柊 春香の章

怪異 弁当くれに安寧を

 ざわり、ざわり。

 ざわり、ざわり。


 今日も学校での一日が終わる。当たり障りのない一日が終わる。

 教室では終礼後の雑談をする女子や、部活へ向かう男子やらの喧騒で賑やかだ。

 しかし、今日の授業も疲れた。ぐでーと机に突っ伏して、授業で疲れ切った体と脳を休ませている。

 私は柊春香(ひいらぎ はるか)。東雷同高校(ひがしらいどうこうこう)の二年生。

 この学校は進学校なのだが、そこまで風紀やらは厳しくない、いたって普通の高校……だろう。この学校以外は知らないが。


「春香、今日も今日とでぐでーとしてるね」


 そう話しかけてきたのは、私の友人の加藤優香(かとう ゆうか)。一見、文学少女じみた見た目の可愛らしい同級生。


「あ、優香ー。今日も疲れたよ」

「あはは。今日の体育の授業はきつかったものね」


 そう言いながら、私の前の椅子に座る彼女が持っているのはとてもオカルトじみたタイトルが書かれた、とても分厚い本。

 彼女は可愛らしい見た目にアニメじみた声、話していても黙っていても絵になるのだが、一点だけ困った所がある。


「ところで春香。この間Rainした……」

「あー、パス」


 ホラーじみたことが大好きだという所だ。そして、それを私に布教しまくってくる。

 まあ、私もハードカバーしか読んでいなかった彼女にライトノベルを布教したから、お相子?なのかもしれないが。

 そんな彼女は最近、私にこの学校の裏にある池の怪異……らしき現象を一緒に見にいこうと誘ってきているのだ。

 優香は中学からの大親友と言って良い。だけど、オカルトな趣味に付き合うほど私は酔狂ではない。

 そんなわけで短く拒否しておいたのだが、彼女は唇を突き出し、むー……と納得いきかねる表情をした後。


「むー、わかった。一人で行く」


 なんて言うではないか。びっくりして正気か聞き返す。


「ちょっと、一人で行くって正気?」

「うん。せっかくこんな身近にホラーみたいなことがあるかもしれないんだよ? 絶対行くべきだと思うんだ」

「まったく……分かったよ。私も行く」

「本当? ありがとう」


 この娘は全く……夜の女の子の一人歩きが危険だとわからないのだろうか。

 彼女は言い出したら聞かないのは変わってほしいが変わらない。仕方がないので、私の方が折れていっしょに行くことにした。

 何事も起こりませんように。そう願いながら。


 夜に出歩くのを心配する親を説得するのに手間取ったが、何とか説き伏せて学校の近くまでやってきた。

 夜の学校近くは不気味なほどにしーんとしている。家の近くもここも、静かさは変わらないはずなのに、なぜこんなに不気味に思えるのだろう。不思議だ。


「春香。やっぱり夜の学校付近はとってもいい雰囲気だね」


 少し遅れてやってきた優香はにこやかに、好きな食べ物を前にした小動物のような表情をしていた。


「優香のその感覚はわからないなぁ」


 私がそんな風に少し興奮している優香に呆れていると、目指す池の傍に到着した。と言っても、流石に夜の校舎に侵入はできないので、校舎裏にある、学校と外を分ける金網の外側から池を眺めている。


「そういえば、この池で起こる変な現象ってなんなの?」

「ああ、それはね。昔、この校舎の池に腐ってしまった弁当を捨てる不届き者がいたんだけど、その弁当の呪いかなにかで、池が弁当をよこせって声を発するようになったんだって」

「何それ。眉唾もいいところじゃん」

「ロマンがわかってないなー」


 そう言いながらスマホの録画機能を使って池の方を撮影する優香。その姿は完全に不審者だ。全く。良い年をした女の子の趣味とは思えないなぁ……なんて思う。

 まあ、それに付き合っている私も私だが。

 十分経った。特に何も起こらない。

 二十分経った。ネコが通過した。

 三十分経った。いくら人がいない時間帯だといって、これ以上ここにじっとしているのは怪しいことこの上ないだろう。


「ねえ、優香。そろそろ帰ろう? さすがにこれ以上こうしてるのは怪しすぎるって」

「むー、まあいいや。この映像を調査すれば何かわかるかもしれないし」


 優香も納得してくれたようだし、私たちは校舎裏の池の傍を去ることにした。

 その時だった、何か、嫌な臭いが微かにしたのは。なんだろう。初めて嗅ぐ匂いだ。

 だが、周囲を見回しても特に変わったものは無い。

 変なの。そう思いつつ、優香と別れて家に帰る道を行く。

 その途中の事だ。私の家と学校の間には、けっこう昔に潰れたお弁当屋さんがあるのだが、その前に一人のお爺さんが立っていた。白髪で、紳士服をぴっちりと着こなして、杖を持ってはいるが背は真っ直ぐで必要なさそうだ。

 その人は、もうやってはいないお弁当屋さんを、じっと見ている。


「ふぅむ、この年には潰れてしまっているのか」


 そう呟いたお爺さんは。すっと私の方を見た。

 まずい。こんな夜遅くに出歩いていたなんて学校の人に言われたら面倒だ。

 少し身構えてしまうが、お爺さんは人懐っこい笑顔を浮かべて。


「お嬢さん、この店が潰れた年を知らないかな?」

「え?」


 思わず、間抜けな声が出てしまった。このお店が潰れた年なんて聞いて、何をするのだろうか。


「え、ええと。確か5年くらい前だったかな」

「ああ、5年前か。ここの豚カツ弁当は絶品だったから、また食べたいと思ってたのだが」


 なるほど、このお店のかつてのお客さんだったのだろう。5年以上ぶりに来てみたら店が潰れていた。という事か。お爺さんは、私の横を通りながらお礼を言って去っていく。


「だが5年前ならそう手間はかからないな。ありがとう、お嬢さん」

「どういたしまして……ん?」


 手間はかからない?

 どういう事だろう。そう思い、お爺さんが去っていった方を見るが。そこには、夜の闇が広がるだけだった。

 アレ、お爺さんは?

 見渡すが、居ない。

 何だったのだろうか。なんだか怖くなり、速足で家に帰った。

 そして、家に着けば親への説明もほどほどに、ベッドに横になる。

 ああ、疲れた。優香からRainが来ているが、明日返事しよう。

 ゆっくりと、瞼を閉じた。



 なんだろう、体が重い。

 睡眠中の闇から意識が覚醒し始めたが、まるで鉄でできた布団にくるまってるかと錯覚するような重さ。

 それになんだか背中が痛い。というか、固い物の上で寝ている感じがする。

 ゆっくりと瞼を開ければ、真っ暗な空が見えた。

 え、どういう事?

 驚きで一気に意識が覚醒し、私は慌て飛び起きる。ここはどこ?

 きょろきょろと見渡せば、ここは校舎裏の池の傍のようだ。

 あぁなんだ。優香と一緒に変なことしたから、変な夢を見ているんだな。

 なんて思うと、池の方から何か声が聞こえる。

 何だろう?

 つい、よく聞こうとした。してしまった。


「くれ」

「くれ」

「くれ」


 そんな声が水中から聞こえる。ああ、なんか妙にリアルな夢だなぁ。

 なんだか昔、夏に行った海の磯の香り、それを腐らせたかのような臭いも妙にリアルだ。

 そんな楽観的な考えをしていると、池の中から青白い、妙に長い手が伸びてくる。


「くれ」

「弁当」

「くれ」


 その伸びてくる手が私の足を掴んだ。冷たい。ぞっとする冷たさだ。

 そこで初めて、これは夢にしては妙だと思った。

 夢で、こんなぞっとするような冷たさを感じるだろうか?

 しかもその手に握られる冷たい痛さ。それがリアルに感じられる。

 なんか、変だ。


「くれ」

「くれ」

「くれ」


 鼓膜を、冷たい無機質な声が揺らす。私は慌ててその足を掴む手を振り解いて、池から離れようとする。

 だが、何か透明な壁のようなものに阻まれ、遠くへ行けない。

 手が増えてくる。

 私へと池から手が沢山伸びてくる。


「くれ」

「弁当」

「くれ」


 その青白い手が、私の手を掴む。足を掴む。服を掴む。

 誰か助けて。声を出そうとするが、喉に手が伸びてきて、締め付けられる。

 苦しい。そのまま、池へと私の体は引っ張られていく。

 私は締め付けられる喉から、振り絞って声を出した。


「だず……げで……」


 その時だった。私の後ろで何かが割れる音がしたのは。

 かつん、かつんと杖が地面を鳴らす音がする。その音がするたびに、私の体を拘束していた手が、逃げるように水の中へと戻っていく。

 私は、解放された喉から、空気を一杯吸いこんで、息を吐いた。た、助かった。


「ふむ、危機一髪といったところか」


 後ろを振り向けば、いたのはお弁当屋さんの前にいたお爺さんだった。

 だが、あの時の優しげな表情ではなく、刀のような鋭い眼差しで池を見ている。

 お爺さんは私に近づくと、優しく頭を撫でてきた。


「怖かったろう、もう大丈夫だよ」


 不思議と頭撫でに不快感は無く、ほっとする耳触りの良い声色が心地良い。


「あ、りがとう、ございます」

「何、君の後ろに不穏な影を見たのでな、老婆心ながら見守っていたのだよ」


 そう言いながら、私の傍にいるお爺さん。彼は続ける。


「そして、こうやって君は怪異に狙われた。間に合ってよかったよ」


 池を見るのとは違う、優しい眼差しが私を撫でる。そしてホッとすると同時に疑問が浮かんできた。


「あの、貴方は?」

「私かい? 私は旅人だよ。色んな時代、いろんな場所、いろんな世界に行くただの旅人さ」


 そう言いながら、へたり込んでいた私を抱き抱えて、立たせてくれる。


「ここは君の夢の世界。今、寝ている君の見ている夢さ」

「夢? でも」

「ああ。あのままだったら、君の魂はあの怪異に飲み込まれていただろう」


 旅人というお爺さんはそう言いながら、池と私の間に立つ。

 すると、再び青白い手が、今度はお爺さんへと伸びてきた。


「夢の世界とは、寝ている時に脳が記憶を整理する間、魂が一旦この世とあの世の間の世界に漂うときに出来る、とても不安定な世界なんだ」


 そう言いながら、杖で地面をつくことで鳴る音で、手を追い払っている。


「夢の世界は、怪異にとっては入り込みやすいもの。お嬢さん。君は今日、何か不思議なもの、不思議なことと接する機会があったのでは?」

「不思議なこと……あ」


 あのお弁当を欲しがる池だろうか。それを伝えると、お爺さんは納得したように。


「なるほど。怪異、弁当くれか」

「弁当くれ?」

「ああ。この怪異は、水の神が祭られた池に、腐った弁当を捨てた少年の魂が、怒った水の神によって変化したものだよ」


 なんと。この青白い手は、元は人の魂だったのか。驚いていると、お爺さんは続ける。


「水の神は、農作の神とも関係がある。自分のテリトリーの池を汚された怒りと、お弁当に使われた農作物を腐らせ、捨てたことへの怒りはすさまじいものなのだ」


 なるほど、私も昔、自分の祖父から食べ物を粗末にするなとよく言われていたが、ここまでのことになるとは思わなかった。


「まあ、この怪異への対処法は簡単なのだかな」


 そう言うと、お爺さんは懐から袋を出す。中には豚カツ弁当。

 それを伸びる手に手渡すと、そのお弁当は池の中へと吸い込まれる。そして、ぐちゃぐちゃと咀嚼音が響いた。


「お弁当をあげれば良い。これで君はこの怪異から逃げられる」

「本当に? 良かった」


 ホッとする私の手を、お爺さんは優しく握って。


「さあ、悪い夢の世界からは早く出ようか」

「は、はい。でも」

「大丈夫。一度怪異から逃れられれば、魂に免疫ができて、同じ怪異には襲われないよ」


 そして、私はお爺さんに手をとられ、一緒に夢の世界から出ようとした。

 お爺さんが世界に開けた穴から、世界を出る直前。私は池の方を一度、振り向く。

 すると池の上に一人の少年が立っていて、悲しそうな顔でこちらを見ていた。

 その姿になんとも言えない思いが浮かぶが、私にはどうしようもない。

 ごめんね。そう念じて、瞼を閉じた。


 次の日のことだ。ベッドの上で目を覚ました私はゆっくりと瞼を開けた。さっきのは夢だったのだろうか。

 でも、あの妙な臭い、冷たい手の感触。旅人のお爺さんの優しい温かさ。どれもしっかりと覚えている。そして、あの夢の中で見た、少年の悲しそうな表情も。

 私は襲われた側だ。あの少年に何かする必要は無いかもしれない。でも、何故か、何かが心に引っかかる。

 よし。なら。そう思い立ち、私は学校に行く前に、幼いころに遊んだオモチャのある倉庫へとむかった。

 そして、学校でカメラに怪しいものが何も写っていなかったことを残念がる優香をあしらいつつ、お昼の時間に私は池の傍にいた。

 そこには、水の神様を祭る、小さな祠がたしかにあった。

 その前に、私はゴムでできた、小さなお弁当のおもちゃを供えた。

 なんとなく、あの弁当くれが、可哀想だったから。

 本物のお弁当を供えたら、私も水の神様を怒らせちゃうかもしれないから。おもちゃのお弁当にした。

 そして、池に向かい手を合わせ、去ろうとしたその時。

 水面の奥、うっすらと少年の顔が見えた。その口が、ゆっくりと動く。


『あ り が と う』


 そう言われた気がして、私は首を振る。これは私の自己満足だから。お礼を言うことは無いよと。

 そして、私は池の傍を後にした。

 そういえば、今日お母さんは何のお弁当を作ってくれたのかな。感謝して食べないとな……なんて想いながら。

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