隠者の秘密
ザワザワ……
「え、すごい。またキングが一位?」
「うへえ、殆ど満点じゃん」
「俺はキングに勉強、教えてもらってるぜ!」
学校の廊下へ張り出された試験の順位表を前に、生徒たちが興奮していた。この学校へ入学してきて数ヶ月。キングは有名人になりつつあった。遠巻きに生徒たちを眺めていたキングの元へ、眼鏡の少年が駆け寄ってくる。
眼鏡の少年は、まるで自分の事のように熱狂していた。
「キング! 飛び級の話を蹴ったって本当かい?」
「うん」
「何故さ? 君はギフテッドだって、先生たちが話してたよ」
キングは眼鏡の少年に左目を向けると、不思議そうに首を傾けた。
「ギフテッド? 祝福された子供って意味かな。そうやって言われるの、僕あんまり好きじゃないんだけど」
「普通は大喜びするもんだよ。で、飛び級はしないの?」
「しないよ。僕は学生生活を楽しみたいんだ。飛び級なんてしたら、学生でいられる時間が少なくなっちゃう」
「クーッ! これはスクールカーストに激震が走るぞ!」
丁度中庭まで歩いてきていたキングは、不良の集団が旧校舎の中へ入って行くのを見ていた。集団に一人、異様に浮いた存在がいる。同じクラスの、
名前はレベッカ。彼女はいじめられっ子だった。カースト最上位に君臨する女王クイーンビーが、何故か彼女を酷く嫌っている。そんな噂話をキングは耳にした事があった。
「あ、ちょっと。何処に行くんだよ、キング!」
キングは中庭の噴水を通り抜けると、旧校舎の方へと歩いていった。
旧校舎の奥にある教室。そこで暴力は行われていた。レベッカを小突き回す
「
みぞおちを思い切り殴られレベッカは、ランチで飲んでいたオレンジジュースを嘔吐してしまった。それが気に入らなかったクイーンビーは、バケツに入った便所の水をレベッカにぶっかけた。
同じくスクールカースト最上位に君臨する
いくらなんでもやり過ぎだ。
クイーンビーはノーマンと付き合っていた。セックスだってしている。それだけでは物足りない女王は気がついていなかった。
レベッカがノーマンの視線に反応してるだけだという事を。
「クイーンビー、いい加減……」
ノーマンがそう言いかけた時、教室のドアが勢いよく開けられた。教師が入ってきたのかと勘違いした集団が一斉に凍りつく。はたしてそこに立っていたのは、小柄な少年キングであった。
「女の子相手になんて事をしてるんだよ、君達」
「転校生は黙ってろ!」
「転校生は関係ないだろ」
暴力に酔いしれた
「ブスのくせしてノーマンに色目を使う、こいつが悪いんだわ」
「だったらクイーンビー。レベッカと二人で話せばいいじゃないか。ノーマンに近づかないでくれって」
「それは……」
「君は話し合いを放棄して、暴力で解決しようとしてる」
クイーンビーは、キングの事も実は気に入っていた。アメフト部のエース、ノーマンとはおおよそ正反対のタイプ。それでも、アニメの世界から現れたようなキング容姿は別腹だ。
何より、桁外れに頭がいい。恋人にすれば、自分の将来は約束されたようなものだ。
「分かった。そばかすにはもう手を出さないわ。その代わり、条件がある」
「何?」
「今度、私とデートして」
キングは面食らった表情をしたが、ボロ雑巾のようなレベッカを見捨てては置けなかった。
「いいよ、クイーンビー。最善を尽くすよ」
その一言で、クイーンビーはあっさり
目の前のブスがノーマンを見てようが、もう関係ないわ。
だって私は、キングに乗り換えるんだもの。
彼の初めてを奪うのは、この私。
鼻でせせら笑ったクイーンビーは、ノーマンを無視して教室から出ていってしまった。
「立てるかい、レベッカ。大丈夫?」
「……キング。ありがとう」
痣だらけのレベッカに手を差し伸べたキングは、当たり前のように自分の肩を貸した。そして立ち上がると振り返りもせず、教室を去っていった。
ノーマンはキングの後ろ姿を見つめながら、奥歯を噛み締め震えていた。
レベッカに触るんじゃねえ、斜視野郎!
翌日から虐めの対象は、レベッカからキングに。首謀者はクイーンビーからノーマンへと変わっていった。
◆
今日も今日とて旧校舎では暴力の音がする。
「斜視野郎、ズボンを脱げ。俺たちの前で自慰しろよ」
「嫌だね」
……!
アメフトで鍛えたノーマン足が、しこたまキングの顔をヒットしていった。口が切れて、床に血が滴り落ちる。それでもキングは、ノーマンを睨みつけるのを止めなかった。
「君もクイーンビーと同じだ。話し合いを放棄してる」
床に血を吐いたキングは、口周りについた血を拭った。彼にとって、この程度の暴力はずっと日常だった。それを知らないノーマンは、何をされても
「おい、
「え、ノーマン。流石にそれは……」
「やれって言ってんだろ!」
逆らえない
ドアの隙間から覗き込んでいる目に気づいたノーマンは、視線の主に向かって語気を強めた。
「いるんだろ、
おどおどした様子で教室に入ってきたのは、いじめられっ子レベッカだった。意識の戻ったキングは全裸のまま、ノーマンの元へ歩いてゆく彼女の姿を見ていた。
「こいつがお前を助けたヒーローだぜ。助けてやらねえのかよ、ヒロイン」
レベッカは、キングを直視出来なかった。当たり前だ。キングは血だらけな上に丸裸なのだ。そんな彼に向かって、ノーマンが挑発をする。
「裸にされても平気なんだな。ケツ売ってんだろ、お前」
「それは僕に対する一番の侮辱だ。取り下げろ、ノーマン」
「うるせえ。そばかす、よく見とけよ。
意味が分からなくて顔を見合わせる
その夜
ノーマンは自室で切ないため息をついていた。そばかす顔の地味な少女に恋をしたのは半年前。養護施設で、孤児達を相手にボランティアをしているレベッカを見かけた。
優しいレベッカの笑顔。孤児たちも皆、彼女の事が大好きな様子だった。
けれどもノーマンは、スクールカーストの王者だ。彼女と大っぴらには付き合えない。何故なら彼女は、カースト最下層に位置していたから。
それをあの斜視野郎……
ノーマンはレベッカの写真を見ながら、歯を剥き出して怒りを露わにした。
転校生キングは、スクールカーストに端っから興味がなかった。卒業すれば簡単に
キングの視線にカーストシステムへの軽蔑を感じたノーマンは、彼を激しく嫌悪するようになっていた。
ふと、部屋の中に強い風が吹き込んでくる。
レベッカの写真をさらわれそうになって、窓を見たその時だった。
白マント姿に大鎌を担いだキングが、窓辺に座っていたのは。
「ハァ? 何、勝手に入ってきてんだ。斜視野郎」
「別に。窓が開いてたから。君は、レベッカの事が好きなんだね」
風が強くなり、散らばったプリントが舞い上がる。キングは窓辺に腰掛けたまま、大鎌を回転させていた。今日、ノーマンが確かに折ったはずの腕で。あらぬ方向に曲がっていたのは、あの場にいた全員が見ている。
どういう事だ……
「僕、死神なんだ。骨折させても意味ないよ。
「わざわざ自分から頭がおかしいって言いにきたのか。帰れよ、
「無駄だよ」
キングは宙を浮くと右手を掲げた。美しい斜視が動き出してボトリと落ちてゆく。眼球を受け止めたキングは、その手をノーマンに差し出した。
掌の上で浮かぶサファイアを思わせる眼球が、ゆっくりと回転している。
ノーマンは一切の身動きが取れず、声を出すことも出来なかった。闇のような
「俺を殺しにきたのか」
「違うよ。僕達には話し合いが必要だと思うんだ」
「無駄だね、嫌なこった」
「……レベッカとの仲を取り持つと言っても?」
「お前は知らん顔だけどな。スクールカーストってのがあんだよ。無理に決まってんだろ」
「僕なら解決出来るよ。君たちが恋人同士として過ごせるように、力を使ったらいい。どうだい、取引しないか」
ノーマンは、自分の身に起きている事を無視出来なかった。
この男には、それだけの力がある。望めば簡単に殺せる筈だ。それなのに、俺は生きている。
レベッカ……俺だけのマリア。
「分かった。取引しよう。見返りに、俺は何を差し出せば良いんだ」
「相互理解さ。僕たちはお互いを知らなすぎる」
「理解した所で、俺は態度を変える気はねえけど。良いだろう、乗ってやる」
キングは眼球を舌の上に載せると、
「ノーマン。取引は、成立だ」
◆
気がつくとノーマンは、汚らしいトレーラーハウスにいた。卵の腐ったような臭いが充満している。
「なんだここ……」
ゴミだらけの室内を歩いて行く。ヘドロだらけの洗面所を通りかかった時、鏡に映る自分の姿を見たノーマンは、
ノーマンは、幼い頃のキングになっていた。
アイツ、街はずれの屋敷に住んでたはずだけど。
メイドまでいるって聞いた事がある。金持ちじゃなかったのか。
それに……目が斜視になってない。一体、どういう事なんだ。
「アンタ……薬ぃ」
「うるっせえな、TVの前においてある。それまで我慢しろ」
中に入ろうとする人声が聞こえたノーマンは、
声の主は、キングの両親であった。
母親らしき人物は、入ってくるなり薬を打ち始めた。直ぐによだれを垂らして動かなくなる。背後に気配を感じたノーマンは、恐る恐る振り返った。
父親らしき人物が立っている。拳にはタオルが巻き付けてあった。
「おう、元気にしてたか」
「……はい」
「ならいいや。俺は潔癖だからよ、便所が
激しい衝撃と共に火花が散る。遠のく意識の中で、キング父親が臭い息を吐きかけながら、のしかかってきた感触だけは覚えていた。
意識が戻った時、ノーマンは漏らしてしまったのかと尻に手を這わせていた。
手に付着していたのは大量の血液。ノーマンはあまりの
「俺は潔癖だっていったろ! 汚してんじゃねえよ!」
これがキングの生い立ち、望んでいる相互理解だっていうのか。ケツを売ってるだなんて言って悪かった。土下座でも何でもする。だから今すぐ助けてくれ!キング!
しかし、キングは現れなかった。
誰からも助けてもらえない。
それがキングの生い立ちだったから。
毎日のように行われる凄まじい暴力。
一ヶ月後、ノーマンは首を括った。
トレーラーハウスの軒先でぶら下がるノーマン。両親はおろか集落の誰一人として、死体となった彼を気にかける者はいなかった。そんな事は、キングの住む世界では日常茶飯事だったから。
「思ったよりタフガイじゃなかったんだな、ノーマン。教えてくれてありがとう。
集落の外れにある高い木の上から様子を見ていたキング。彼はどこか悲しげに目を伏せると、そのまま夕暮れの中に消えていった。
◆
「ノーマンがPTSD?! 誰かをPTSDにさせたんじゃなくて?」
「ビックリだよね。ずっと休んでたけどさあ、自主退学だって」
「廃人みたいになってるらしいぜ。こえー」
「あ、キング!」
廊下を歩いていたキングに声を掛けてきたのは、レベッカだった。彼女は新しいやりがいを見つけて、見違えるように活気を取り戻していた。
「やあ、レベッカ。どうだい? 恋人とは」
「君だけしかいないって言ってくれるわ。少しでも離れると、子供みたいに泣くのよ」
「今から彼の所?」
「ええ。私が側にいてあげないと、
「うん」
「じゃ、また明日ね!」
走り去るレベッカの後ろ姿を見送ったキングは、
講堂には、生徒たちの熱狂が渦巻いていた。あのクイーンビーも講堂にいて、熱狂の中心となっている。心酔しきった彼女の表情に、
王者ノーマンはハイスクールを去った。
一人の少年が壇上に上がると、拍手喝采が沸き起こった。
アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳。そして美しい斜視。
「皆さん、この度は名誉ある生徒会長に選出していただきありがとうございます。キング・トートです」
熱狂が最高潮に達する中、講堂を見渡したキングはニヤリと笑っていた。
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