第50話 本編38 驚愕(3), 本編39 鎮静化(1)
雀藤は遠くの富樫と鳩代を交互に見ながら、鳩代の膝をパタパタと何度も叩いて言った。
「だったら、どうしたらいいんですかあ。すぐそこに気の短い凶悪犯がいるんですよ。神経をピリピリさせちゃって」
鳩代は顔を曇らせて膝を押さえながら考えた。
「と、とにかく、時間を稼ごう。俺が奴の気を引いて、この区画内のどこか別の部屋に奴を誘い込む。おまえはその隙に、県警に連絡してこの状況を知らせろ。上手くいけば、穏便に身柄確保となるはずだ」
雀藤はコクコクと頷く。
「ですね。なるべく周囲の人から遠ざけた方がいいですよね。もし、ここの利用者さんや職員さんと何かトラブルにでもなって、山口さん……じゃなくて、富樫がキレたら、何をするか分からな……」
「きさま、どこの
乾いた怒声が響いた。雀藤と鳩代が声の方に顔を向ける。いや、そこまで顔を動かす必要もなかった。二人が視線で追っていた富樫健治は、大きなダンボール箱を重ねて乗せた台車を停止させていた。台車の横のスライドドアが開いている。ドアを手で支えて車椅子を少し前に出しているのは鰐淵である。台車の後ろに立つ富樫は、その鰐淵の方に顔を向けていた。
鰐淵はしゃがれた声で怒鳴った。
「他人にぶつかっておいて、謝りもせんのか!」
今度の富樫は面倒くさそうに応じていた。
「うるせえな。邪魔なんだよ。急に出てくるそっちが悪いんだろうが」
鰐淵は震える人差し指を刺すように富樫に突き向けた。
「貴様あ。先日からの態度といい、もう我慢ならんぞ。おい、この施設は、どうしてこんな汚れ者を雇っているんだ」
「汚れ者だと? こっちは毎日おまえらのクソの掃除でイラついてるんだ。調子に乗っていると、テメエ……」
「山口さん! 鰐淵さんも落ち着いて下さい」
数人の職員たちが富樫と鰐淵の所に駆けつける。
その様子を見ながら、鳩代が呆れ声を漏らした。
「おいおいおい、早速かよ……」
雀藤は、また鳩代の膝をパタパタと叩きながら言う。
「鳩代さん、鳩代さん、ヤバいですって。みんな富樫の周りに集まっちゃってるじゃないですか」
鳩代は顔を曇らせて答えた。
「くっ、だから古傷が……。ああ、最悪の状況だな。ったく、どうすりゃいいんだ……」
彼の視線の先で、鰐淵は怒鳴っている。
「こいつは何処の誰だ。犯罪者のような目をしおって。堅気者とは思えん。だいだい、口のききかたもなっとらんぞ!」
さっきのヘアバンドの職員が鰐淵に言っていた。
「まあまあ、鰐淵さん。そう興奮しないのよ」
その後ろで台車のハンドルを握りながら、富樫が目を向いている。
「この野郎、その減らず口をきけないようにしてやろうか!」
男の職員が割って入った。
「ちょっと、まあ、とにかく落ち着いて……」
火に油を注がれたかのように、鰐淵と富樫はヒートアップしていき、互いに大声で罵声を浴びせ始めた。
その様子を見て、雀藤友紀は眉をハの字にして言う。
「なんだか、すっごく不味くないですか、この状況。絶対にキレますよね。てか、キレてますよね、ほぼ」
鳩代伶は深く溜め息を吐く。
「はあ……。仕方ねえな。一旦、俺が富樫を向こうの備品室に連れていくから、おまえは所長にでも連絡しろ。それから、他のチームもこっちに回してもらうように言え。これはもう、俺たち二人だけじゃ無理だ」
「で、ですね。分かりました。そうします」
雀藤はすぐにスマートフォンの操作を始めた。
鳩代伶はゆっくりと富樫の方に歩いていった。
39 鎮静化
雀藤友紀はピンク色のスマートフォンを耳に当てて呼び出し音を聞きながら、鳩代が進んでいく先の様子を伺っていた。
喧嘩の現場では数人の職員たちが何とかして鰐淵と山口の二人をとりなそうとしている。
辿り着いた鳩代が富樫の肩を掴んで自分の方を向かせた。体格は鳩代の方が大きい。そのせいか、富樫は大人しくしているようだった。暫く何かを話した鳩代は、うまく富樫を宥めたようで、今度は鳩代が台車を押して富樫を向こうに連れていく。鳩代について歩いていく富樫は、途中何度か振り向くと、鬼のような形相で鰐淵の方に突進しようとした。その富樫の袖を鳩代が掴んで引き戻す。富樫はまた仕方なさそうに鳩代についていった。
雀藤友紀は電話に応じる。
「――あ、そうなんですか。わかりました。鳩代さんにも伝えておきます」
その雀藤の横で年配の女性職員たちがヒソヒソと話していた。
「あの人、あの山口さんを上手く宥めたみたいね。さすがよねえ」
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