第87話 ミア様の訪問

 スティナの街から戻って、数日。


 お兄様の結婚式に合わせて取っていた休暇は今日で終わり。明日からの薬草園での仕事を前に、私はアトリエでポーションを作っていた。


 頭に浮かぶのは、結婚式で食べた不思議なほどに味気ないサラダとお肉の煮込み。流れでウェンディ様をエスコートするレイナルド様の姿も思い出してしまって、私は慌てて頭を振った。


 すると、ゴンゴンと乱暴に扉が叩かれる。王宮に出入りする人々の中でも、ここにいらっしゃるのはレイナルド様とクライド様だけのはず。


 でもこの叩き方は……誰……? ここは王宮の敷地内だから、不審者が訪れることはないはずだけれど……。


 そう思って扉を開けた私を待っていたのは、意外すぎる方だった。


「へーえ。本当にここにいるんだ?」

「ミッ……ミアさん⁉︎」

「お邪魔するわね! わぁ。広い。寮の部屋より全然いいじゃないの。ねえ、ここに住んでもいい?」


 まん丸の目をくるくると動かしながら、当然のようにアトリエに入ってきたのはミア様だった。なんてことを、と私が返す前にミア様は勝手に作業机前の椅子に腰を下ろす。


 緊張する様子もなく、いきなりくつろいでいる。羨ましいほどの図太さです……! 


 視線を下ろすと、手には籠が握られていて何やら薬草が入っているのが見えた。


 全てにおいて意味がわからない。ミア様はどうしてここに。一体何をしにきたの……? 混乱した私は、とりあえずカゴを指差して聞いてみる。


「あの、ミアさんそれは……?」

「……あなた、アレを作ってるんでしょ。それの素材よ素材」

「……アレ、でしょうか?」


 はたと首を傾げた私に、ミア様は心底面倒そうに顔を歪めた。


「魔力空気清浄機よ! ここで研究してるんでしょ?」

「あっ……は、はい」


 有無を言わさない様子で差し出してくるカゴを受け取らされると、手にずっしりとした重みを感じる。中には薬草や水が入っていた。


 普段、このアトリエで錬金術に使う素材は街の商店で買い付けるか、レイナルド様経由で仕入れているものだ。薬草に限っては、ネイトさんが薬草園にあるものを自由に使っていいと言ってくださる。


 けれど、たくさん必要になるときはきちんと別ルートで購入している。


 ミア様が持ってきた薬草は、それにしては量が多い。どこで採取してきたのだろう、ということがものすごく気になるけれど、今は触れないでおく。


「私も、アレが欲しいの。一つ作ってくれない?」

「…………」


 え。コーヒーに入れるお砂糖を一つください、と同じ口調でのミア様からのおねだり。ものすごく懐かしい感じがして、私は目を瞬いた。


「ミ、ミアさん。あの魔法道具はここでは作っていないのです」

「え? どういうことよ? 商業ギルドに魔法道具を登録したんでしょ? ここじゃなかったら一体どこで作るのよ?」


「ええと……あの、レシピを商業ギルドにお渡ししていまして、」

「はああぁぁぁぁぁああああ?」


 ミア様の突然の叫び声に、窓ガラスがびいいいいんと震えた気がする。耳が痛くて、頭がぐわんぐわんします……! 


 驚きで目をパチパチとさせる私に、ミア様はさらに大声で叫んだ。


「ローナさんも絶賛していた魔法道具のレシピを商業ギルドに渡したですってぇええ? あんた、正気なの⁉︎ 金の鉱脈をなんてことすんのよ!」

「あの、私だけではたくさん作るのに時間がかかりますので……錬金術師ギルドに話を通してもらって、量産体制を」

「はああぁぁぁぁぁあああ?」


 ドスのきいたミア様の相槌はまだ続く。けれど、不思議と怖くない。大きな声で返されるのだけに警戒して、私はおずおずと答えた。


「魔力空気清浄機は……人の命を救うものなので」

「……そう。随分キレイなことをいうのね。そんな風にどっかのお嬢様みたいなこと言ってもねえ、絶対に後悔するんだからね? 世の中金よ金。力こそパワーなの」

「……ミアさん……?」


 いつも自信満々なミア様が一瞬だけ表情を沈ませたのが気になった。けれど、ミア様はすぐにいつも通りの顔に戻る。


「とにかく! せっかく平民が成り上がるチャンスを得たのに、何やってんのよ! お上品な貴族ごっこじゃ生きていけないんだからね⁉︎ 世の中お金よ。変わらないものはお金だけ。だから、私たちは誰かを蹴落としてでもお金と貴族令息夫人の座をゲットしなきやいけないのよ!」

「あ、あの」


 これは、いつものミア様。アカデミー時代のお上品なベールを脱いだ、ミア様そのものだ。これが偽りのない本心なのだろう。隠す気が全くないところまで、清々しいです……!


 そしてフィオナの居場所をなくしたのも、その信念に基づいたものだったのだろうな。あまりにも変な方向に一本筋が通り過ぎていて、私は思わず感心してしまった。


「……なるほど……」

「あ。わかった。アンタはもしかしてレイナルド殿下を狙ってるのね?」

「⁉︎ いえ、そんな⁉︎」


 予想もしていなかった問いに、私は固まる。まさかそんな!


「わかるわー。この国で最も高貴な身分を持ちつつ、あのルックスだものね。わかるわー。アカデミーでも大人気だったのよ? でもね、諦めた方がいいわ」

「あの、そんな、私は……!」


 慌てて否定しながら、この前、お兄様の結婚パーティーで見たレイナルド様とウェンディ様が並んだ姿が脳裏に蘇る。そう。レイナルド様にお似合いなのは、あんな方。


 私なんて、名前を上げること自体おこがましいのだ。……と思いつつはっきり否定できないでいるうちに、ミア様はどんどん盛り上がっていく。


「いいのよぉ。私、上を目指す子って嫌いじゃないわ。そうだと思ってたの。でもね、アンタはネイトさんあたりがいいんじゃない? 実は、お家が資産家だって知ってた? 貴族じゃないからステータスにはならないけど、モゴモゴおどおどしたアンタにはちょうどいい落とし所だと思うんだけど」


 そ、そんなの知りません……!


 というか、玉の輿に乗るためあらゆる情報を網羅しているミア様に思わず感心してしまう。


「私は、別に結婚相手を探しているわけでは……!」


 すっかり私がたじたじとなってしまったところで声がした。


「……何をしている?」


 低く響く声に、私とミア様は同時に固まった。声がした方向に視線をやると、アトリエの扉のところには物凄く不機嫌そうなレイナルド様がいらっしゃる。


 そしてこれは、私があまり聞いたことがない――とても怒っている時の声だった。

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