第2話 始まりの夜

 怪物にダメージを与えた黒い短剣はしばらくすると煙のように消えてしまい、そこからさらに血液が噴き出て来る。

 俺はスプラッターな状況を前にますます頭が混乱してくる。


「何だ今のは? 武器が消えたぞ。っていうか、メイドさん強ッ!」


「痛み入ります」


 ポーカーフェイスのまま怪物を見つめるメイドさんの周囲に黒いオーラのようなものが出現し彼女の右手に集まっていくと、それは巨大な鎌の形になった。

 メイドさんがその大鎌を手に取ると危険を察知したのか怪物がやけくそ気味に彼女に突撃してくる。

 

『ガアアアアアアアアッ!!』


「これで終わりです。――デスサイズ」


 メイドさんは大鎌を一振りし怪物を一刀両断にした。身体が真っ二つになった怪物は地面に倒れ、もう起き上がってくることは無かった。

 自分の身長の二倍近くある敵を圧倒してしまったメイドさんを目の当たりにして、俺は感動と恐怖が入り混じる複雑な感覚を覚えていた。

 ただ、それよりも圧倒的に強く感じたのは地上を照らす月明りを背にし、銀髪を輝かせる彼女の美しさだった。


「凄い……綺麗だ……」


「――え?」


「えっ、あっ、いや……すごく綺麗に真っ二つになったと思って」


「そういうことでしたか。私の魔術は切断性に富んだものが多いので、この程度造作もありません」


 あぶねー、思っていたことがうっかり口に出てた。会ったばかりの女の人にこんな事を言ったら気持ち悪いと思われかねないぞ。

 それにしても、このメイドさん明らかに普通じゃない。今、魔術とか言っていたし、この怪物のことも知っているようだし。


「あの……助けてくれてありがとうございました。俺は武藤新っていいます。あなたはいったい……それにこの怪物は何なんですか?」


 メイド服を着た女性は両手を身体の前で重ねて深々とお辞儀をしながら自己紹介をしてくれた。


「自己紹介が遅れました。私の名前はアンジェリカと申します。見ての通り、ただの通りすがりのメイドにございます。今しがた私が倒したのは魔物のオークです。割と一般的な魔物ですが見たことはございませんか?」


 オーク――ファンタジー作品なんかによく出て来るモンスターだ。豚の顔を持ち人間のように二足歩行をする巨漢の怪物。

 確かに今しがた彼女が倒した怪物は俺が知っているオークの特徴がある。でも――。


「アンジェリカさん……多分この世界にはオークなんていないです。俺も創作物で知っている程度で……つまりあなたはもしかして……」


「なるほど……私はあなたやこの世界にとって異物の存在……異世界の者ということですか」


「理解はやっ! こんな滅茶苦茶な展開信じられるんですか!?」


 アンジェリカさんはキョトンとした表情を見せると当たりを見回しながら持論を述べる。


「確かに常識で考えれば信じがたい事態ではありますが、世の中何が起きるか分かりませんし可能性はゼロではないかと。そうであれば状況を分析して考え得る可能性を精査するしかありません。私自身そこから導き出したのが、ここは私のいた世界ではない場所――つまり異世界であるということです」


「凄い冷静ですね。逆の立場だったら俺なんか泣いて喚いてますよ」


「そうでしょうか? アラタ様こそ凄いと思いますよ。初めてオークと遭遇して発狂することなく平然とされていますし、私が先程使った魔術を目の当たりにしても割と冷静のようですし、アラタ様はご自分で思っている以上に強い胆力をお持ちなのだと私は思います」


「そうっすかね……」


 アラタ〝様〟……こんな綺麗な女の人に様付で呼ばれる日が来ようとは……もしかしたら俺は明日死ぬかもしれない。

 背中がくすぐったい感覚を覚えながら銀髪美女とのトークを楽しんでいると俺の視界に信じられないモノが入り込んで来た。

 俺の正面――アンジェリカさんの後ろの方からさっきのオークと同等かそれ以上に巨大なオークが猛スピードで迫って来ていたのだ。

 彼女に状況を説明する時間はない。そんな事をしていたら彼女はオークに襲われてしまう。

 

 俺は無我夢中でその場を飛び出すとアンジェリカさんを抱きしめるようにしてその場から引き剥がす。

 そのまま真横に跳んで地面に倒れ込むと一瞬前まで俺たちがいた場所は地面が抉れるようにして破壊されていた。

 攻撃が当たらなかったオークはそのまま夜の公園の中に消えて行ってしまった。


「もう一体いた!? 私としたことが……アラタ様、大丈夫ですか?」


「俺なら大丈夫。アンジェリカさんこそ怪我はなかったですか?」


「アラタ様が庇ってくださったおかげで私は無傷です。ですが――」


 アンジェリカさんが心配そうな表情で俺を見ている。その視線の先を見てみると俺の右腕から大量の血液が流れ出ていた。

 さっきまでは興奮のせいか何とも無かったのに、傷を見た瞬間湧きあがるように激しい痛みが出現した。

 腕は斬られたというよりも圧倒的なパワーで押しつぶされたようになっている。本来なら真っすぐなはずの前腕が変なところで曲がっている。

 あ……これ、確実に骨が折れてるな。


「つ……ぅぅぅぅ、く……」


 痛みで叫びたくなるのを必死で我慢する。この状況でそんな声を出したら目の前で心配しているアンジェリカさんを不安にさせてしまうかもしれない。

 俺も一応男の子なので女子の前で強がってしまうのであった。痛みが我慢しきれなくなる前に彼女から離れよう。

 次から次へと身体中から出てくる脂汗を無視して立ち上がる。


「動いては駄目です。重症なんですよ」


「だい……じょうぶ。病院に行けば……きっと……それじゃ俺はこれで……」


 ふらつきながらこの場から去ろうとした時、アンジェリカさんが駆け寄り俺の右腕に掌をかざした。


「動かないでください。すぐに楽になりますから。――ヒール」


 そう言うと彼女の掌から淡い光が発生し俺の右腕に当てられる。すると、さっきまでの痛みが嘘のように引いていく。

 それだけじゃなく骨折していた場所も治り俺の右腕は元通りになった。

 アンジェリカさんは「ふぅ」と軽く息を吐くと、治った俺の腕を見て安堵の表情を見せる。


「どうやら大丈夫のようですね。治癒術は専門ではないので残りの魔力でいけるか心配だったのですが……痛みはないですか?」


 右腕を動かしてみると全然痛みは無い。関節の方も問題は無いようだ。完全に治ってる。治癒術って凄い。


「ありがとう、アンジェリカさん。全然痛くない、俺の腕治ったよ!」


 俺が魔術の力に感動しているとアンジェリカさんが俺にお辞儀をしていた。訳が分からず俺が突っ立っていると彼女が顔を上げて微笑みを見せてくれた。


「先程は助けていただきありがとうございました。もし、アラタ様が庇ってくださらなければ私は致命傷を負っていたかもしれません。それに私が油断をしたせいでアラタ様に大怪我をさせてしまいました。是非お礼をさせてください。もし私に出来ることがあれば何なりとお言いつけ下さい。――さあ、どうぞ」


 妙に意気込むアンジェリカさんが物凄い接近してくる。ちょっと視線を下に向けると彼女の胸の谷間がよく見える。

 絶景ってこんな近くにあったんだね。知らなかったよ。というかこんな事をしている場合じゃなかった。


「アンジェリカさん、まだオークが一体残ってる。早くあいつを追って倒さないと!」


「その事なのですが、あのオークは既に気配を消してしまったので今から見つけるのは難しいでしょう。そして何よりこれが一番の問題なのですが、今の私には魔力がほとんど残っていません。たとえオークを見つけても戦うことが出来ないのです」


 アンジェリカさんの表情は至って真剣だ。嘘を言っているようには見えない。


「それって――マジ?」


「マジです」




 ――これが俺とアンジェが初めて出逢った夜の話だ。この時の俺は平凡だと思っていた人生が波乱に満ちたものに変わるなんて予想すらしていなかった。

 そして彼女との出逢いをきっかけにして魔剣グランソラス、聖剣ブレイズキャリバー、神刀神薙ぎ、竜剣ドラグネスといった伝説の剣と契約を結ぶことになる。

 さらにオークが雑魚に思えるようなとんでもない化け物軍団と戦うことになるのだが、それが語られるのはもう少し先の話だ。

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