第85話 その夜は(レイナルド視点)

 ◆


 その少し前のこと。


 結婚式へ参列するためにスティナの街へ到着したレイナルドは、王家の別邸の私室で身支度を済ませ、鏡を見つめていた。


 今日、フィオナに会うことはわかりきっている。


(きっと、彼女は気まずそうな顔をするだろうな)


 それは、レイナルドを振った決まりの悪さから来るものではなくて、王宮勤めで関わる人々に嘘をついているという罪悪感のせいだと容易に想像できた。


(自分の力だけで頑張りたい気持ちはよくわかるが……。フィーネの能力は既に認められつつある。周囲にとっては、身元を偽ったことなど些細なことに過ぎない。気に病むぐらいなら、真実を明かしてほしい)


 やりきれない想いを持て余しつつあるところで、扉が叩かれた。


「レイナルド殿下。本日の結婚式にはサイアーズ侯爵家のウェンディ様が参列しておいでです。それに関わりまして、サイアーズ侯からお手紙を預かっております」

「……その辺に置いておけ」


 侍従が持つレタートレーをちらりと見ただけで、レイナルドは舌打ちしたい気分になる。


(面倒だな。今日はクライドがいない)


 おそらく、この手紙はウェンディのエスコートを頼みたいという類のものだろう。いつもならそれはクライドの基本任務に含まれていたが、あいにく妹の誕生日会があるとかで、今日はいなかった。


 となると、自分が相手をするほかない。さすがに有力侯爵家の令嬢を一人で会場に放り出すわけには行かないのだ。


 レイナルドの様子をニコニコと見つめていた侍従は、いかにも胡散臭い様子で髭をなでる。彼は、レイナルドが物心ついた時から身の回りの世話をしてくれている『じいや』だ。


「レイナルド殿下がわざわざこの街での結婚式にご出席なさるとは。意外でしたのぅ」

「……特別な理由はない。ただ、スウィントン魔法伯家はかつて我が国の名門だった。その家の善き日に、祝福を伝えにいくだけだ」


「ほほぅ」

「……行ってくる」


 ほんの少し頬を染め、侍従を睨んだレイナルドは馬車に乗り、モーガン子爵家の別邸に向かったのだった。 


 懸念通り、会場ではウェンディのエスコートをする羽目になってしまった。


 今日のメインイベントは結婚式とそのお祝いのパーティーである。本来、レイナルドは目立つべきではなかったが、婚約者がいない王太子として知られる自分に注目が集まるのは仕方がないことだともわかっていた。


(彼女には申し訳ないが、適当なところでお父上に引き渡そう)


 レイナルドの腕をしっかりと掴んだウェンディは瞳を輝かせる。


「レイナルド殿下。あまり馴染みのない家の結婚式に参列するのに、気が進まなかったのですが……こういうことだったのですね。ご一緒できてとても幸せですわ」

「……歴史あるスウィントン魔法伯家は、私にとっては大切で重要な家です」


「え? 何か仰いましたか……?」

「いいえ。向こうで何か飲み物をもらってきましょう」

「でしたら私も一緒に参りますわ!」

「……」


 自分の腕を掴む違和感を引き連れながら会場を彷徨う。その先に、会場の端で気配を消しているフィオナを見つけた。


 挨拶をするぐらいは許されるだろう、というか純粋にお祝いの言葉を伝えたかったレイナルドはウェンディをサイアーズ侯へ引き渡してビュッフェ台へと向かおうとしたのだが。


 父に側を離れないように言い付けられているらしいウェンディは、思ったよりも手強かった。


「ウェンディ嬢。お父上と離れて行動をされてもよろしいのですか」

「ふふふっ。大丈夫です! 父からはレイナルド殿下にエスコートしていただくようにと言われていますから」


 招待客としてフィオナにお祝いを伝えた後も、ウェンディはフィオナへの刺々しい言動を改めない。


(この場を離れた方がよさそうだ)


 フィオナが少しずつ強くなっていることはレイナルドも認めているところだったが、この敵対心全開のウェンディは何を言い出すかわからない。


 それを咎めればいいだけの話だが、一瞬でもフィオナに嫌な思いをさせたくなかった。


(クライドがいたら過保護だと言われそうだな)


 この前、王宮の工房ではひと悶着があった。


 それは頭角を表し始めたフィーネへの妬みによるものだったが、彼女は胸がすくほどの正攻法で驚くほど鮮やかに雑音を黙らせてみせた。


 フィーネが持つ巧みな技術に感嘆を覚えただけでなく、何よりも本人にその気はないのが微笑ましかった。彼女を見る周囲の目は一瞬にして違ったものになり、新たな地位を確立していくことになるのだろう。


 頼りなさげに薬草園の畑に頭を突っ込んでいた頃を思い出すと、信じられない進化である。ウェンディをサイアーズ侯のもとに案内しながら、レイナルドはため息をついた。


(いや。この場にいて気絶しないだけでなく、ふさわしい振る舞いをする彼女は……驚くほどの速さで立ち直っているんだろうな)


 やっとのことでウェンディを撒いたレイナルドは、会場の中でもう一度フィオナの姿を探す。


(あれは)


 端を彷徨うのはフィオナだった。なぜか庭園の方へ出て行くのが見えて、跡を追う。


 実は少し気になっていることがあったのだ。


 さっき挨拶をした時、フィオナはほんの少し表情を曇らせていた気がする。表面上はいつも通りの可憐で上品な笑顔を見せてくれたが、違和感が拭えなかった。


(このスティナの街はかつてスウィントン魔法伯家の別邸があった場所だ。わざわざ結婚式の地にここを選んだことを考えても、きっと特別な街に違いない)


 懐かしく思い出深い街に、思うところがあるのかもしれない。


 そう思ったらどうしても放っておきたくなくて、後を追い声をかけた。


「――上着を持ってこさせましょう」

「!」

「そこの湖は夜になるとライトアップされます。そろそろじゃないかな。もし退屈されているのでしたら、一緒に見に行きませんか」

「あ、あの」


 目を泳がせるフィオナは誘いには当然乗ってこない。思慮深いタイプだ。それを知るだけに、悪戯心がのぞく。


「たくさんの魔石を使って彩を灯すんだ。私も初めて見たときには感動しました」

「ま、魔石……!」


 案の定、目を瞬いて興味を示している。けれど、断られることまで含めて、レイナルドは織り込み済みだった。


「とてもありがたいお誘いですが、そんなに長い時間、レイナルド殿下を独り占めするわけには参りませんので」

「それは残念です。しかしまだここにいらっしゃるのでしたら、上着を」

「お……お気遣いだけ、ありがたく」


 予想通りの答えを得たところで、大広間からワルツの音色が流れてくるのが聞こえた。


 後を追ったのは、彼女が心配だったからだ。……しかし。


(……)


 ほんの少し、自分の中に欲が覗いたことを認めたレイナルドは、ダメ元で聞いてみる。


「フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢。私と踊っていただけませんか?」


 意外なことに、フィオナは手をとってくれた。そして、踊りながら他愛もない話をする。


 そのうちに、この前、宮廷錬金術師の工房で周囲を実力で黙らせたフィーネの姿が思い浮かんだ。


(気弱に見えることもあるが……好きなことには臆さないんだな、彼女は)


 立場にとらわれて立ち止まることがある自分がひどく恥ずかしく思えた。その途端、本音が溢れていたのだ。


 ――「自分も対等に話せる人間でいる」と。


 当然、フィオナはぽかんとした顔をしていた。


(無理もない。唐突すぎて意味不明だ)


 ダンスを終えたレイナルドはフィオナと離れて会場に戻った。しかし、いつまで待っても遅れて戻ると思えたはずのフィオナの姿がない。


 もう一度庭園を覗くと、上着を着て裏門を出ていくフィオナの姿が見えた。


(……やっぱり見たかったのか)


 魔石のイルミネーションなんて、彼女がもっとも興味を示すところだろう。一度誘って断られてしまったので一緒に行くことはできないが、それでもあの軽装では夜は寒い。


 侍従に言い付けて暖かいストールを手配したレイナルドは言った。


「これを湖畔にいるフィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢のところへ」

「こう寒くては膝にきましてのぅ。なかなか動けないのです」


 とぼけた顔の侍従にレイナルドは表情を引き攣らせる。


(いつもキビキビと動いてそんなそぶりを見せたことがないだろう……⁉︎)


 彼は若い頃、腕の立つ騎士だったらしい。レイナルドの剣の師でさえも頭の上がらない存在だ。今でも毎朝準備体操がわりのランニングと訓練を欠かさない爺の、とぼけた演技が憎たらしかった。


「……俺に自分で行けと?」

「大切なお友達なのでしょう。距離をとることも優しさですが、それだけでは何も伝わりませんからねぇ。爺はレイナルド殿下の味方です」

「……」


 何を言っているのかわかりたくないほどに、見透かされているらしい。


(まぁ、俺が彼女に未練を持っているように見えるのだろうな)


 彼女を好きなことは認めるが、彼女自身がフィオナをいないことにしたいのならそれでもいい。


 フィオナに引かれる可能性と、彼女が冬の夜風にさらされて風邪をひく可能性を天秤にかけた結果。



 ――レイナルドは湖畔へと向かっていた。

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