33話 蜂の居場所①

 二人のこと、そして笛吹のことを考えていたら足が重たくなってしまい、家に着くころには外はだいぶ暗くなってしまっていた。——笛吹の分も夕飯を作らなくてはいけないというのにやらかしてしまった。今頃お腹を空かせてしまっているだろうか。そんな心配をしつつ玄関のカギを回した。

 

「ただい……ま」

「お、おかえりなさい」

 

 玄関を開けるとそこにはエプロン姿の笛吹が立っていた。髪はポニーテールにまとめられていて一瞬別人が現われたのかと思ってしまった。どうしたのかと聞くまでもなく料理中だったのは明らかだった。ただ今はそれ以上に彼女のその新鮮な容貌に目を奪われていた。


「………」

「あの、無言で凝視されると恥ずかしいんですが」

「ああっ! ごめん、つい……」

「ぷふっ、とりあえず入ろ」


 上機嫌な笛吹の後に続くと、ダイニングテーブルには既に夕食が並んでいた。それは少し不格好だがとてもいい香りのするオムライスだった。


「ごめん……帰りが遅かったから作ってくれたの?」

「ううん、今日は元々私が作ろうって決めてた。昨日考えたんだ。私が料理できるようになれば結城くんの負担がちょっとでも減らせないかなって……あ! 先生にも許可取ったし、雫さんにも練習付き合って貰ったから味は問題ない、はず! やっぱり迷惑だった、かな……?」


 恥ずかしそうに口もとを覆い隠すその手には絆創膏が巻いてあった。そこまでして俺なんかのことを思って何かをしてくれようとしてくれるその心遣いが本当に嬉しかった。嬉しい、はずなのに何故だか俺の心はぐちゃぐちゃになってしまってボロボロと大粒の涙が目から零れ出してしまう。

 涙の理由は分からない。だがとっ散らかった頭にはさっきの二人と笛吹のことが浮かんでいる。——ついさっき天道・蝶野二人の話を聞いて過去の笛吹の苦しみを改めて想った。そして過去を反省しながらも歩み寄れず、俺に笛吹の幸せを託す彼らの辛さも責任も受け取ってしまった。そして笛吹自身の、うちで過ごす未来を真剣に考えて俺を想って行動してくれるその姿に愛おしさを感じた。全部俺なんかに受け止められるキャパをとっくに超えていた。感情の洪水だ。

 気が付けば俺は一日中笛吹のことばかり考えている。このオムライスはそれが一方通行の想いではないと教えてくれているように見えた。


「ご、ごめん……これは、その嬉しすぎて! 嬉し泣きで……ッ!」


 涙が止まらずにそんな苦し紛れの言い訳をする俺を笛吹は優しく抱きしめた。酔芙蓉の優しい香りがふわっと鼻を通る。


「結城くん、家でも学校でもずっと気を張ってるよね。私の前では、そんなに頑張らなくてもいいんだよ。結城くんが背負ってるものほんの少しでいいから私にも貸して欲しいな」


 耳元で優しく囁かれる言葉。それは俺が子どもの頃からずっとずっと心の奥底で欲しがっていたもの。親でも親戚でもなく、同じ高さの場所から俺のことを理解して救ってくれるそんな言葉。俺が勝手に引いた他人との境界線の中に入ってきて一緒に居てくれる人。

 気づけば俺は縋りつくように笛吹を抱きしめて泣いていた。力加減はちゃんと出来ているだろうか。この細い体をぽっきりと折ってしまわないだろうかと何処か他人事のように考えていた。笛吹は俺が落ち着くまで「大丈夫、大丈夫だよ」と頭を撫でていてくれた。

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