顔をしている。それでもキャンディー効果で、キングへの熱狂にはまだ余韻が残っていた。その場から動かせない者以外は、肩を担がれたりしてその足を運んでいる。


 キングは、講堂の上をずっと飛びっぱなしだった。取引をより確実なものとするために、出来るだけ多くの生徒が必要だ。


 ノーマンとレベッカは講堂の舞台袖で拘束されていた。は人の命を軽視しきっている。容赦なくこの二人をも消してしまうだろう。これ以上の犠牲は出したくない。


 キングは舞台へ戻るとマイクを取って話しだした。


「改めて生徒の皆には謝罪をしたい。今回の件は僕が原因だ。本当に……申し訳ない。後少しだけ耐えてほしい。これ以上君たちが巻き添えを食う事はなくなるはずだから」


 マントから出したてのひらの上でキングの瞳が激しく回転しだした。地鳴りと共に、天窓ガラスが一斉に割れる。ガラスの破片は、まるで天気雨のように優しく地面に降り注いだ。太陽の光が差し込んでくる。


 キングは宙を浮くと天井まで飛んで、眼球の載ったてのひらを掲げた。太陽の光がサファイアブルーの瞳に反射する。拡散された光がガラスの破片にキングの姿を映し出していた。


「キング……!」

「うわあ、キングがいる!」

 

「君たちに取引を申し出たい!身の安全は保障する、代わりに――」

 


「学園祭のメインはキャンディーパーティーよ!食べきれないほどのキャンディーを用意してきたわ!皆、大好きでしょ?」


 生徒達が一斉にキャンディーというワードに反応していた。目つきが完全に依存症のそれとなっている。キャンディーの誘惑を前に、キングの言葉は容易たやすくかき消されてしまった。

 

 今まで何処に隠れていたのか。声の主は、ハイスクールの女王ことクイーンビーだった。



 それでも、キングは絶句していた。

 余りの出来事にただ呆然とするしかなかった。





 クイーンビーの隣でキングに微笑みかける死神。は天使だった。アルビノを彷彿ほうふつとさせる肌にプラチナブロンド。サファイアのような瞳が特徴的な、白い羽根の天使。


 なにより

 は、キングが殺害したはずの母親そのものであった。

 

 ……!


 母親と瓜二つの死神が超然と羽根を広げた瞬間、全ての時が止まった。キャンディーへ群がろうとする生徒達とクイーンビーが、切り取られたフィルムのように固まっている。


 キングはあらゆる事象が止まった世界から、死神の用意した別空間へと連れ去られていった。





 -次エピソード『星の憧憬』へつづく-


 

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