9 フレデリカ -デート-

 今日はエミール君と観劇デートである。

エミール君と婚約した事を見せつけよう作戦も兼ねている。

観劇の時間まで、少し余裕があるのでショッピング街をうろつこうということになった。


 エミール君がエスコートしてくれるので、手を預けて歩く。

ちらと横で歩くエミール君を見上げると、青みがかった透明感のある髪がフワリと舞った。

陽の光を受けてキラキラと輝く。


 あぁ……こういうのが美しいと評されるのだろうな……と、門外漢な私でも理解できた。


「フレデリカさん?」

私の視線がうるさかったのだろうか。


「いや……、エミール君の髪が綺麗だなと思って」

「グっ……ッ! また不意打ちで……ッ!」

顔を赤く染めたエミール君が、顔を背け胸を押さえる。


「フレデリカさん……、あ……のっ!」


「あ!」


 前方に大きな書店が目に入った。つい思わず書店に寄りたいと言った私に、エミール君は微笑んで了承してくれる。思わず早足になりながら、書店の扉を開けると書店のインクの匂いが広がった。


いつ嗅いでも良い匂いだ。


「おぉ! クルッコス博士の新刊が出てるじゃないか」

ウキウキと本を手に取ると、パラリとページをめくる。


そのまま私はデートだということを忘れて、読み耽ることに没頭してしまったのだった……。



「フレデリカさん、そろそろ観劇の時間が迫ってますから、その本を買って向かいましょうか」

 エミール君に話しかけられて、今はデート中だったとハッと気づく。……やってしまった……。


デート中に他の事にのめり込んで、相手を疎かにしてしまうのが大変失礼なことだと私でもわかる。また、自分のことばかりではないか。今日はエミール君の事を尊重しようと思ってたのに。昔、マナーの授業で魔法力学の事をつい考えて、疎かになった事を叱責されたのを思い出した。


「……ごめんなさい」

「ん?何がですか?」

「本を読んでしまって……エミール君を放って置いてしまった……」

つい少しだけ、それがいけなかったのだ。本屋に寄ってしまったのが良く無かった。しゅん……と自省していると


「ははは…っ! 大丈夫ですよ。フレデリカさんの事はわかっていますから。それに、そんなフレデリカさんも大好きですよ?」

「そうなのか? 怒らないのか?」

「ええ。元々、フレデリカさんが魔法力学の話を嬉々として話してるのを見て、好きになったんですから。」


 こんな私も好きだと言ってくれるのか……。


「あと、僕も隣のギフス博士の論文が載ってる雑誌を……」

「なに! ギフス博士の論文だと! よし、それも買おう。」


 ルンルンとお会計を済ませて、本を受け取るとエミール君が「持ちますよ」と言って、私からサラッと奪った。そうか、今日は従者がいないからエミール君が持つのか……。誰かと出かけたことが無いからわからなかった。護衛が離れてついてきてるとは思うが。



 程なく進むと、大きくて豪華な劇場が見えてきた。劇場に訪れるのは初めてである。勝手がわからずキョロキョロしていると、エミール君がササっと手続きをすませ二階にあるボックス席に向かう。


「エミール君は、過去にこういった場所に何回か来たことあるのか?」

素直に思った事を、扇を開いて口元を隠しながら問いかける。人目があるから、淑女ぶりっ子を忘れない。


「昔、兄と兄の婚約者の家族と来ましたね。それは、ヴィーヘルト公国にいた時ですけど」

「普通は、家族でも来るものなんだな……。周りを見ると恋人同士以外に、女性同士、家族もチラホラと見えるものな」


 ふぅむ……と感心していると、ただ座ってエミール君と話しているだけで、チラチラと周りの視線を感じる。


「ん……? 何だか私たち見られてないか?」

「そうですね……。この席は大体高位貴族が座る場所ですし、フレデリカさんの美しい濃紫の髪色を見て、噂のローレンツ侯爵令嬢と推測されているのでしょう」


「座る場所で、出自がわかるものだったのだな。はぁ……私はプログラムされた貴族令嬢を演じる事は出来ると思うのだが、与えられた任務をこなしていただけで、理解してはなかったし、する気も無かったな……」

「フレデリカさんは、それで良いんですよ。そういう所が好きなんですから」



「明日には噂がまわるでしょうから、仲良さげに見せつけておきましょうか」

 エミール君はニコリと微笑むと、私の腰に手を回してグッと引き寄せた。


「なるほど、隣でも肩と肩の距離を近づけると、遠目でも仲が良さそうに見えるものな!」

 しきりに関心をしていたが、エミール君はそのまま私の腰に手を置いたままだった。少しくすぐったく感じて、エミール君を見上げたがニコリと微笑まれてしまった。



 開演の時間になったらしく、ベルが鳴り徐々に明かりが落ちて暗くなる。

劇が始まってしばらく経つと、腰に回された手が力を込められもっと引き寄せられ、密着する形になった。エミール君の体温の暖かみをダイレクトに感じる。


「エ、エミール君……!」


少し焦って小声で問いかけると、すぐ側に顔があってビックリしてしまう。


「嫌ですか?」

「そうじゃないが……」

「なら、いいですよね?」

「う……うん」


どうしたのだろう? いつものエミール君とは違って見える気がする。


触れ合った肩や腰が熱く感じる。

何やら少しムズムズする……。

なんだろう……?


劇を見ているのだが、何も内容が頭に入ってこない。


「エ、エミール君……こういった事は二人の時にするのではないか?」

「暗くて他の席からは、見えないから大丈夫ですよ」


耳元で囁かれてゾワゾワする。

少し逃げたくなって離れようとしたが、今度はがっしりと肩をつかまれ、より密着してしまう。


まわりの席を見渡すと、確かに暗くて席の様子は窺い知る事は出来ない。


「ほら、見えないでしょう?」

エミール君の低音が耳に響く……!

その度に、首まで音が伝わるのかジンジンして体が硬くなってしまう。


「ん? どうしました?」

「み……耳が……っ! 少し……離れてくれ……ないかっ!?」

「耳が弱いんですね?」

コクコクと頷くと


「少し、我慢してください。それと、今脈拍を測ってみてください」

言われた通りに、自身の脈拍を測ってみると、通常時よりかなり速く進む。


凄い……!


「どうでした?」

「は、はやかった……! 私は、もう好きになってきたのか……?」

耳元の声を我慢しながら、私もエミール君の耳元で返事をする。


「……っ!」

エミール君が堪えたような声を出すと、再び耳元で話しかけて来た。



「僕の声は……好きですか?」

「え……わから……ない」

「もう一度、ちゃんと聞いてください。好きですか?」


 落ち着いて艶やかな声色をしている。

鼓膜に響く低音が体の芯までビリビリ痺れるようだ。声に集中しようとすると、力が入ってるのに力が抜けてしまうような……不思議な感覚に襲われる。


「う……」

好きか嫌いかと言われたら、好ましい部類に入るだろう。


「その反応は、好き……ですよね?」

さっきから声を聞くたびにドキドキしてしまうから、これが好きなのかもしれない……! エミール君と触れ合ってる場所がより熱を持って、鼓動もバクバクとしたものに変化してきてしまった。


「好……き……かも……な」

 何だか答えるのが恥ずかしい……!思わず、キュっと目を閉じて、消えいるような声で答える。暫くしてから目を開けると、エミール君は、舞台の青い光に照らされて切なげと恍惚が入り混じった表情で私を見つめていた。


「フレデリカさん……大好きです」

 湿度がこもった声色で耳元で囁いた後、そのまま唇を移動させ、首元に吸い付いた。エミール君の唇が熱くて頭がボーッとしてしまう。


甘い痺れに耐えていると、首元にチリっと言う痛みを感じて我に返った。

なぜか、すごくすごく恥ずかしく感じられて、私は終始俯いたままだった。



✳︎ ✳︎ ✳︎



 劇が終了して館内に灯りが戻ってきたが、エミール君の顔をなぜか直視出来なかった。


「私……! パウダールームに行ってくるな……!」


 足早にパウダールームまで行って、鏡で自分を見ると、赤い顔をしていた。そして泣きそうな……初めて見る情けない顔をしていた。 エミール君に吸われた首は、赤い印が付いていた。


 劇場から出ると、外は日が落ちかけており街灯がポツポツと灯り始めていた。

「外に出ると、暗くなってるから一瞬ビックリするな。劇場の中にいると、時が止まったかのように感じているから」

「そうですね、これからディナーでもどうかと思うのですが……」

 エミール君の声を聴くと、ビクッと少し意識してしまう。こんな声だっただろうか? そして、エミール君の顔はまだ見れない。


「フレデリカさん?」

「あ……いや、少し疲れたようだから……今日は、帰ろうと……思う」

「……そうですか、では馬車を呼びますね」


 なぜ、自分は今嘘を咄嗟についてしまったんだろう……。今度は罪悪感でエミール君を見れなくなっていた。

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