隻腕騎士は騎士隊長に恋をする

長岡更紗

前編

 騎士アイナには、二人の大切な友人がいた。


 一人はオーケルフェルト家に仕えるメイドのプリシラ。

 もう一人はオーケルフェルト騎士隊に所属する、同期のシェスカルだ。

 アイナと二人は友人同士ではあったが、プリシラとシェスカルは違っていた。そう、二人は恋人同士だったのである。


 その大切な友人、プリシラとシェスカルが結婚した日。


 アイナはシェスカルへの恋心を押し隠し、二人を心から祝福した。


 二人が幸せならそれでいいと。


 そう、考えていた────




***




「シェス、班長昇進おめでとう。やっぱり先こされちゃったな」

「おー、サンキューアイナ。まぁ落ち込むなよ。お前だけじゃなくて、誰も俺に敵いやしねぇんだからさ」

「まったく、言ってくれるよね。まぁ実際シェスは実力を兼ね備えてるから、文句は言えないよ」

「今日、うち寄ってくか?」

「新婚の家にお邪魔するほど野暮じゃないよ。昇進の祝いは、新妻にしてもらいな」

「おう」


 シェスカルは嬉しそうに、アイナの肩を叩いて鍛錬所を後にした。

 彼の妻のプリシラは、結婚と同時にメイドを辞めている。と言っても家庭に収まるわけではなく、医術専門学校に通い始めたのだ。

 今まではお金がなくて諦めていたプリシラの夢を、シェスカルが後押しした。彼はディノークス商会という豪商の息子で、お金を腐るほど持っていたことも大きい。

 プリシラがメイド時代から、シェスカルは学校に行く金を出すと言っていたが、プリシラは頑なに拒んでいた。しかし夫婦となることで、ようやく受け取る決心がついたようだ。

 こうしてプリシラは医師になるという志を持つことができた。友人が夢を叶える一歩を踏み出せたことを、アイナもとても喜ばしく思っている。


 だから、アイナはどうこうするつもりはなかった。


 アイナはシェスカルが好きだったが、プリシラも大切な人だった。

 二人の関係を壊すようなことをするつもりは、微塵もなかった。


 そう、あんな事があるまでは──




***




 時は過ぎる。

 二人が結婚をして四年が経った頃のことだ。

 シェスカル班に魔物討伐が課せられた。

 それ自体はよくある話であった。街道や町の近辺に出没する魔物を退治すること。それは騎士の立派な仕事であり、アイナもシェスカルも何度も経験していることだ。

 出動隊はシェスカル班だけだったので、大した魔物ではないのだろうと思っていた。

 しかしその時に出たのは、アンドラスという一風変わった魔物だったのだ。


 アンドラスは人に憑依して攻撃を教唆させる魔物だった。憑依された者は、例外なく味方を襲ってしまう。

 操られている仲間を斬るのを、躊躇してしまう騎士達。

 アンドラスは、次々に憑依する者を変えては攻撃してくるため、戦場は混乱した。


 決着をつけたのは、シェスカルの一太刀だった。


 シェスカルはアンドラスに憑依されたアイナの右腕を、根元からバッサリと斬り落としたのだ。

 別の者に憑依しようとアイナの体から抜け出た本体を、シェスカルは一刀両断して倒した。


 アイナはその様子を、右腕のない体で見ていた。

 激しい痛みがアイナを襲っていたが、呻く事もできずに、ただシェスカルに目を向ける。

 シェスカルは騎士コート脱ぎ、アイナの体に巻きつける。そしてぐいっと彼に抱き上げられると、街に向かって走り始めた。

 大量出血で気を失う寸前に見た、シェスカルの必死な顔。

 アイナはその姿を、おそらくは一生忘れることはないだろう。


 深い闇から目を覚ました時、そこにはシェスカルとプリシラがいた。

 無いはずの右腕が痛み、顔を歪ませる。


「アイナ、俺がわかるか?」


 頭がぼうっとしている。しかし間違えるはずもない、大好きな人と親友の姿。


「シェス……それに、プリシラ」


 そう答えると、二人はホッと息を吐き出した。しかしその途端、シェスカルの顔が驚くほど崩れたのが目に入る。


「悪かった……アイナ……」

「ごめんね、アイナ……」


 なぜかプリシラにまで謝られ、アイナはわずかに首を横に振った。

 あの状況では仕方なかった。あのまま被害が拡大していたら、シェスカル班は壊滅していた恐れもある。彼は最善を尽くしたと言って間違いないだろう。


「被害、状況、は……」

「死者はなし、重傷者はお前を含めて三名。軽傷者は多数だ」

「そう……ごめん、少し寝るよ……」


 それだけ言って、アイナはまた目を瞑った。

 数字だけ聞くと、あんな魔物を相手に上出来と言えるのは確かだ。

 けれど重症者の中に自分が入っていることが信じられず、全てを遮断するように眠りに落ちたのだった。


 その日から、アイナの環境は劇的に変わってしまった。

 まずは騎士を解雇されてしまったこと。利き腕がないのだから当然とも言えるが、剣しか取り柄のないアイナには絶望的な宣告だった。

 国から見舞金が送られたが、それは数ヶ月を凌ぐ程度のもので。つまりその後は、己の力で稼げということだ。

 アイナの故郷は遠く離れていて、両親はそちらで暮らしている。帰ろうかと思わないではなかったが、結婚もしていない、二十四歳にもなった隻腕の娘が帰ってこられても、迷惑にしかならないだろう。


 最初は前向きだった。

 世の中には手が無かろうが足が無かろうが、立派に働いて自立している人はたくさんいる。自分もそういう人になれるに違いない、と思っていたのだ。


 しかし、利き腕がないというのは思った以上に不便であった。

 料理をするにも、利き腕ではない左手で包丁を持たなくてはならない。皮など剥けたものではないし、押さえる手がないので丸いものなどは中々切れなかった。

 もちろんそれだけではない。

 服を着替えるのも、風呂に入って体を洗うのも、洗濯物を洗うのも干すのも、荷物を持つのも、髪を結うことも、全て大変だった。

 それを受け入れ、前向きに対処する人が幸せになれるのだろう。

 だがアイナは違った。上手くいかなくなるたびにシェスカルを恨み、そしてプリシラまでも恨み始めた。


 どうして私ばかりこんな目に合わなくてはいけない?

 プリシラは愛する人シェスカルと結婚して、医師になるという夢まで叶えたというのに。

 私は騎士として生きていくこともできずに、支えてくれる人もいない。

 プリシラは……ずるい。


 アイナは自分の置かれた状況に絶望してしまっていた。家から外に出ようとせず、働き口を探そうともしなくなった。アイナは国から貰った見舞い金で、細々と暮らしていた。


 シェスカルは罪悪感のためか、ほぼ毎日アイナに会いに来てくれていた。

 と言っても仕事が終わった後の三十分だけだ。料理を作ってくれたりしてくれるが、彼自身がそれを食べて行くことはない。

 帰れば、妻の温かい料理が待っているのだから。


 それが余計にアイナの心を惨めにした。

 シェスカルの作る料理はびっくりするほど美味しくて、涙が出るほど嬉しかったが、だからこそ嫉妬が増したのだ。

 プリシラは、こんな美味しい料理を作れる彼を虜にしているということに。


「アイナ……そろそろ、金は大丈夫か……?」


 この日、シェスカルは遠慮がちに尋ねてきた。正直に言うと、もう見舞金は底をついてしまっている。すでに今まで騎士として働いてきた分の貯金を崩しながら、生活している状況だった。

 しかしそんなことを口に出すとさらに惨めになりそうで、アイナは無言を通す。


「……俺がこんなことを言えた立場じゃねぇのはわかってる。けど、ちゃんと仕事探してんのか?」


 答えられるはずがないので、これも無言だ。


「ディノークス商会の系列でよけりゃあ、いくらでも紹介してやる。なんかやってみたい仕事はねぇのか」


 その問いにアイナは首を横に振った。


「別に、ないよ」

「じゃあどうやって生きてくつもりだよ?」

「さあ。誰か私と結婚してくれる奇特な人でも探そうかな」


 自嘲じみてそういうと、明らかに嫌そうな顔を向けられた。


「あのなぁ、良縁は外に出てこそだぞ! 引きこもり婚活なんてろくなことにならねぇよ。耄碌もうろくじじいの後妻か、エロオヤジに囲われるくらいが関の山だぜ?」

「いいよ、それでも」

「いや、よくねぇし!」

「そうでもしないと生きていけないんだから、仕方ないよ」

「働く気はねぇってか」


 怒気と共に放たれる言葉に、アイナも怒りを帯びる。

 働きたかった。なによりも、騎士として。

 国を守る誇り高き騎士を、ずっと目指してきたというのに。

 アイナの胸から熱い溶岩のような想いが口から解き放たれる。


「私は、騎士として生きたかったんだよ! ずっと、幼い頃から憧れて! そりゃ、シェスには敵わなかったよ?! でも……でも私だって、ずっと努力してやってきたのに……!!」

「……アイナ」


 腕を失ってから、人前では泣いたことのないアイナだったが、とうとう堪えきれずに涙を流し始めた。

 一度決壊してしまうと、涙は止まるところを知らず溢れ出してくる。


「どうして! どうして私だったんだ!! どうして私の時に腕を──」

「アイナッ!!」


 シェスカルがアイナの名を叫ぶと同時に、強く引き寄せられた。気付けばシェスカルの腕の中に、アイナの体が収められている。


「すまねぇ……本当に、悪かった……!! お前の大事な腕を、斬っちまって……!!」

「う……あああ……シェス……シェスぅうううッ」


 アイナは、シェスカルの腕に泣き崩れた。

 シェスカルを責める気はなかったのだが、それでも誰かに胸の内を聞いてほしかったのだ。

 もう騎士職には就けない苦しみや悲しみを、誰かにわかってほしかった。


「ごめんな……ごめん……ごめん……っ」


 大粒の涙を流すアイナに、シェスカルはいつまでも謝り続ける。

 苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。

 アイナの嗚咽は、いつまでも続いていた。






 そんなことがあった翌日も、いつものようにシェスカルがアイナの家にやってきた。

 しかし彼の手には封筒が握られていて、アイナは眉を寄せる。


「アイナ……受け取ってくれ」


 アイナは言われた通り受け取ると、中身を確認した。やはりというべきか、そこには札束が入ってある。帯が付いているところを見るに、ちょうど百万ジェイアありそうだ。


「……どういうこと?」


 そう問うと、シェスカルは眉間に皺を寄せながら、つらそうな顔をこちらに向けた。


「悪ぃ……俺にできることが、このくらいしか思いつかなかった」


 百万ジェイアは高額だが、この大金持ちの男からすると大した金額ではないだろう。アイナが困窮するたびに、ポイとこれだけの金額を出すつもりに違いない。

 彼にとって百万ジェイアというのは、その程度の価値しかないものだ。アイナが一万ジェイア出すのと同じ感覚だろう。


「いらない」


 アイナはその封筒を突き返した。

 そんな価値の低い物と、自分の腕が同等だとは思われたくない。

 こちらは相当の痛手を負ったというのに、シェスカルはなんの痛みも伴わない、ただのお金だ。

 不公平だと思った。

 自分は全てを失ったというのに、なにも変わらず生活をしているシェスカルが、許せなかった。


「そっか……だよな、悪い。余計に傷つけたよな」


 くしゃ、と音がして封筒が折れ曲がる。その悔しそうな表情が、なぜかアイナの心に癒しを与えた。

 今彼は、確実に自分のことだけを考えてくれている。それがその顔から読み取れて。


「なにか俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ。遠慮なんてすることねぇから」

「じゃあ」


 シェスカルのその発言に、アイナは次の言葉を臆することなく答える。

 そう。


「抱いてよ」


 と、一言だけ──

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