第三話

「お前がなぜここに?!」

 俺が謁見の間に入ると父上が思わずといった様子で声をかけてきた。

 俺はそれに応えようとすると、大久保殿がやんわり遮る。


「たまたま屋敷で迷子になっていた時に、間違えて開けた部屋にいらしたのを私が連れてきたのですよ。聞けば頼元殿のご兄弟とのこと。晴れの場にご兄弟が列席できないのは、お可哀想ゆえお連れした次第」


 そう言われてしまうと父上も否定する事などできようはずもなく不満げに押し黙った。反論したくとも向こうは正論。全く反論のとっかかりが得られずでは黙るしかあるまい。


 そもそも政治の中枢で幕府のトップともいうべき老中にいられるような怪物とまともに舌戦したところで勝てるのは、同じ老中くらいなものだろう。権力と金の渦巻く政治の世界の一番濃いところで生きて来れるのは、普通の人間では無理なことだ。息をし続けることさえ難しそうに思える。

 父上も大藩の藩主として政治に携わっているが、幕府の老中相手では荷が重かろう。現に返しの一言も発せられないほど、言葉で叩きのめされた。


「綱吉様、お待たせしました。全員が揃ったようです」

「うむ。今日はめでたい。新たな徳川一門の門出じゃ。頼職殿は徳川一門として世のため働いてもらわねばならぬ。小さいながらも領主として組織の頂点に立つのは大変なことだが、頑張ってほしい」


 兄、頼職は、かわいそうなくらい緊張でガチガチになりながら平伏する。碌に口上も述べられないほどに緊張しているようだ。本来なら形式通りお礼を言上せねばならない。

 しかし内容は公務でも場所は紀州藩邸。無礼だ何だと騒ぐ奴はここには居なかった。もしやこれを見越して藩邸で執り行ったのではなかろうかと考えてしまう。

 そういう場では、将軍綱吉様は無責任に発言できてしまうだけタチが悪いのも事実だ。


 綱吉様は将軍としての評判がハッキリ分かれる方で暗愚と言われたり、大層お優しい名君と評判だったりする。俺からするとどちらも間違っていないような印象を受ける。江戸城育ちで生まれながらに将軍になることが決まっている人生だ。それこそ大奥で蝶よ花よと育てられ当然のように将軍の席に座っている。

 将軍という重責を担うものながら、気ままに自分の意志を発する事もある。むしろそれは珍しいことではないようだ。それは、自分の意志を発するということがどういうことかわかっていない事に起因するのだろう。自分の意志が周囲の重臣だけでなく、末端の武士に至るまで将軍の言葉に振り回される事になるのだ。


 飯がまずいと言えば、台所頭の首が飛ぶし、魚の骨が口に入ったと言えば毒見役の武士の首が飛ぶ。本来、将軍は自分の気持ちを話すべきではないと言われるほど影響力だけある。権力は無いから、無責任に発言できる状況は薬にも毒にもなりかねない。

 良い方に転べば思いもしない結末へ、悪い方に転べば傍迷惑なおせっかい、どちらにせよ何もしないでくれた方が平和なのだが。


「そう固くなるな。私的な訪問であるぞ」

「綱吉様、さすがに綱吉様のご尊顔を拝し緊張せずにはいられましょうや。ほら、そちらの弟君も緊張している様子」


 大久保殿はいきなりこちらに話を振ってきた。無関係だと思っていたから、緊張のカケラも無いのだが、兄上のフォローに使われてしまったようだ。さっきから大久保殿の言葉には含みがありすぎて、額面通りに受け取れずに恐ろしい。何にせよ立場も違うので、綱吉様と老中方の会話に入ることなどできない。


「おお、そうか。我らは親戚同士なのだから緊張せず良いものを。それより頼職殿には弟がおったのか。そちとは会ったことがあったかの」


「覚えておいででしょうか。昨年の元服の際にお二人でお目見えなさいましたな」

「おお、おお。覚えておるとも。今日は兄上の晴れの舞台。祝いに弟も駆けつけるとは兄弟仲が良くて何よりじゃ」


「そうですな。しかし困った事に頼方殿は元服しても部屋住の身分にござる」

「それはいかんな。長男以外は兄弟に差をつけるのもいかんが、徳川の世のため一門衆は働いてもらわねばな」

「良いお考えですな。では、同様に頼方殿にも領地を下されてはいかがでしょうや」


「今日の本題はそれであったの。頼職、天領より三万石を与える。よく治めよ。頼方もどこかの天領より三万石授けよう。お互い新人の領主として仲良く治めてくれ」

「光貞殿もそれでよろしいかな?」

「上様のご厚情ありがたくお受けいたします」

「よいよい、光貞殿は子が多くて羨ましい。それの祝いのようなものじゃ」


 こんな風に皆の考えと相違して俺は領地持ちとなる事になった。

 ある人物にとっては予定なのかもしれない。


 まったく朝の状況とは正反対の状況となったもんだ。父上や江戸家老は俺を控えの間に押し込んで、いない事にしようとしてたのだから、今回のことは予想外であっただろう。

 父上達の考えとは裏腹に領地持ちとなってしまった俺にどのように思われているのだろうか。領地持ちという響きの嬉しさ反面、そこが気になって仕方なかった。



 ◇◇◇

「将軍位争いが落ち着くまで、あやつには隠れていてもらいたかったのだがな」

「老中の大久保殿が口を挟んできた以上、どうにもなりますまい」


「あの方は何をお考えで、頼方を引っ張り出してきたのやら」

「老中方のお考えなど考えるだけ無駄にございましょう。幕府の中枢など妖怪達の住まう場所のようなもの」


「確かにな。あやつには苦労をかけたから生臭い世界とは無縁に生きて欲しかったというに」

「尾張の対抗馬には綱教様もいれば頼職様もいらっしゃいます。なぜ頼方様まで」


「幕閣の考えることなど分からんわ」

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