魂を奪いに来たサキュバスだけど、相手がブラック労働過ぎるのを見かねて逆に魂を貢いでしまう

ihana

第1話 今日はハグで魂を貢いじゃう

「ねぇ、あなた、死にたい?」


 彼が家に帰ると、6畳一間に見知らぬ女性がいた。いや、女性のように見える何かがいた。彼女は空中に座りながらこちらに声だけを送ってくる。その好意たっぷりの艶やかな声は、死にたい? という負の発言内容とのギャップに普通の人であれば違和感を覚えたことだろう。だが、彼はどこか安堵したような表情を浮かべる。


「私が何者かわかる? まあ、聞くまでもないわね。この姿をみればだいたいの予想はついているんじゃないかしら」


 不敵な笑み。彼の業務生活では長らく触れることのなかったような表情だ。


「私たち悪魔――――サキュバスが人間の魂を奪ってことくらいは知っているでしょう? 悪魔に関してはいろいろな説があると思うけど、私はとくに条件なくあなたの魂を奪えるの。だってあなたはすでに罪人だもの。罪人であること、強いて言うならこれが条件かしら。通常は相手を魅了して奪うのだけれどね」


 サキュバスと名乗った女性は色っぽく体を動かして見せる。電気をつけていなかったし、意識が朦朧としていたのでよく見ていなかったが、彼女はかなり刺激的な服装をしている。おまけに街を歩いていれば、たとえ服装が普通であったとしても多くの男性の視線を奪っていたことであろう。


「ふふ、座り込んじゃって、腰が抜けてしまうほどかしら? それに顔も青ざめているわね。まるで100連勤を終えてやっと帰ってこられたから早く寝たいと言った風だわ。でも安心して。魂を奪われるのって別に痛かったり辛かったりするわけじゃないの。ただ、この世からあなたと言う存在が消えるだけよ」


 そう言って、彼女は埃の積もった部屋に足を降ろし、片手をかかげてくる。おそらくこれから魂を奪うのだろう。だが、男はこの行為を特段気にも留めていない様子だ。


「さ、じゃあ始めるわよ……って、ちょっと待って。あなた…もしかして寝ているの? え? ちょっと待って。え? 私の説明聞いていたでしょ!? これからあなた消えるのよ! なんで呑気に寝てなんかいられるの!?」


 彼女は悪魔の目を使って彼の魂を見る。悪魔たちは特殊な目を持っていて、魂の活量を色で見分けることができる。質、量にともに優れるものは赤く激しく燃えるように見え、その逆は青く乏しく見えるのだ。そして彼は…。


「ちょっと! なんであんたの魂こんなに弱ってるのよ!? 風前の灯火じゃない! まだ私何もしてないわよ! と、とりあえず起きなさいって! こんな真冬に玄関で寝たら魂奪う前に死んじゃうわよ」


 魂の状態は肉体や精神の状態に比例する。彼の魂が弱っているということは肉体や精神も相当疲弊していることが予測される。


 彼は小さな声で何か言っている


「え? なんて?」 


「ひゃ、百連勤あけなんだ寝させてくれ」


「100連勤ホントだったのかよ! ここじゃなくてベッドで寝て!」


 サキュバスは彼を何とかベッドまで引きずって寝かせることに成功する。


「はぁ、はぁ、なんであたしがこんなことしないといけないのよ。てかこの部屋きたな! 埃まみれじゃない! 掃除してないの!?」


 彼をベッドに寝かせたはいいが、魂の灯火がみるみる弱まっていく。どうやらもう三途の川を半分くらいはわたっているようだ。


「ま、待って、ねえ待って、あなたよく見たら、睡眠不足とかそういう状況じゃなくて本当に死ぬ間際なの? 魂の色が消えかけなんだけど。まずい…ここで死なれたら魂回収できなくてあたしの評価バツになっちゃう。……し、仕方ないな。こんなのこれっきりだからね!」


 そう言ってサキュバスは彼を抱きしめる。


「ど、どう? あったかい? 女性に抱きしめられるなんて初めてでしょ?」


 彼女は顔を赤らめながら彼の頭を優しく撫でる。


「か、勘違いしないでよね。私の魂をちょこっと分けてあげているだけなんだから。サキュバスは普通、こうやって相手に肉体的快楽を与えながら魂を奪うの。今はその逆をやっているってだけよ。だってあなたこのままじゃ死んじゃうんだもん」


 サキュバスは彼にできる限り体を摺り寄せながら言葉を続ける。


「あなたはどうせ女性の体なんて触れたこともないんでしょう? 生前はこの体でたくさん男たちを魅了してきたんだから。それに、あなたのこともちゃんと調べて来ているわ。童貞で根暗のぼっち。普段から仕事に相当疲れていて……というかあなたの場合は疲れるとか言うレベルじゃなくて生命が危機的状況だったけど。おまけにあなたはすでに罪人よ。こんな好条件なかなかないんだから。私の初めての仕事に失敗の判なんて押させないでよね」


 しばらくして、彼女は身体を引き離す。彼はその余韻を味わう余力もなく疲れ切った体をベッドに横たえる。


「はぁ…。このまま魂を取ってもほとんど空みたいなもんじゃない。……いいこと! 次会う時までに心身ちゃーんと元気になっておくのよ! 今のあなたじゃ全然私の評価につながらないんだから。……って寝てるし! あーもうっ! なんで初仕事からこんなんなのよっ! 魂まで分けたんだからちゃんとプラスになるよう元気になっといてよねっ!」


 投げつけるようにそう言って、彼女は部屋を後にした。

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