第6話 実家に挨拶(ユイ編)

 ユイの実家を後にしてその日の深夜バスに二人は乗り込み、次はコウキの実家をめざすことに。


(何だかハードスケジュールでゴメンね)


 コウキは乗車席に着くなりユイに謝罪をした。

 ユイはニコッと微笑み


(何で謝るの? 凄く楽しみにしてるよ)


 楽しみにしている、コウキはユイの実家では酷く緊張したのだが、どうやらユイはそうでもなさそうだった。


(緊張していないの? 俺の母さんに初めて会うっていうのに)

(緊張もあるけど…。それにもしかしたら私の障害を受け入れてくれるかどうか、もの凄く不安だけど…。でもそれよりも何よりも二人でこうして何処かへ行くって初めてだから楽しくって)


 言われてみればそうだった。

 いつもコウキとユイが待ち合わせて、ずっといた場所は、以前の所属事務所から近い公園だった。

 あれ以来、ユイと音信不通になって一年ほどで再会を果たしている。


(そうだった、殆どデートらしいデートもしていないしね。今思うと色々と順序が吹っ飛んでこうなっている気がするよ)

(ホントだね)


 深夜バスは混んでいた。

 二人は手話を通して心の中で笑い合った。




 翌朝。

 目的地に着いて、バスを降りると、次はタクシーに乗り込んだ。

 タクシーの車窓から見える景色は、遠くまで広がる田園だった。所々に建屋が見えたり防風林が見える程度で、後はのどかな田園風景。

 ユイは目を輝かせて(凄い! 自然豊かな場所でコウキ君は育ったんだね!)と手話がいつも以上に素早い手捌きになっていた。

 それほどユイは興奮していた。

 その姿をコウキは優しく見つめて、ユイに優しく頷いた。

(まだちょっと早いから、実家の近所を探索してみる?)

 コウキがそう提案するとユイは満面の笑みで大きく頷いた。

 コウキの実家から少し離れた場所でタクシーから降りる。

 降りたその場所は木々に覆われた神社だった。

 鳥居がすぐに迎えていて、その前に二人は立って眺めている。木々の枝の隙間から、朝陽がこぼれて辺りを幻想的に照らしている。

 都会育ちのユイはそれだけでも美しく見えた。

(バチ当たりかもしれないけど、僕はよくここで遊んでいたんだ。あの大きな木、あそこによくよじ登っては神主さんに怒られたもんだよ)

 苦笑いをしながら少年時代を回想しながらユイに伝える。

 コウキの視線の先に注連縄しめなわがしっかりと巻かれている、確かに大きな木がそびえ立っていた。

 ユイはその大木に駆け寄る。

 そして身体を大木に預けて目を閉じた。

 その大木から命の鼓動が聞こえるような気がした。

 コウキはユイの肩を優しく撫でて

(どうした、服が汚れちゃうよ?)

 と聞く。

(ううん、何でもない。ただ…)

(ただ?)

(私の知らない景色が沢山あるんだなぁって思って)

(旅行とか行かなかったの?)

 ユイの実家に訪れて、コウキは普通にそう思ったことを手話で伝える。

 ユイの実家であれば、国内海外を含めて色々な所に旅行に行っているだろう、とコウキは思った。

 ところが返ってきた答えは

(私、引っ込み思案だったから。結構イジメられていたし。聾学校に入ってからはイジメはなくなったけど、何だろう……旅行が怖くなったっていうのかな、誰かと接触するのに恐怖を感じるようになったというか)

 コウキはマズいと思った。

 思い出したくない過去を思い出させてしまったと思った。

(ゴメン、嫌な思い出をほじくり返してしまったみたいで)

(ううん、大丈夫だよ)

 ユイはコウキに向き直ると

(深夜バスの中でも言ったでしょ? 今は楽しいの。隣にはコウキ君がいるし、お互いの両親に挨拶をする為にこうしているんだけど、何だか新鮮で私は楽しくって)

 ユイの笑顔を見て、急に愛おしくなりコウキはユイをそのまま抱きしめた。

 そして聴こえるはずのない耳元で、コウキは囁いた。

「ユイと出会えたことが奇跡だよ」




(俺の実家、ボロ屋だろ?)

 少しだけコウキは、自身を卑下ひげしたようにユイに伝える。

 コウキの実家はトタン屋根の借家だった。

 ユイの実家とは雲泥の差がある。

 ここにコウキの母親がひとりで暮らしているとコウキはユイに教えてはいたが、ユイも流石にどう答えてよいのか分からなかった。

(でも汚い借家だけど、とりあえず母さんにはもう連絡してあるからさ、大丈夫だよ)

 コウキはユイに安心するように笑顔を絶やさなかった。

 楽しみにしていたのだが、コウキの母親に会う覚悟はしていたが、ユイはショックを隠し切れなかった。

 事前にコウキの幼少期から今までのことはザックリとではあっても、しっかりと把握していたつもりであった。

 しかしいざ、目の当たりにするとまた理屈が変わってくる。コウキの母親の苦労がひしひしと伝わってくる気がした。

 どのような顔でコウキの母親に会うのが正解なんだろう?

 ユイは少々、自身の考え方を反省する。

 コウキがユイの目先で人差し指を振る。

(どうした?)

(ううん、何でもない)

 何とかコウキに悟られないように、ユイは懸命に笑顔を作っていた。

 それじゃあ行くよ、とコウキはサインをユイに送って玄関を開ける。

 玄関の奥から白髪混じりの凛とした女性が現れた。

(紹介するよ。俺の母さんだよ)

 ユイは戸惑いながらも会釈をした。

「こちら、お付き合いさせてもらっている高坂ユイさん」

「あらあら、こんなに可愛らしいお嬢さんだと思わなかったわ。よろしくね、ユイさん」

 コウキは手話を通してユイに伝える。

 ユイはコウキの母親の表情をしっかりと見つめた。

 笑顔が暖かくて、そしてあることに気付いた。

 コウキと一緒で、そのの奥には色眼鏡や憐憫が全く感じられなかった。寧ろコウキ以上に優しく力強い瞳をしている。

(初めまして! コウキさんとお付き合いさせていただいてます、高坂ユイです!)

「そう言っているよ、母さん」

 コウキの母親、シズエに伝えると

「こんなはるばる田舎のほうまで来てくれてユイさんありがとう、ちょっと緊張しているのかな? そんなに緊張しなくても良いのに、楽しみにしていたんだから。ささ、上がって」

 コウキが手話で伝えてくれるが、ユイは驚きを隠せなかった。

 初めてコウキと出会った感覚と一緒で、こんなにも心をすぐに持っていかれる。

 やっぱり、親子なんだな、ユイは案内されながらそう思った。

 そしてこうも思った。

 誰に対しても構える自分を変えたい。

 だけどコウキ君となら私は私自身のを変えられるかもしれない。




 丁度二人が実家に着いたのは昼時であった為、シズエは豪華な昼食を用意していた。

 ちらし寿司をメインに筑前煮やきんぴらごぼうなど。この地域で採れた野菜で作られた料理ばかりで、都心で食べる料理よりとても新鮮でユイはすぐに虜になってしまった。

 コウキの肩を興奮しながら叩いて


(美味しい! お母さま、凄く料理が上手なんだね。何でこんなに美味しいんだろう?)


 箸を置いて素早い手話で語りかけてくる。

 コウキはシズエにも分かるように


「多分“水”じゃないかな? ここら辺は清流も流れているしね。だから米も美味いはずだよ」


 声を発しながら手話を交えるコウキ。

「お口に合うかどうか心配していたけど良かったわ」

 シズエが優しくユイに微笑む。

 ユイは聞こえなくても、シズエの口の動きで何を言ったのかを悟った。悟った瞬間、何だか心が暖かくなっていく気がした。

「コウキ、本当にアンタには勿体ないくらいの良い娘さんじゃないの。もう結婚とか考えているの?」

 その質問にコウキは思わず吹き出しそうになった。

 丁度緑茶を飲んでいたので、喉につかえせるコウキ。

「な、何を言っているんだよ!」

「あらあら、顔そんなに真っ赤にしちゃって」

「いきなり変なことを言うからだろ!」

 ユイはきょとんとして


(どうかしたの?)


 コウキに尋ねるが、赤面するその姿に何か照れるようなことでも言われたのだろうと察した。

 敢えてコウキはユイに手話では伝えなかった。

 シズエは楽しそうに笑顔を絶やさない。

 ユイはコウキからシズエの苦労を聞いている。女手一つでコウキを育てたシズエ。

 だけど楽しそうな表情を浮かべる。

 ユイは思った。


 気苦労もあったろうけど、やっぱり“母は強し”って本当なんだな。




 楽しい昼食が済むと、狭い台所でコウキにシズエ、ユイと三人で後片付けをしていた。

「片付けは私がひとりでやるから」とシズエは、二人にゆっくりとしてもらいたかったのだが、コウキがユイに


(ウチのルールで食べたら食器は自分で洗うっていうのがあるんだ)


 そんなことを伝えた。

 勿論コウキの噓である。コウキは少しでもシズエとユイの距離が近付いてくれたら、そんな風に思い敢えて付いた噓。

 ユイは率先して洗い物をした。

 綺麗になった食器を見て

「凄いわね、こんなに綺麗にしてもらっちゃって悪いわね、ありがとう」

 コウキが手話でユイに伝える。

(油絵とかの片付けで細かくやっているから。ペインティングナイフとか絵皿、もちろんお水じゃなくて専用の薬品使うんだけど、細かくやっちゃう方かな)

 そう伝えるとシズエは感心しながら

「ユイさんは美大に通っているのよね? なら私の似顔絵でも描いてもらおうかしら?」

 悪戯っぽく、シズエは拭いた食器を戸棚に入れながら冗談を言った。

 しかし、これを正確に手話でコウキはユイに伝えると

(是非! 今日という記念に描きましょう!)

 ユイは満面の笑みでそう答えた。




 片付けが終わると、すぐさまユイはクロッキー帳と鉛筆を取り出して、シズエを見ながらサラサラとドローイングを始めた。

「突然変なことを言ってごめんなさいね。でもちょっと楽しみだわ、現役の美大生のユイさんに似顔絵描いてもらうの」

 シズエはそう言って緑茶を啜る。

 ちなみにコウキもユイが絵を描く姿を見るのは初めてだった。

 しかしそのえがくスピードにコウキは驚いた。

 寸分の迷いがなく、シズエの顔のサイズと角度をしっかりと捉えて骨格が出来たかと思うと、既に肉付けが始まり光と影を上手く融合させていく。

 ものの五分もしないうちに

(出来ました)

 とクロッキー帳をシズエに渡した。

「わぁ…素敵」

 シズエは言葉に出来ない感動を覚えた。

 そこには確かにシズエの似顔絵が描かれている。だが色彩がないドローイングでありながらも、光と影の使い方が絶妙であり、本来のシズエよりも美しく描かれている気がした。

 自然と瞳から涙が溢れてくるシズエ。

 その様子に察したユイは、間違ってしまったと思いシズエからクロッキー帳を取ろうとした。


 が。


 シズエはクロッキー帳から手を放そうとしなかった。

 こんなにも心を揺さぶられ、美しい似顔絵を見たことがなかった。感動が涙となって頬をつたっていく。

 コウキには分かっていた。自身も同じ体験をしているから。シズエの気持ちが、色々な思いが痛いほど分かる。

「ありがとうね、ユイさん。これ貰っても良い?」

 ユイは大きく頷いた。

「絵でこんなに感動するなんて生まれて初めて。ユイさんはきっと凄い画家さんになるわ。陰ながら応援させてね」

 シズエは涙を拭いながら感謝の笑顔を向けた。

 同じようにユイも思った。

 もっと自分に自信を持とう。

 人を感動させられる絵をもっと、もっとえがき続けよう。

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