ちゃらがき

しらす

黒い影

 怒号と共に剣を打ち合う音が、どれだけ響いた頃だろうか。

 不意に辺りがすっと静かになって、目の前に真っ黒な人影が現れた。

 一体何が起きたのかと目を瞠る私の横で、かちゃりと鎧の軋む音がした。振り向くと、ずっと私を守るように戦っていた男が、同じように動きを止めていた。


「何でしょうか、あれは……」

「分からない」

 黒い人影が見えているのは、私と彼だけのようだ。ここは戦場の中心だが、周囲を見回せば、他の者たちは人形のように武器を振るう形のまま動きを止めている。


 と、黒い男が指をこちらに向けた。


「あっ……」

 途端に、隣に立っていた男が小さく声を上げて胸を押さえ、どさりと地面に崩れ落ちた。

「ラン」

 短く、彼の名を呼ぶ。ほんの一瞬の出来事だった。だがその一瞬で、彼の生命は絶たれたのだと悟った。


「私はお前の望みを叶える者。お前が私を呼んだのだ」

「私が呼んだ? 何のために」

「誰もが幸福に生きられる楽園を。お前が望んだその未来を、その男の命を代償に叶えよう」

 黒い影はそう言うと、地面に倒れたランを指差した。


 私は倒れたランに視線を戻した。その背中にのしかかったものを、己の中で反芻する。


 ずっと望んできた事だ。生まれながらに戦場に立つことを望まれた私が、ただ一つ、その運命から逃れたいがために、望み続けてきた事だ。

 どれほど血を流して来たか分からぬ、両手を見つめる度に思ってきた。

 叶うのならば。本当にそれが叶うのならば。私はこの苦しみから。


「そんなものは、無い!」

 心の中から𠮟咤の声がした。それが同時に己の口をついて出て来たことに、私は驚いた。


「無いのだ、そんなものは。どんな代償を支払おうと、たとえ叶う事があろうと、それは一瞬のことだ。人はうつろう。人はそれぞれに望みを抱く。全ての願いなど叶いはしない」

「ならばどうする? 己以外の全てを絶つか?」

 黒い影がせせら笑う。これは私の弱さそのものだ、と気づいた。


 私は腹に力を込めて、その影を睨み返した。

 私の苦しみは一生終わらないのかも知れない。だが、それでも望みは絶たれていない。


「彼を返せ。私の望みはそれだけだ。お前には何も変えられない、変えられるのは彼だけだ」

「それが答えか。よかろう」

 黒い影はランを指差した。けほっ、と一つ咳をして、ランは飛び起きるように立ち上がった。

 彼は驚いた顔でこちらを見ると、私の肩を掴んだ。


「なぜ」

「なぜでも」

 首を横に振る。音が急速に戻って来る。止まっていた剣戟が再開される。


 呆れたように小さく溜息をつき、ランは少しだけ微笑んだ。

 そしてすぐさま、再び剣を構えて私の横に立った。

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