第51話 冬のはじまり
アルヴェール王国の冬は少し長い。
私は、その冬支度が結構好き。子どもの頃は、ふわふわの暖かなケープに包まりながらスウィントン家の使用人が薪を割るのを眺めた。
小屋いっぱいに薪の準備ができたら、そこからは私の仕事。風と火の属性を持たせた魔石に魔力を注いで、薪を乾燥させる。
もちろん、魔法を使えば魔石なんていらない。あのアトリエに置かれていた魔法書にはそれぐらいの呪文は書いてあった。
――けれど、魔法を使えることは秘密。
冬の薪小屋にはいつもガーネットの魔石がつるされていた。薬草の匂いがしない冬の庭と、真っ白くて眩しい視界と、アトリエから溢れる暖かな空気。
不思議と音が響かない冬は、ぱちぱちという薪が爆ぜる音だけが耳に残る。静寂の中に鳴る暖かさ。それは、内気で気の弱い私にとって安心する世界だったのかもしれない。
外の空気がひんやりとした夕方のアトリエ。日が落ち切って、闇に呑まれる前の青い庭の隅。冬の匂いはまだしない。
「ん、おいしいね」
「ほっ……本当ですか……?」
私が作ったホットワインを飲み干してくださったレイナルド様が心配で、私は彼の顔色を慎重に確認した。
陶器のようにすべすべなレイナルド様のお肌の色に、変化は見えない。きっと、気絶しそうなほどおいしくないわけではない……と思う。
私たちの前には、グラスがふたつ。アトリエにやってきたレイナルド様が喉が渇いたと仰ったので、この前教わったホットワインを作ってみたのだ。
果実やスパイスをふんだんに使ったこのホットワインの作り方はとても簡単。だから失敗する方が難しい……はずなのだけれど、私が作るとどうも不思議な味になってしまう。
現に、いち早く飲もうとするレイナルド様をなんとか止めて先に味見をした私の舌は、少しピリピリしている。これはきっとスパイスが濃くなりすぎているのだと思うけれど……錬金術を操るときと同じように、きちんと分量通り作ったはずなのにどうしてなのかな。
「クローブを軽く潰して入れたのが良くなかったかな……ううん、オレンジが少なかった?」
グラスを覗き込んで考えている私の隣で、レイナルド様が柔らかく微笑む気配がした。
「本当に本当だよ。おいしい」
「ま、魔力は注いでいないですが、このホットワインも鑑定できますよね……? 味ってちゃんと2になっていますか……?」
「……今日は夕食を一緒に食べようと思って厨房から届け物をお願いしているんだ。じきにクライドが持ってくるよ。待ってて」
「……!」
レイナルド様は、そう言って立ち上がると奥のミニキッチンに行きオーブンの準備を始めてしまった。
味のことを聞くと大体こうして話題を逸らされてしまう……! レイナルド様の優しさを感じる反面、鑑定スキルで見える数字に関して、彼は絶対に嘘を仰ることがないのだろうな、と思う。
私も、こんな風に思いやりを持ちつつ守るべき一線は越えない人間でありたい。一緒に過ごす一日の中で、何度も私とは生まれ持ったものが違うんだろうなぁと実感する。
少なくとも、薬草園の隅にあるアトリエでオーブンの温度調節をお願いしてもいい相手ではない。うん。
「どうしたの、フィーネ」
「……!」
奥のキッチンから優しい視線をくれるレイナルド様に、私はハッとして首を振った。いつの間にか彼の立ち姿に目を奪われていたみたい。あわててさっきまでの作業の続きに戻る。
雑念を払うように、丁寧に洗ったフェンネルをひとつひとつ紙のうえに広げていく。水分をふき取っていくつかの束をつくり、乾燥させるのだ。
「あ、それ。この前、王宮の工房でもやってたよ。冬支度だね」
「は……はい。冬の間はこうして保存が効くように加工した素材を使うことが多いので、生成が少し難しくなります……」
「温室に植え替えたものもあるんだよね?」
「もっ……も、もちろんですが、数が限られるので、それは本当に質の高いポーションをたくさん作りたい時のために残しておきます」
「めずらしい冬風邪が流行ることもあるもんね」
「は……はい。その時に質の良い素材がなくて困るよりは、いつものポーションを作るときに少し難しいほうを選ぶのが普通……ですね……」
気がつけば、レイナルド様は私の隣に来て楽しげに手もとを眺めていらっしゃった。アカデミー時代には見たことがない飾らないやわらかな表情に、なんだか心がざわざわする。
「そういえば、今日は薬草園の仕事が忙しかった?」
「? は、はい。温室への植え替え作業がたくさんあって……」
私を見下ろすレイナルド様の視線の動きに、どきりとした。
「……も、もしかして顔に土がついていますか!?」
「うん、少し」
「!」
あわてて両手で顔をこする。認識阻害ポーションでは汚れた顔は隠せないらしい。一応、顔を洗って鏡を確認したはずだったのだけれど……久しぶりの薬草園の仕事に夢中になりすぎてしまったみたい。
「まだこっちについてるよ」
「こ……こ、ここですか……?」
「ううん、もう少し上」
レイナルド様は自分の顔を指差して、私の顔のどこに土がついているのか教えてくれる。けれど、なかなか土は取れないようで。
「取れたでしょうか……」
「もう少しだけ左」
「こ、こ、この辺……?」
「うーん」
レイナルド様は困ったようにして戸惑いながら私のほうへと一歩近づく。さっき飲んだホットワインとは違う、夏の樹々の香りがふわりと香る。青みを帯びた黒髪越しに見える、湖の底みたいな瞳がとてもきれい。
「ちょっとごめんね」
「!」
レイナルド様の手が私の頬まで伸びてきて、息が詰まった。
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