女教皇の憂鬱-Ⅲ
ジョージとクロエは、アジアンタウンにあるモグリの診療所を訪れていた。炒飯とスープの食事はここへ来る前に済ませた。レタス炒飯が
キングがエデンから救ったルーカス達。彼らは一ヶ月経っても寝たきりのままであった。人の肉で辛うじて命を繋いできていた子供も、感染症の治りが悪い。更に別室で隔離されたままだ。モグリ医がカルテを見ながら困りきった表情を浮かべていた。
「なあ、モリシタ。この子たちをもっと大きな病院へ移せないのか。出来るだけ早く高度な医療を施した方がいい」
「分かってるさ。この子たちだけなら可能なんだろうが……」
ルーカス達は元々の扱いが廃棄処分だった。人身売買組織エデンにとって、表沙汰になって困るのはむしろ彼らの方だ。マスコミと人権活動家達がすぐにでも大騒ぎを始めるだろう。
そうする事が出来ない理由。それはクロエの存在に尽きた。
存外、スネークの処刑も効果はあったが。
州警察の不穏な動きは、キングとジョージを
「キングともう一度、相談してみる必要性がありそうだな。済まない、治療を任せきりにしてしまって」
「治療に関しては気にするなよ。俺は医者だぞ。本当は三人で話せれば一番早いんだがな。おちびのクロエが一緒じゃ厳しいだろう」
「まあな。困ったお姫様だ」
ジョージは未だ昏睡を続ける子供たちの元へ歩み寄っていった。一人ひとりの頭を優しく撫でてゆく。栄養を摂取するために挿入された
ジョージはモグリ医へ深々と頭を下げると部屋を後にした。
待合室ではクロエがモグリ看護師と共に談笑していた。今にも壊れそうな中古のテレビからはニュースが流れている。診察室の扉が開くと、クロエがご機嫌な笑顔をジョージへ向けた。
「あ、ジョージ!おかえり」
「なんの話をしてたんだ、クロエ」
「
「まだ眠ってるよ」
「そう……キングのせいだもんね。白いお家から皆を追い出したりしてさ」
「それは違うよ、クロエ。あそこにいたら全員、死んでた」
「違わないわ。だってジョージはそんな事しないもん」
ふくれっ面をするクロエの頭を撫でながら、ジョージが隣に座る。洗脳による認知の歪みは厄介な問題だった。誰かを熱心に崇拝する事だけが洗脳ではない。逆もまた然りなのだ。キングに対する度を越したクロエの嫌悪は、確実に洗脳被害の症状と言えた。
ジョージは深い溜め息をつくとボロボロのソファーに身体を預けた。テレビからは今日も殺人のニュースが流れている。それでもニュースになるだけマシだ。アダムの子たちは毎日どこかで死んでいる。けれども、決してメディアはそれを取り上げない。
ニュースをぼんやりと眺めていたジョージは、再選を果たしたオリヴァー・キンドリー州知事に淡い期待を抱いていた。
『人身売買及びテロ組織の撲滅』を宣言したキンドリー州知事に掛け合ってみる価値はあるかもしれない。州警察の腐敗とマフィア、そして
死んだ親父がキンドリー州知事と知り合いだったはずだが。ツテはまだ残っているだろうか。どちらにせよ、キングと諸々の相談が先決か。
様々な考えを巡らせていたジョージだったが、彼の耳はニュースの音声に反応していた。
本人にとって不穏な知らせ程、よく聴こえてきたりするものである。この時もまさにそうであった。
「さて、今入りましたニュースです。アガタ湾で女性の死体が発見されました。被害者は日本人女性のユカリ・モリシタ。38歳。数週間前から行方不明になっており失踪届が出されていました。胸部にナイフのようなもので刺された傷痕があることから、当局は事件に巻き込まれた……」
ジョージは、いきなり顔面を殴られた表情をするしかなかった。
まさかを打ち消す為に、ちらつくブラウン管をひたすらに凝視する。あらゆる感覚を駆使し、否定する材料を懸命に探す。しかし、すればするほど虚しく否定されてゆく希望。ジョージの顔を見上げていたクロエの表情にも不安の色が浮かんでいた。
ユカリ・モリシタ、俺の姉貴が殺された。
「……姉貴? 嘘だろ。殺されたって……そんな馬鹿な」
慌てた様子でモグリ医が診察室から飛び出してくる。彼も同じニュースを見ていたのだろう。
「おい、モリシタってお前の身内じゃないのか?」
「ああ……姉貴が殺された……でも、施設に入所していたんだ。生まれつき目が見えなくて」
「施設が
「それはない。俺がどれだけ
「キングは嘘つき。キングがやったんだ」
クロエの大粒な黒い瞳が憎しみの光を放っていた。
キングは診療所のあるオンボロビルの屋上にいた。右目の斜視がうぞうぞと動きながら中の様子を
ついに犠牲者を出してしまった。
エデンの家から始まった一連の人身売買事件。アダムの子たちの解放というキングの使命に暗雲が立ち込めていた。保険を掛けられるだけ掛けたはずなのに、ジョージを巻き込んでしまった。
ジョージの母親と姉が入所している施設に怪しい点は見当たらなかった。出入りする資金は全て洗った。けれども、レイラのようなパターンを見逃していた。あんな風に身を隠しているアダムの子たちがどれだけいるのか、見当もつかない。
普通の家庭に成りすましているテロリスト達。施設の職員相手に思想調査などしないのが、民主主義の基本だ。出入りする業者まで入れたらキリがない。
キングはモグリの医師と看護師とも取引をしていた。二人の目を借りる代わりに、診療所の安全を保証すると。キングは、診療所の存在そのものをアジアンタウンから消していた。
大きな犠牲と引き換えになってしまった。それでも今、ジョージとクロエがここにいる。二人はアパートへ戻らない。当面、このまま診療所に留まる選択をする筈だ。
過去を改ざんできる能力でもない限り、取引の
レイラは何があっても生き延びるだろう。僕がそう取引したのだから。
『そう言えば……
レイラの放った言葉が弓矢のようにキングの心を突き刺してゆく。
何より、死神の殺し方を
そんな事をするのは、同じ死神以外に考えられなかった。
現状、死神キングの情報を持っているのは魔術師だけだ。死神は原則、相互不干渉。魔術師が直接関与しているとみて間違いないだろう。
死神を使えば容易にクロエを強奪できる。それなのに今日に至るまで実行に移していない。代わりに、ジョージの姉をわざわざレイラに殺害させた。スネークを州警察に処刑させたのも大まかな理屈は同じなのだろう。
そんな遠回しな事をする理由はたった1つ。
キングは、アジアンタウンのネオンを浴びながら目を伏せていた。真っ白い肌が灯りに照らされてホログラムのような光を放っている。その姿はさながら未来からの送り人であった。そこだけが切り取られたようなSF映画の世界。
レイラの一件で、ある疑問がキングの頭をもたげていた。
あの集落自体が、アダムの子たちの成れの果てという可能性。人身売買部門、傭兵部門があるならば生産部門が存在していても全くおかしくない。そして生産部門が最も裾野が広く、境界線も曖昧なのだろう。
その途方もなさにキングは一瞬だけ弱気になった。知識だけで生きてきた。それさえあれば何とかなると思っていた。けれども圧倒的に経験が不足している。それを教えてくれたのは、レイラだった。
井の中の蛙であった事を認めなければならない。
しかし、今は自分と関わった人全員の安全を確認するのが最優先だ。
「僕は
歯を食いしばり力強く言い放ったキングは、そのまま夜空の向こうへ飛び立って行った。
◆
高層ビルの一室。大理石の床に壁で正確に時を刻み続ける振り子時計。大きな執務テーブルでラップトップ眺めていたヨシュア・キンドリーは、笑顔を浮かべていた。隣では魔術師がいつものように後手を組みながら、きらびやかな夜景を眺めている。
「なるほど。君の大切な友人は中々に賢いようだ。こんなに面白い
「ほう、それは何よりです」
「私が君を騙そうとした事まで見抜いてきた。そして、君が私を信用してくれていない事もね。ステッキくらい触らせてくれてもいいじゃないか」
ヨシュアは立ち上がると、笑顔で魔術師のステッキに手を掛けた。ヨシュアの手を素通りしてゆくステッキ。その現象は、レイラがキングから大鎌を奪おうとした時に起きたものと全く同じあった。ヨシュアが何度手をやってもステッキを掴むことは出来ない。
魔術師の身体をも素通りしてゆくヨシュアの手。彼の悪ふざけに関心がない魔術師は、ステッキをくるりと回転させると澄ました声を出した。
「死神の武器は、私の方からはどうにも出来ないのです。何卒、ご容赦ください。それでもどうかご安心を。私は、ヨシュアの忠実な
相変わらず芝居がかった口調でうそぶく魔術師。彼はシルクハットに手をやると、慇懃無礼にお辞儀した。
さて……と手を叩いたヨシュアが、魔術師の周囲をゆっくりと歩き回る。立ち止まったヨシュアは、仮面としか形容の出来ない死神の顔を嬉しそうに覗き込んだ。
「忠実な
「恋愛、という感情を死神は知りません。死神が嘘つきなのは事実です。そういった
「ほぅ、なんの話かな?」
魔術師は革靴で大理石の床を鳴らすとラップトップを空中へ浮かせた。ラップトップが音を立てながら閉じたり開いたりを繰り返している。パタパタと飛び回る様子はさながら鳥のようであった。
「ヨシュア、貴方はキングを初めからご存知なんじゃないんですか? メールの文面にあった『キングと言う少年の
ヨシュアの眉がピクリと上がる。魔術師は垂直に浮かぶと「やっぱり」と大きく独りごちながら、ラップトップをテーブルへ戻した。
「人間だからと言ってあまり舐めた事を言ってもらっては困るな、魔術師。君以外にも死神はいるんだ」
「死神同士で殺し合いをさせよう。あまり賢明とは言えませんな、ヨシュア。死神はお互いに不干渉です。人間と違って同類で殺し合うことはありません」
「死神と人間のハーフならばどうかな? 魔術師」
「貴方はどうも、我々から嫌われてお望みの能力譲渡から遠ざかりたいようだ」
歴代の
能力を譲渡されない者が殆どだったが、稀に譲渡される者もいた。人間が死神の能力を得た場合、肉体の死をもってその役割は終了とみなされる。残された能力は別の死神が回収をする。よって、永遠の生命という取引は存在しなかった。
能力を譲渡されない側のヨシュア。彼の
魔術師が足元から姿を消そうとしたその時だった。ヨシュアが悪魔のような笑顔で
「色々と勘違いをしているようだね、魔術師。私が見たいのはキングと言う死神が苦しむ姿だよ。既に事は動いてる」
高層ビルの窓から宝石を散りばめたような夜景が瞬いていた。
「なあ。このキャンディー、すごくない?」
「すごい。俺、30分でプログラミング覚えたもん」
「私、昨日のバレエコンクールで入賞した!」
「君ってば本当に天才だよ。ありがとうキング。ところでキャンディーってまだある?」
ハイスクールは学園祭前だった。普段はそうもいかないが、学園祭の一週間前だけは21時までいる事が許される。とっくに準備を終えてしまった生徒達は、ばら撒かれたキャンディーに群がっていた。
見えないキングに向かって話しかけたり手を振ったり。あちこちで全く同じ光景が繰り広げられている。
皆、ここにはいないキングに熱狂していた。
美しき天才少年、キングが歴代最年少で生徒会長となったあの日のように。
明日は学園祭。
生徒たちの瞳が
-次エピソード『甘い節制』へつづく-
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