みちるの口

久遠怜央奈

第1話 閉鎖病棟にて

「ねぇ、私を触りたい?指入れるだけなら千円」

「しゃぶってほしいなら、二千円でいいよ」


 長く暗い廊下を”非常口”の灯りだけが照らしている。

そのずっと奥の方から、みちるの声が漏れ聞こえてくる。


 ここは大抵の人が恐ろしく感じる精神科病院の閉鎖病棟。

このフロアだけでも100人以上の患者が閉じこもっている。

みんなが同じ病ではない。

様々な精神疾患患者がひしめき合う様に、時には攻撃しあっては

看護師達が行動を制したりされながらも寄り添うように日々を送る。


 麻衣子は初めての入院で緊張していたが、

入院当日に隔離室に入れられた。

その環境が普段の生活から遠すぎて、緊張どころか囚人になった気分で

背伸びしても届かない窓の光の下で膝から崩れ落ちた。


 隔離室には扉のないトイレと、

カバーのないせんべい布団。

天井には監視カメラとスピーカー。

鉄の扉と鉄格子の向こうは、廊下が見えるだけで何も無い。


 なんて所に来てしまったんだろう......

全ては自殺防止のためだったが、

どうしてこうなってしまったんだろうと、麻衣子は泣いた。

隔離室を出たら、みちるという恐ろしい女と会う事はまだ気づかずにいるのだが。


 みちるはその頃、男性患者へのご奉仕の真っ最中だ。

精神を病んでるから格安の性サービスをしているのではない。

みちるには、みちるなりの理由があるのだ。

しかも男性患者と言っても20代の若い子から70代のおじいちゃんまで......

性という欲求は果てしなくて困ったものだ。


 みちるは、はっきりした顔立ちで瞳が大きく、魅力的な女性。

身長は158cmくらいで、体重は60kgほど。

足首は締まっていて食べ過ぎで、おなかだけがでているといった体系だった。

毎朝バッチリ化粧をし、アイラインは漆黒で太く描いている。

人見知りもなく、新しい患者にでも馴れ馴れしいくらいに話しかける。


 でもその目的は”新しい標的”探しだ。

男性には性的サービスを、女性にはいわゆる”お布施”を

後々要求するためだった。病院での過ごし方や参考になる情報、

どうすれば少しでも早く退院を認められるか等、精神科病院に慣れていない人にとっては本当にありがたい情報になる。

そうしてみんなが、みちると仲良くし始めるのだ。

その内だんだんと、

「それ、いいなぁ。ちょうだい!」

と私物などを取り、

「マヨネーズ持ってるんだね、差入れ?貸して!」

と朝食の食パンにこれでもか、というほど絞り出す。

取られた女の子は半泣きだ。

夜10時頃になると色んな病室を訪ね歩く。

「カップラーメン持ってない?おなか空いて眠れないの」

毎晩の事だが、優しい人を嗅ぎ分ける能力には閉口する。

「ありがとう!明日お返しするからね」

翌日のお返しは、かりんとう5本だったりするのがまた笑える。


 こういったみちるの日常。

食欲・性欲・金......もう一つ彼女の欲しいものは、

みんなに注目されたい、好かれたいという感情のようだ。

毎日、出勤のシフト確認をして男性看護師に手紙を書く。

好みの男性看護師は勿論の事、さえない男性看護師にも手紙を書くのは、

困った時に特別扱いしてもらうため熱烈な手紙を渡す。


 「いつもお仕事頑張ってくれている姿がとても素敵です。

  結婚していないなんて奇跡!私が奥さんになりたいくらい!」

こんなふうだ。イケメン看護師達はすぐにシュレッダーにかけるのだけど、そうじゃない人はそっとポケットに忍ばせている。

看護師として一生懸命働く男性も、その様子を見ていると哀れに思うこともある。

仕方ないじゃん、男だもの。しかも精神科病院で働いて10年とか経つと、患者に慣れてしまったりもする。

真面目な人だと尚更だ。


 隔離室に一週間入れられた麻衣子はやっと個室の病室に移ることが出来た。

病棟内は何か嫌な臭いがした。

普通に元気に会話して笑っているグループもいるし、どうも様子が変な雰囲気をかもし出している人や、ただボーっとしている人、ひとりごとをずっと話している人......様々だった。


 何か怖い......と思いながら、おそるおそる出口に一番近い端の椅子に座ってみた。

すぐに元気なグループの30代の男性が声をかけてきた。

「今日入院してきたの?嫌じゃなかったらこっちでみんなと話そうよ」

にっこりとほほ笑んだ彼は、どこが悪いんだろう?と思うほど普通だ。

麻衣子は

「こんにちは、麻衣子と言います」

と軽い挨拶をした。

「今日から入院?」

と麻衣子の少し年上らしき女性が質問した。

「隔離室に一週間入ってて、今日出てきました」

なぜかみんな爆笑している。

「一週間も?ウケる~!しんどかったね、それは」

本当だ、笑いごとじゃないくらい辛かったのだから。


 ブラは自殺防止のため外す、歯磨きは紙コップに水を入れて磨き、ドアの無いトイレでうがい。洗顔は紙のおしぼりだった。

食事は段ボールで作ったテーブルで。これも暴れてケガしたりしないためらしい。

何もかも初めてだから、びっくりしっぱなしだった。


 そうしてこの後、麻衣子はみちると出会うこととなる。

考え方は真面目な麻衣子、本心がどこにあるかも分からないみちる。

二人が交わり、どんなことが起きるのか......周りのみんなもワクワクしているとも二人は知らない。









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