4話 麗しの敏腕貴公子

「やっと戻ってきた。伯爵様がもういらしているわ。早く早く」


 約束の時間を過ぎてしまい屋敷に戻ったら怒られると覚悟したが、件の伯爵が御出でになったことで、叱ることなども忘れたのだろうか、私の背を押して来賓室にへと連れていかれる。


「伯爵様お待たせしまして申し訳ございません」

「ちょうどお茶をいただいたばかりです奥様。私ごときに南方の希少なお茶をお出しいただき感謝申し上げます」


 ティーカップを置いてオブライエン伯爵が一礼した。

 さっき私がアトリエで引いた身長よりも高く、アトリエの梁に届きそうなほどの高身長。清潔感のある黒髪とその髪に劣らないほどの漆黒の瞳。絵空の夜に使う黒絵具より濃厚な黒、黒は何色にも混ざらない独自の色。それゆえに使う場所に注意する必要のある色で、使いこなせば惹きつけられる。彼の瞳にはそれほどの引力がある。


 お母様から聞いた話では、年は二十二と伯爵の爵位持ちにしてはかなり若い、将来有望の人間とあればうち以外の貴族にも見合いの話があってもいいはずだけど、なぜか私との見合いが初めてというのが驚きだ。


「お初にお目にかかります。オブライエン伯爵様、こちらが私の娘のヴィルシーナでございます。数ある花嫁の中でうちの娘をお選びいただき大変光栄で」

「ヴァイオレット男爵領と言えば農産物の評判がよく、最近生産されたトマトは果物のような甘さがあると今度うちの商会でも扱いたく……っと今日の目的は商売ではありませんでした。どうも緊張して」

「まあまあ、初々しいですわ。うちのヴィヴィも初めてですから安心なさって」


 ほほほとお母様がオブライエン様の冗談に口元を押さえて笑う。

 初めてだから安心してって、皮肉なのかな。

 今までの人生で色恋沙汰とは無縁ではあった。というより年の近い男性と出会う縁自体がなかったというのが正しい、屋敷に往来してくる男性と言えば初老の教育係に農産物を買い付けに来た商人ぐらいで、オブライエン様のような若くて顔の良い男性とは初めてだ。

 ここまで男性との交流を避けたのはお母様の方針で若くから色恋に現を抜かさないようにと配慮の上だった。けど姉様はそんなもの恋愛の障害にしか見ておらず、見つからないようこっそりと男性と逢引、あっという間に婚姻に至ってしまった。一方の私はといえば、恋愛に興味がまったくなくおじい様にべったりで、その影響で絵に夢中になっていた。だからオブライエン様にどんなことを話せばよいのかさっぱりであった。とりあえずこの場はお母様に任せればいいか。


「じゃあお母さん少し席を外すから」

「え!? あの、お母さん」


 私の言葉も虚しく「ごゆっくり」とお母様は扉を閉じてしまった。

 来賓室に静寂が訪れる。静けさに耐えられず、置かれていたティーカップの縁に指をかけようとすると、爪が触れ、音が響く。物寂しさに拍車がかかり何か話のネタを出さないとと思索するが、まるで出てこず。話のネタがない自分に情けなくなる。


「ヴィルシーナ嬢は絵がご趣味なのですか」

「え?」

「手の甲に絵具の跡があったので、そういえば、ヴァイオレット家は有名絵師のオルファンのご実家でしたね」


 オブライエン様が左の手の甲に指でトントンと叩いたので、自分の手を見ると緑の絵の具のあとがついていた。さっきアトリエで身長を計っていた時にうっかりついてしまったのかも。


「ええ、少しおじい様のものまねで」


 せっかく出された助け舟にあまり乗り気ではなかった。お母様からよく絵の話をしないようにと注意されていた――詳しすぎるから。

 以前侯爵様と同じく直接絵を買いに来た方が、絵の話をしたとき思わず私が今流行りの絵の傾向やら、首都で催された展覧会の話をしたら相手の方が真っ青になって引いてしまい、そそくさと帰ってしまった。自分では気づかなかったが、隣で聞いていたお母様曰く津波が押し寄せるようだったらしい。自分にそんな悪癖があったなんて、それを聞いた姉様は手紙で「私は男に足を運ぶけど、ヴィヴィは絵に足を運ぶ」と皮肉を込めた手紙を送り付けた。

 以後、絵の話は口にしないようにしていたのだが、自分の悪癖を露呈しては家の名誉も見合いも台無しになってしまう。私は言葉をぼかしてそれ以上のことは何も言わないよう噤んだ。


「この間の王都の展覧会はご覧になられましたか。おじい様のや新進気鋭のエドワード氏も飾られていた」

「もしかして、グラード商会主催の展覧会ですか! 羨ましいっ。失礼しました」

「相当な絵画好きだ。どうぞ続けてください、共通の趣味を持つ人ととの話しは楽しいものです」


 思わず声をあげてしまい、自分の悪癖を露出したことに恥ずかしくなって縮こまった。エドワードといえば今流行りの印象派に連なる絵を描くが、材料が絵筆ではなく鉛筆で描くというこれまでなかった描き方で注目を集めている。おじい様も絵の趣向であれば印象派であるが、特に言及されることは少ない。

 グラード商会の展覧会では印象派に類する絵師たちの絵画が集うということで私も行きたかったのだが、その時見合いの準備に手を取られて展覧会に赴くことができなかった。


「エドワードさんの絵は、絵の世界では禁忌とされる黒単色しかでない鉛筆を使っているのに、生き生きとした様子が描けているのが驚きで」

「それを世間の人たちに認めた画力があるってことだな。しかし今回の展示は印象派の作品が占めていましたのがな。印象派が最近流行とはいえ、そればかりだとお腹いっぱいで」

「大きい展覧会ですと主催者側の意向が左右されますから。グラード商会は最近印象派びいきのパトロンが多いと聞きますし。小さな画廊でしたらその画廊の店主の好みで飾られるので面白いのですが」

「ほう画廊だとそんな特徴が。顧客の付き添いで商会主催のばかりでしたが、画廊の方も今度見に行く方がいいかもしれないな」


 目尻にしわを寄せて伯爵の眼がまっすぐ私に向けられる。今までこの話題をするだけで「ああっ、そうなんだ」や「へえ」などの相槌が返される程度だったが、こんなにきちんと返答できる人は初めてだ。伯爵様は絵のことに理解がある。もしかしたら伯爵様になら。


「あの、伯爵様も絵をお買いになりますのでしょうか」

「ええ、時々。もっともオルファンいえ、お祖父様の絵はとてもとても手が出せませんが」

「それは私も懸念しておりまして、高値で売買されては欲しい人の手に届かないことも……ところでオブライエン様は絵の販売にご興味は」

「……もしや上の空だったのは、祖父様の絵が売れてないということでしょうか」

「そうではなく、実は……絵は今まで懇意にしているプライマリーに卸していて、絵の管理は当家が受け持っているのですが、内実は私が管理をしているんです」

「ほう、君が。この屋敷に飾られている絵に統一感もテーマもなかったが、君が取り仕切っていたのなら合点がいくな」


 お母様の美術に対する無関心さは屋敷の絵画にも影響している。絵を飾るのは貴族ステータスであるからとバイヤーに言われるがまま購入したが、絵のバランスなども考慮せずちぐはぐに飾っていて、ずっとモヤモヤしている。


「ですが私が結婚しましたら、管理者がいなくなるためアトリエを解体して、残っているおじい様の絵を全て売らなければならないんです」

「全部だと!」


 ビクッと体が小さく震えた。今までの紳士な対応をしていたオブライエン伯爵が突然、声をあげてテーブルを両手で勢いよく叩きつけたのだ。態度の急変に驚き縮こまったのを見てか、オブライエン様は謝罪の一礼をした。


「失礼。全部となると相当な点数が市場に流れるが、売るとなるのならオークション形式になるのか」

「まだわかりませんが、お母様はオークション式の方が高値で売れると乗り気で」

「オークションは危険だ。オークションを行うのは相応の身分の者が入れるように主催者が入場を制限する。出所不明の怪しい金の資金洗浄のために使われることもある」


 そういうことも考えられるのか! 絵の価値や管理のことばかりの心配をしていたが、その危険性を知らないでいた。


「貴方はそのことを良しとしないでしょう」

「もちろん。おじい様の絵がそんな人たちの手に渡るなんて考えたくもない!……です。それにおじい様との思い出のアトリエも残したいです」


 私もオブライエン様の熱気に当てられたのか、地が少し出てしまい、最後に訂正した。


「では一つご条件を。貴女と結婚したら、絵の管理をアトリエごと私に任せてもらえませんか」

「アトリエもですか」

「もちろん。汚らしいマネーゲームをするような真似はさせません。適正なお値段でお売りすることを誓いましょう」


 アトリエも守ってもらえるのは願ったり叶ったりである。しかし高騰化しているオルファンの絵を適正価格で売るなんて、そんな手法が可能であるのか。


「わかりましたお受けします。絵の高騰化を助けになるのでしたら、それで。ですが、そんな売り方ができるのか、先にその手腕をお見せいただけますか」

「いいですとも。私のフィアンセ」

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