22話 花に雫①
九時半ごろ、先生の言った通りの時刻に二階から結城くんのお母さん——下の名前、『雫』さんと呼ぶように頼まれたのを忘れていた——が起き出す音が聞こえてきた。脊髄反射的に身を強張らせてしまう。昨日の印象として、雫さんは他の二人に比べるとテンションが高く、常に明るくニコニコ笑っていたがその分本音が読めないというか、その明るさがかえって心の根が読めなかった。
——昨日は家族の手前私を歓迎するふりをしているだけだったら……本当は部外者でよそ者で花人の私を追い出そうとしていたら……。
考えすぎだと分かっていながら、どうしてもそんな心配が絶えず沸いて出て頭を支配していた。鳥肌が背中や腕に走る。私はこの人に明確に存在を承認されたわけではないのだ。
事実、大人たちの方が花人への差別意識は強い。特に還暦を過ぎた年齢の人達は、花人が人間として扱われていなかった時代に生まれたからか、未だにその考えを持っている傾向がある。雫さんは見た目こそ二十代後半だが、高校生の息子が居ることを考えると……四十代くらいだろうか。古い考えの名残を持っていても何もおかしくない歳だ。それくらいの年齢の人は他の目があるとあからさまな態度を取らないことも多かった。
改めて思い返すとあんなに底抜けに明るい人なんて存在するのだろうか? 少なくとも自分の親とは真逆だし、あんな大人は見たことが無かった。まさか演技……? 結城くんもあんなに明るいのは珍しいと言っていた。
どれだけ不安要素を並べても意味はないと分かっているのにどうしても考えることを止められない。これは成長の過程で学習した自己防衛の一種だ。少しでも不安が浮かんだらそこには、その人にはできるだけ近づかない。学校のようにどうしても行かなくてはならない場所ならなるべく目立たないように、そして自分を殺して無いもののような存在になる。——しかし、今の状況には過去の学びたちは無力であった。
一定のペースで階段を下りる音が聞こえてくる。もうどこにも逃れようはない。
——とにかくリビングに入って、私を見たときの反応次第だ。
その判断の先でどうするか、などは考える余裕は無かった。やはり受け身で状況に流されるしかない。
足音がリビングの前まできた。レバー式のドアノブが下がり、ドアが開く。
「………」
「あら彪香ちゃん、もう起きてたの~! 大丈夫? ちゃんと寝れた? あらッ! 昨日よりちょっとお花元気になったんじゃない? 私はサキちゃんみたいに専門的なことはわかんないけどきっと良いことよね、体調はどう? どこか痛かったりしんどかったら寝てていいからね」
「あぅ、えっと、ああ……はい。あ、ありがとうございます。大丈夫です、元気です……はい」
雫さんは昨日と全く変わらなかった。本当に私の長々とした心配はただの杞憂に終わったと見ていいのだろうか。朝一番で出る声量と肺活量とは思えない。喋りながらの身振り手振りすら騒がしい。——世の中にはこんな人もいるのか。この人がママをやっているスナック、人気なんだろうな。そんな少し失礼な感想がまず浮かんだ。
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