第4話 今日は喧嘩で魂を貢いじゃう

 彼女が居候を始めてからある程度日が経った。彼は順調に体がよくなっていってきている。今まで明らかに体に負担のかかる働き方をしていたので、それを無理矢理矯正する彼女の存在は、職務遂行上は問題ありだが、健康管理上は良と言える。


「ふふふ、順調に回復しているわね。このままいけばいずれ健康体に戻れるわ」


 ここ最近で気になっている点としては、彼が業務量を急減させている点だ。もしかしたら、サキュバスに合わせてくれているのかもしれない。あくまで自分を押し通すタイプの人間かと思ったら、そうでもないらしい。


「あなた思ったより殊勝な心掛けね。ここに来て業務量をこんなに減らすなんて。自分のワークワークバランスがいかにアンバ(ビュ)ランスだったかわかった? あ、ちなみにアンビュランスって英語で救急車ね」


お前ってホント無駄な表現してくるよな、という彼の言葉を、彼女はむしろ褒め言葉と受け取っておく。


「というか、前から気になっていたんだけど、なんでそんなに仕事をしているの? 一人で生きていくだけなら給料的には一つの仕事をすれば十分でしょ? 貯まったお金は何に使っているの?」


 彼はいつものごとく、彼女の方を向くこともなければ口を開くこともない。


「これもまただんまりなんだ。……もしかして、誰かに貢いでいるとか!? ってそんなわけないか。貢ぎ相手ならあたしは負けるつもりないもの♪」


 彼は汗を拭いながら、プログラミング作業に集中しているようだ。


「また無視かい。はぁ…。あなたの無視は今に始まったことじゃないしね。こっちは洗濯しといていいのよね」


 もはや主婦のような立ち振る舞いで、いくつかの洗濯物を洗濯機に放り込んでいく。そのとき、ズボンのポケットから手紙が顔をのぞかせているのを発見する。


「あら、ポケットに何か…なにこれ!? あなたに手紙なんて書いてくれる人いるの?」


 そう言ってその勢いのまま中身まで見てしまう。


「おい! やめろ! 見るな!」


 彼はそれを大急ぎで奪い取ろうとしてくるが、サキュバスは宙に浮いて逃げる。


「いいじゃない~、あなたに手紙を送るなんていったいどんな…人…が」


 中身を覗いた彼女は動きを止めてしまう。その隙に彼は手紙を奪い取っていった。


「…ねぇ、それ…なんの手紙?」


「何でもない」


「なんでもないじゃわからないわ。どういうこと? 『もういいんです』って何のこと?」


「うるさい。もうこの話は終わりだ」


 彼は手紙を微塵に千切り、何事もなかったかのように仕事に戻っていく。


「あなた…仕事をあんなにかけ持っていたのってもしかして…」


 この言葉は彼の琴線に触れてしまったようだ。

 彼はサキュバスを掴み、そのまま張っ倒す。


「…っぅ、いったーい。…んもぅ。いきなり張り倒さないでよ」


 涙目になって彼を見る。


「もぉ…どれだけ魅了してもあたしのことを襲ってこなかったのに、これには怒るんだ。今度から押し倒されたいって思ったらこの言葉使っちゃおっかなぁ」


 彼はさらに怒ったのか、彼女を引きずってそのまま扉の方まで連れていく。


「ちょ、ちょっと待って、部屋から出さないで! 気を悪くしたんなら謝るからっ。ねえ! ねえってば! 開けてよ! 別に嫌なら聞かないから!」


 だが、彼はすでに部屋に鍵をかけ、チェーンまでしてしまったらしい。

 彼女は小さくため息をはく。


「むー。まあ、悪魔の力を使ったら部屋になんていつでも戻れるけど…今無理矢理帰ったら怒るだろうなぁ」


 ここは根気強くいくしかない。


「仕方ないな。…ねえ開けて! あーけーてー! あなたのパソコンにあった動画の趣味をご近所さんに聞こえるように言うわよー! ねえってば! ………みなさーん! 聞いて下さーい! ここの住人が自慰行為するときの趣味は、触手ふたな……ってこれは開けてくれるんだ」


 彼は渋柿を食べたような顔でこちらをねめつけてくる。


「そんな怖い顔で見ないでよ。別に根掘り葉掘り聞こうなんて思ってないわ。エロ本はあなたを魅了するために調べただけよ。してほしいんならいつでも私がしてあげるから♪ ってやっぱり無視かい」


 彼はスタスタと部屋に戻ってまたパソコンに向かってしまう。


 しばらく沈黙が続く。何となく気まずい。だが、こういう空気はサキュバスには似合わないと思ったのか、彼女から沈黙を破っていく。


「悪かったわよ。勝手に覗いて。そこまで大切なものだとは思わなかったのよ」


「…」


「ねぇ、少しだけ、私の話をしてもいい? って聞いてもあなたはどうせ無視するんだろうから勝手に話すわ。…あたしね。生前はすごく汚い人間だったの。今もそうだろって言いたい顔ね。たぶん今の方がまだマシだわ。…ちょっと、何よその顔は。これでマシなのかとか言わないでよ。それに私、あなたに対してそんなに汚い手は使ってないと思うんだけど」


 彼はジト目になってサキュバスを見つめるが、それ以上は何も言わない。


「上に登るために何人もの人間を蹴落としてきたわ。人を騙して、たらしこんで、欺いて、たばかって。だからかしらね。恨みを買った人に刺されて殺されちゃったわ。理不尽な世界よねー。下にいる間は搾取されるだけで、上に登るためには人の恨みを買わないといけないんだもん」


 彼にしては珍しく、画面ではなく彼女の方を見て、興味深くこの話を聞きいていた。この話のどこがおもしろいんだろうと思いながらも、初めて興味を持ってもらえたことに彼女は少しだけ嬉しくなってしまう。


「私の人生ってなんだったんだろうなぁって今でも思うの。搾取されるだけの現状を変えたくてもがいたのに、もがいた先に待っていたのは崖っぷちだもん。おまけに天国には行けなくて地獄行きよ。こうしてサキュバス隊に組み込まれて、また下からやり直しの人生…じゃなくてサキュバス生。やになっちゃうわ」


 彼はお似合いじゃないかという言葉を返してくる。


「お似合い? まあね。自分で言うのもなんだけど、サキュバスってあたしに合っていると思うわ。…でもね、殺されてみてわかったの。人を騙しても私にはなーんにも残らないわ。ただ虚しいだけ。命を奪われちゃうほどにね。…じゃあサキュバスとしてどうするかって? そこらへんは大丈夫よ。私なりにできることはいろいろあるの」


 悲しい笑みを浮かべながら彼女は彼のノートPCを閉じる。


「さ、そろそろ寝ないと。もう寝る時間よ。だーめ。仕事はちゃんと寝た人だけができるの。寝ないでしてもいい仕事は男女の夜の営みだけよ。あ、それと、明日は地獄に一度帰るからね。私がいないからって決して体をデストロイするような労働はしないこと。絶対よ」


 そう言って彼女は彼の方へ顔を差し出す。


「今日はあなたからキスして。いつもの魂の貢ぎ物よ。いっつも私からばっかりで不公平だわ。あれ結構恥ずかしいんだから」


 さっきあれだけ怒っていたし、絶対拒絶の言葉が飛んでくると思っていたのだが、どうやら素直に応じてくれるようだ。


「え?…い、いいんだ。てっきり拒否されるかと思ったのに」


 逆に何かあるんではないだろうかと疑ってしまうが、さっき話を興味深く聞いてもらえたことといい、このキスのことといい、彼が自分の方を向いてくれているようで心が舞い上がってしまう。

 そして、彼からの口づけがやってくる。


「…んっ。…はぁ。下手くそね。……でも、悪くはなかったわ。人からしてもらうキスは久しぶりだし。そしたら、おやすみ。また…明後日ね」

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