ネームレス・レコード【増量試し読み】

涼暮 皐/MF文庫J編集部

プロローグ『人類文明圏外域』

 ──端的に言って、死の縁にいた。

 左腕はまともに動かせない。さきほど肩口に突き刺さったとげは力尽くで抜き捨て、応急処置として最後の《貼付式癒術符ヒーリングテープ》で傷口を塞いだのだが、気休めにすらならなかった。

「クソ、これだから安物は……。やっぱあんなヤミの露店で買うんじゃなかった……いや金ないんだから仕方ないけど。ああもう、どこの魔術師クリエイターだよ雑な仕事しやがって!」

 思わず口をついて出た泣き言を、自分で聞いて表情を歪める。

 何を言ったところで事態が好転するはずもない。無駄な疲労を精神に溜めるだけ。

 そう理解していながら、それでも口から零れ出たのは──心が折れかけているからだ。

「……いよいよヤバい、な……」

 左肩の傷口から手を離し、遺跡の壁に背中をもたれた。

 太古の機械文明の名残である硬質な壁面は現在、生命力の強い緑色の蘚苔コケ類に覆われている。疲労から、ずるずる背中を滑らせるように座り込むと、その表面が剥がれ落ちた。

 死──という単語が、頭の内側で徐々に存在感を増していく。

 俺は腰の後ろ辺りから薬剤の入った小瓶アンプルを取り出し、注射針をつけ左胸に打ち込んだ。

 痛み止めの類いではない。これはこの環境下でヒトが生きていくために、最低限必要な作業だ。大気に含まれる魔素は生物にとって猛毒で、薬剤で中和しなければ命に関わる。

 役目を終えた小瓶アンプルが、硬い床に落ちて砕けるのを目で追った。

「今のが……、最後の一本……」

 わかりきっていた事実をわざわざ口にする。

 小瓶アンプル一本分の安定剤スタビライザーで、もって半日。それも本当なら半日に二本分を打つのがベストであり、動き回れば動き回るほど中和剤一本分の効果時間は下がっていく。

 それが、俺に残されたタイムリミットというわけだ。

 まずは荒れた呼吸を落ち着け、可能な限り静かにしているべきだ。そもそもここへ来るまでに三日を費やしている事実など、生還を望むなら今すぐ忘れてしまったほうがいい。

「……はは。マジで、バカやらかしたよな……何してんだ、俺」

 だというのに、そんな愚かしい後悔の言葉が零れ出すのを止められないでいる。

 ──

 ただその一心でこれまでの人生を過ごしてきた。そのためだけに命を使ってきたのだ。

 こんな死地に独りで乗り込んできたのも、夢を捨てることができなかったから。

 この星の大陸面積の大半を占める、遥か太古に滅びた旧文明の遺跡群。生物の命を蝕む有毒の魔素が大気を満たし、何より人類を敵視する機械生命スカヴェンジャー群が無数に蠢く最前の死線。

 それこそが、現代における

 俗に《失われた楽園ロストガーデン》と呼称される領域。

 ただ足を踏み入れるだけで死と隣り合わせになる自然と鋼鉄の庭は、だが同時に人類にとって最後に遺された約束の地でもあった。

 現代においてはその仕組みシステムの一端さえ解明できない旧人類文明の遺物が──それが科学的か魔術的かを問わず──数多く眠っている、いわば未開の宝箱であるからだ。

 過去、数多の人間がロストガーデンへと挑み、ある者は成果を持ち帰り、またある者は命を置き去りにしてきた。宝を得んと欲するならば、己が身命を賭すのは当然の理屈。

 ……俺だけが、その例外に当たるはずもない。

 勝手に将来に絶望し、ほとんど捨て鉢の覚悟で単身、圏外域へ挑んだのだ。

 行く末に待つものが死であろうと、同情の余地は一片もなかった。

「…………けど」

 それでも、死にたくない。

 背中側の壁面にある窓から少しだけ身を乗り出し、外の様子を窺ってみる。

 すぐ外は大通りめいた構造になっていた。まっすぐな道が遥か先まで延びており、その通りを挟むようにいくつもの建物が林立している。今はそのひとつの中にいた。

 見たところ、大通りに動くモノの気配はない。俺をここへと追いやった大型の一機は、どうやら上手く撒けたようだ。苦し紛れの一撃が脚部に当たったのが功を奏したか。

 奴の──あの自己修復セルフリペア性能がどの程度かはわからないが、進んでいく分には追いつかれずに済みそうだ。肩を刺した傷の対価として、それが高いか安いかはともかく。

 となればこのまま、建物の内側を進んでいくのがベターに思われた。

 視線を、俺は大通り沿いに北上する方向へ滑らせる。

 目指すはその先、大通りの突き当たりに位置する高層の塔。この決死行の最終目的地。

 もし辿り着くことができれば、あるいは、何かが変わるかもしれない。

 ──そう決意を新たにしたのと、背後から気配を感じたのはほとんど同時だった。

 腰のホルスターから咄嗟に武器を抜き放ち、勘に任せて背後へと射撃する。

「くっ……!!」

 電機銃ブラスター類に特有の無反動の手応え。振り向いた先では、廊下奥の曲がり角から計三機の飛行型の機械どもがこちらに迫ってくるところだった。

 金属製フルメタル球体ボール回転翼ローターがついたような、実に単純な構造の小型の飛行機械。

 遭遇は偶然だろうが、見つかること自体が不運だった。

 どれほど小型でも、──スカヴェンジャーは脅威になる。

 雑な射撃が、その内一機の中心を的確に射抜いたことは幸運な偶然と言えるだろう。

 機械生命スカヴェンジャーの眼とも言えるカメラを貫かれ、一機が床に墜落する。残る二機が、わずかに狼狽えたように墜ちた同胞へ単眼モノアイを向ける隙で、俺は反対方向へと駆け出していた。

 無呼吸で廊下を駆ける。そのまま廊下の奥に位置する階段を飛び降りると同時に、掃射された機銃がまっすぐ廊下を抉っていく、耳障りな破砕音が聞こえてきた。

「容赦ねえな本当にっ!」

 踊り場で受け身を取った俺は、体勢を立て直しながら一瞬だけ上に視線を向ける。

 二体の飛行型どもが放った弾は、廊下に着弾するとともに火種となって、蘚苔コケ金属てつが覆う廃墟を青白い炎で満たしていく──予想以上に厄介な攻撃性能がありそうだ。

 点々と、まるで虫の足跡のように刻まれた淡蒼の灯火。弾丸に刻まれた術式が、着弾と同時に火を発する仕組みだろう。一発でも掠ったら、その傷口から燃えてしまう──。

 まったく、人間ひとりを殺すには、過剰火力にも限度があった。

「くそっ! 何が機械だ、あっさり物理法則を無視しやがって畜生!」

 電気ではなく、魔素をエネルギーとして機械生命スカヴェンジャーは、金属製の硬く強い機体を持ちながら、取り込んだ魔素を再利用することでそれぞれに使

 ただの機械ではなく、生命であるとはそういうこと。

 この星の支配者は──もうとっくに人類ではなくなっているのだ。

「……でも、どうにか、してやる……死んで堪るか」

 俺はあえて踊り場で立ち止まり、銃を構えて待ち受ける。

 敵は視覚情報でしかこちらの居場所を探れない。そいつは俺の先制を受けたことからも明白な事実だ。ならば、ここで迎え撃ってしまうのが最も虚を突けるだろう。

 意識を集中し、回転翼ローターが風を切って近づいてくる音を感知する。

 明らかに物理法則を無視した飛行をするくせに、その羽の回転を止めていないのは機械生命スカヴェンジャーに特有の、ある種の融通の利かなさのせい。

 羽を使って飛んでいるのではないくせに、羽があるから飛べるのだという前提は決して覆せないということ。──生き物が、肉体の機能を自ら止められないのは道理である。

 俺も同じだ。ここで自ら、死を認めることなどできるはずがなかった。

 ならば喰い合うだけだ。

 互いに餌にならない関係でも。

 これは原始の、生存闘争にほかならない。

「──換装ロード範囲殲滅弾セカンドバレット──」

 奇しくも同じく、こちらの武装もまた魔弾の類い。これは、単に電気を撃ち出す銃ではなく、奴らと同じ過去の遺物である。亡き父が遺した、数少ない形見のひとつ。

 が、定められた呪文詠唱プログラムコードに従い機能を変化させていく。

照準設定エイムセット──、」

 漆黒の銃身バレルに薄緑の魔力光が走る。

 それと同時に身を捻り、俺は踊り場から身を投げるように階下へと跳んだ。

 空中で仰向けになるような雑な身投げ。狙うは直上。

 天井の向こう──上の廊下を進んでいるのであろう敵は、羽音が位置を知らせていた。

 その居場所さえ確かにシミュレートできるなら、この魔弾は決して外れない。

 意識を集中させる。

 右眼に仮想の照準が映る。

 手に持った銃は眼球にまで回路を繋げているため、こうして集中すれば、狙いを視覚化することができた。とはいえ透視や自動照準ではなく、狙うのはあくまでも俺自身だ。

 空中での天井越し狙撃。外せば、末路は容易に想像できる。

 それでも俺は、迷うことなく引鉄を引いた。


はしれ、──《黒妖の猟犬ブラックドッグ》ッ!!」


 必殺の魔弾が征く。

 あぎとを開くはいかずちの牙。熱量を伴う浅緑の口腔が、天井をすり抜け上階を呑み込んだ。

 続けざまに轟き、混じり合う二度の爆発音。

 旧界遺物であるブラスター──《黒妖の猟犬》と銘打たれたそれが放つ弾丸は、多数の対象を同時に撃ち抜く魔術的な電撃波だ。小型機程度は、内側から一発で爆散させる。

 天井越しにそれを確認しながら、俺は背中から廊下に落ちる。

 周囲を傷つけず、狙った敵だけを爆散させる第二術式セカンドバレットは便利だが、雷撃を放つ単体攻撃用の第一術式ファーストバレットと同じく、やはり手応えに欠けていた。

「はあ……、勝った」

 小さくそう言葉にするが、安堵するのは早計だ。

 それを塗り潰すだけの窮地が、まだ目の前に続いているのだから。

 ──こんな調子で、俺は本当に生きて帰れるんだろうか。

 何度目になるかもわからない思考。気を抜けばすぐに鎌首をもたげてくる不安を、俺はかぶりを振って強引に忘れる。弱気になっても、事態は何も好転しない。

 なんのためにここまで来た?

 決まっている。自分が、英雄になれることを証明するためだ。

 その事実を忘れるな。それさえ覚えている限り、俺の心は決して折れない。


 ──お前に英雄になる資格などないのだと。

 これまでの全てを切り捨てた、あらゆるものを見返すために──。

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