第一章『前線の街の青年』(2)

     ※


「──それで捨て台詞吐いて逃げてきたって? ずいぶん女々しくなったな、レリン」

「捨て台詞じゃないっての。俺はもう優等生はやめたんだ。不良になったんだ!」

 絡み酒であった。対面に座る男の《うーわ、めんどくさ》という視線が突き刺さる。

 夜。もう日付も変わろうかという時間に、俺は街の酒場で管を巻いていた。

「不良ねえ……わざわざそういう宣言してくるトコが、もう真面目だよお前は」

 呆れた様子で俺を見つめながら、対面の彼──ライナー=ヴァルツェルは肩を竦める。

 グレるために酒をかっ喰らっていたところ、たまたま店で出会った年上の友人だ。

「それ、どういう意味だよ?」

 杯を置いて訊ねた俺に、ライナーは赤銅の髪をわしわしと掻いて。

「言葉通りだよ。グレるならひとりで勝手にやってりゃよかったじゃねえか。そうだろ? それをお前、わざわざお嬢様に報告してんだから律儀以外の何物でもねえ」

「はー、違いますけどー? 怒りに任せて宣言してやっただけですけどー! すみません店員さん、お代わりお願いしますっ!」

「飲みすぎだ。水にしとけ」

「……じゃあ水でお願いします!」

「聞くのかよ……」

 ライナーは馬鹿を見る目を俺に向けていたが、自分の酔い具合を把握しているのだから、むしろ賢い者に向ける目をすべきだった。おそらく彼も酔っているのだろう。たぶん。

 そんなことを考えながら、なんの気なく俺は店内を見回す。

 雑多な喧噪。忙しなく杯を運ぶ店員と、それに手を振る客たち。

 いかにも荒くれ者の集う酒場の風情だったが、言うほど治安は悪くない。

 いかにも安っぽい木製のテーブル。並べられたそれらを見下ろす形で、あまりにも文明レベルが異なる場違いな映像モニターが、天井近くでニュースの文面を羅列していた。

 そんなこの街の雰囲気が、ことのほか俺は気に入っている。

 店員から水を受け取り、一気に喉へ流し込む。ライナーはそんな俺を一瞥すると、

「で、お前どうすんだよこれから。フロントを出るのか?」

「…………」

 この街が《開拓者の前線パイオニア=フロント》と呼ばれるようになってから、歴史的にはまだ日が浅い。

 ロストガーデン──圏外域との境界になるこの街は、ほんの数十年ほど前までは、まだ圏外域側とされていた領域だ。猛毒の魔素で満ち、機械生命スカヴェンジャーが闊歩する死線。

 それを開放し、人類の文明域を広げる前線に変えたのが、ある《英雄》の功績だった。

「まあ、これからのことはこれから考えるよ。とりあえず院はもうサボってるし……」

「別にお前の人生だ、お前の好きにしてくれりゃいいんだけどな」

「……悪い」

「俺に謝ってどうすんだよ、バカ」

 ライナー=ヴァルツェルとは物心つく頃からの友人だ。

 正確には後見人と言うべきかもしれない。彼が亡き父の仲間であったという縁で、幼い俺のことを、ずっと見守ってくれていたわけだ。

 まあ当人は「別に面倒は見てない」と言っているし、事実そんな感じだ。ときおり言葉通り様子を見にきてはくれるが、見る以上の何かをしてもらっていたわけではなかった。

 年の離れた、けれど気の置けない友人と呼ぶのが感覚的には近い。俺はずっと救道院で暮らしてきたし、ライナーも基本的には忙しくしている。顔を合わせるのも稀だった。

 元々、ネガレシオ救道院は圏外域へ消えていった開拓者たちの遺児を集めた支援施設として設立されたものだ。創設者はアミカの祖父母夫妻である。

 いずれ院を出るときに備え、世界を生き抜くためのあらゆる力を──。

 そんな理念で運営されてきた結果、出身者の中から、自分を遺して消えた親たちと同じ道を選ぶ者が、なぜか後を絶たなかったのだという。なかなか皮肉な話ではあった。

 ともあれ現在の救道院が、圏外領域へ挑む攻略者の訓練施設としての側面を大きくしているのは、その辺りが発端となっていた。

 現在の救道院長は、アミカの父親が務めている。

「でもお前、せっかくの才能だ。きちんと卒業して圏外探索の資格は貰っとけよ」

 痩せ型だが引き締まった肉体で、ライナーは言う。

 彼はベテランで、世間的にも高い評価を得ているプロの圏外探索者だ。単純な圏外滞在時間の総計で言えば、間違いなく今の人類ではトップクラスだろう。

 そんなライナーの言葉には、さすがにそうそう反発できない。

「院生はフリーパスだから忘れがちだが、普通は圏外域に出るにも資格がいるんだ」

「どうせ人類圏は全方位、機械生命スカヴェンジャーの領域に囲まれてるんだ。出るだけだったらどこでもいい、こっそり人類圏の端っこに向かえばその先は圏外でしょう」

「そりゃ、出るだけだったらな。そういう意味で言ってるわけじゃねえよ」

 本質的な意味で、圏外探索には資格など必要としない。

 その行為はただの自殺でしかないからだ。出るだけだったら、どこでもいい、この人類領域から一歩、外へ出れば済む話だ。わざわざこの街の《出入り口》を使う必要はない。

 それでも探索者がこの場所に集まるのは、だから本質的には、出るためではなく帰ってくるためと言うべきだろう。同じ圏外でもこの街の周辺は比較的、探索が進められ安全が担保されている。少なくとも、なんの情報もないほかの場所よりは遥かにマシだ。

 それは必然、同じ志を持つ仲間を集めやすいことも意味している。

 情報と数は、死地に挑むに当たり最低限、必須になる武器だ。それらが手に入れやすいからこそ、この街は《開拓者の前線》と呼ばれ、命知らずどもが集ってくるのだから。

「それともなんだ? 本気でそんな自殺行為をやっていくつもりでいんのか」

「……これからは真っ当に働くって選択肢もあるじゃないですか」

「グレて不良になったって、ついさっき自分で言ったばっかじゃねえか」

「そうだった……」

「つーかどの道、お前に働き口はねえよ。お前が首席なのはあくまで圏外志望者の中での話だろ。真っ当にやってく連中は、最初はなっから相応の勉強してる。今さら遅すぎるわ」

「…………」ぐうの音も出ない正論であった。

 生徒に《生き抜く力》を与えるのが救道院の方針だが、俺が教わってきた力は、だいぶ直接的な意味合いのものに偏っている。戦闘訓練に明け暮れすぎて潰しが利かなかった。

 今の時代、求められるのは即戦力として扱える人材である。

 そうか。俺って就職口、どこにもないのか……。

「……気持ちは、わからんでもないがな。正直お前は選ばれるもんだと、俺も思ってた」

 小さく零すように言ったライナー。その目は店内のモニターに向けられている。

 画面に流れるトップニュースが《予言》と、それに謳われる《英雄》に関連するものであることは言うまでもない。今の人類にとってこれ以上の関心ごとはないだろう。

 なにせ、彼らだけがこのどん詰まりの絶滅危惧種──人類を救えるというのだから。

「予言の世代。人類の文明圏を押し広げる選ばれた五人。復活する《厄災の魔女》を打倒し、滅びを防ぎ──人類に再び、かつての機械文明の栄華を取り戻す、か……」

「まあ、神様の予言だし。俺にゃ関係なかったってコトでしょ」

 あっさりと俺はそう応じた。

 ──遥かな太古、人類は天上を覆う星々の海までその文明を届かせたのだという。

 科学と魔術の両面を進歩させ、機械の命まで生み出した。紛れもなくこの惑星の支配種として君臨し、現代からは想像さえできない繁栄の絶頂を謳歌していた。

 けれど今、人類は惑星の頂点を失って久しい。

 あるひとりの魔術師──《厄災の魔女》が機械生命スカヴェンジャーを支配下に置き、人類全体に反旗を翻したのが原因だと言われている。彼女は本当に世界を滅ぼそうとしたのだという。

 結果から言えば、魔女による反乱は失敗に終わった。

 五名の英雄が魔女と戦い、その魂を封印することに成功したのだ。

 だが、英雄たちは現れるのが遅すぎたのだ。

 あるいは、魔女が現れるのが早すぎたのか。

 魔女が封印されたときには、もう人類は取り返しがつかないほどに数を減らしていた。

 科学も魔術も問わず、あらゆる技術はその知識を持つ者とともに失われている。

 人類の文明は大きく時を後退させてしまっていた。

 何よりそれ以上に、地表の大半が魔素によって汚染されてしまったのが致命的だ。

 魔素の中でも生存できる──否、魔素をエネルギー源として活動できる機械生命スカヴェンジャー群に、人類は住処の大半を奪われた。それから幾星霜が経った今も、状況は変化していない。

 人類は、緩やかに滅亡への針を進めていた。

 これを解決するとされているのが、教会によって予言された英雄候補たち。俺と同じく今年十九になる人間の中から、かつてと同じく五人の英雄が現れる……。

 それが、教会における《神の予言》だった。

 曰く──これから先の未来の指針が示されているという神の書物が教会には実在する。

 文字通りの《予言書》というわけだ。

 神がその資質を、世界を救うに足ると認めた五名が選ばれ、その証として教会の洗礼を以て、体のどこかに《聖痕》を刻まれる。

 とまあ、そんな予言に従って選ばれたのがアミカたち《予言の英雄》というわけだ。

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