第72話 弱肉強食⑥
子どもの頃の私は、夏になると毎年湖畔の別荘地・スティナを訪れていた。
それはお父様やお母様がまだ生きていた頃のことだから、まだ10歳にも満たない頃の話で。
お兄様と一緒に湖畔の周りを散策したり、錬金術に使えそうな素材を見つけたり。別荘には珍しい魔法書も置いてあって、辞書を引きながら一生懸命読んだりもした。
土と木々とお日様の匂いが混ざった、幸せな記憶。
まさか、子どものころにあの場所をレイナルド様も訪れていたなんて。それは『魔法を見た』という言葉とどうしても無関係とは思えない。私の鼓動は次第に高まっていく。
「ま……魔法は、いつ、どこで見たのですか」
「湖に落ちたんだよね。風が強い日で、飛ばされた栞を掴もうとしたらそのまま落ちた。泳げないわけじゃなかったけど、服が水を吸って意外と動けなくて困ってた」
「……!」
私、その場面を知っているかもしれない……! 手の中にじんわりと汗がにじむ。
夏の暑い日、午後にお兄様がテラスで眠ってしまったことがあった。ずっと座っていて体が痛く感じた私は、読んでいた魔法書を置いてひとり散歩に出ることにした……気がする。
そして、森の中を歩いて湖畔にたどり着いた。湖畔には大きなお城が立っていて。素敵だなぁと思って眺めていたら、そこに男の子が現れたのだ。
私と同じぐらいの年齢に見えるけれど、彼は背筋が伸びていてどこか違った。特別な空気を放つ彼から目が離せずにいたら、彼は湖に落ちてしまった。……そして。
「水で龍を形作る魔法……」
「……龍?」
無意識のうちに呟いたと思った時にはもう遅かった。
私の顔をレイナルド様の空色の瞳が覗き込んでいる。ここは少しだけ薄暗いけれど、レイナルド様を見るだけで私は透き通ったその色を思い出してしまう。
「い、い……いえ、何でもないんです。そ、それで、レイナルド様はどうやって湖から上がったのですか」
「うん。急に湖面がせり上がって、大きな水の流れと一緒に桟橋に押し出されたんだ。一瞬のことだった」
「……!」
レイナルド様の思い出話に、私は言葉が出ない。だって。
――私、湖に落ちた男の子に『水で龍を形作る魔法』を使った。
魔法伯家にある魔法書はさまざまなもの。初級魔法から禁忌魔法まで全ての管理が任されているのは魔法伯家の特権だった。もちろん、精霊はもういないと思われているからそれも形式的なものにすぎない。
水で龍を作る魔法は上級魔法だったけれど、私はその呪文の響きがとても気に入り一度で覚えてしまった。
男の子が湖に落ちたことに気がついたとき、咄嗟に出たのがその呪文だった。
子どもは魔力量が少ないから、湖面がせりあがるくらいで済んだ。過去、スウィントン魔法伯家を支えてきた大人の偉大な魔法使いが唱えていたら、湖上には大きな龍が現れていたことと思う。
無我夢中だったけれど、無事にその子を助けられたことにほっとして、私は震える足を何とか動かして森の奥の別荘に戻った、ような……。
――つまり。あの男の子ってレイナルド様だったの……!?
「あのとき、湖で精霊に助けられたのは俺の原点。魔法のことがもっと知りたいと思ったし、一気に夢中になったんだ」
驚きで何も言えない私だったけれど、レイナルド様の言葉が大いに引っかかる。
せ、精霊に助けられたって、なに……?
「あ、あの。レイナルド様を助けたのは精霊だったのですか……?」
「ん。遠くに白いワンピースを着た天使みたいな子が見えたんだ。その佇まいが人間とはどうしても思えなかった。それに魔法を使える人間がいないのは知っていた。だから、精霊そのものなのかって」
待って。私が天使で精霊ですか……!?
違います……! 全力で否定したい。当時のレイナルド様は湖に落ちたショックで取り返しのつかない勘違いをされてしまったみたい……!
しかも、大人になってもまだその勘違いを信じ続けているのが少しだけ面白いところで。
私も同じ。好きなものに関することは、最初の感動をそのままずっと大切にしたくなってしまうから。……例え、答えが違うとわかっていたとしても。
また似ているところに気がついたと思ったら、なぜかうれしくて笑ってしまった。
「その街……私も行ってみたいです」
「フィーネならそう言うと思った。今度案内するよ」
柔らかなレイナルド様の視線にほっとする。さっきまで緊張で冷たくなっていた指先は、すっかりいつも通りになっていた。
目を合わせて笑い合うと、レイナルド様の声色ががらりと変わった。
「ところで、フィーネ。茶色い短髪の男に覚えはあるかな? がっしりめの長身で、身につけているローブは見習いのものなんだけど」
「!」
それは、さっきここで素材を集めることを勧めてくれたデイモンさんのこととしか思えなかった。
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