第7話 5人の責務

「グロムスが、私たちの新天地ではなかった……?」


 掠れ声で問う私を立ち上がらせて、星の瞬きが滲んでいる窓際まで手を引いて連れていく。


「ええ。長年の旅の中継地として私が用意した、ささやかな仮住まい。ここがあなたたちの第二の故郷になることはないわ」


「私たちはどうなるの。未来のあなたは未来のグロムスを観測していた。そこにいる私たちはどうなるの?」


 Oが立っていた場所から外の世界を覗き込む。破壊的な恒星パリダの光幕もアンモニアの嵐も視界を邪魔することなく、ただひたすらに続く銀の帯が世界をふたつに切り分けていた。それすらもOから私へ贈られたプレゼントだったとしたら、どれほどよかっただろう。しかし実際は高位次元に生きるOが自慢げに、低次元の私に息を呑むほどの景色を見せつけてきただけだった。Oが私たちに与えたのは退去期限の決まったボロアパート一部屋。その後私たちがどうなるかは知らないと、Oはそう言い切った。


「あなたたちの未来、それは伝えられない」


「どうして!」


「未来の私がそれを隠しているからよ。グロムスの観測結果は磁気圏解除の意思決定の段階で唐突に途絶えた。その後の惑星地表生命の行方を、私は何一つ知らされていない」


「磁気圏を、どうしたって?」


 私は無様に激昂した。


「これまでの話が全て嘘なら、そうと言って。違うのならそうね、きっと、私たちの存在はあなたにとって虫けら同然で、虫たちの自生が困難になった瞬間に世話が面倒になったのね。そして虫籠に仕掛けられていた死刑装置を起動させたわけ。そんなあなたが私の味方であるはずない」


「いいえ違う。未来の私は、私とは違う私」


「でも今のあなたの延長線だわ。あなたの経験から生み出された無意識の意思が、わたしたちを見捨てた」


  振り返って間合いを詰めた私の頭部に、ゾフィーの柔らかな手のひらが触れる。それは彼女が私を褒めるときの仕草。


「Oと未来時点のO'。私たちは主観的経験に関しては延長線だけれども、同一の精神場を共有しているわけではない。それが最も重要な視点なのよ、ラフカ」


「……だとしても敵は敵だわ」


「いいえ、よく考えて。これはとても理論的な問題よ」


 懐かしいゾフィーの声と、手のひらに食い込んだ自分の爪が産む痛みに、はっと我に帰る。


「知らないことが、最大のセキュリティ」


 先ほどOに連れ込まれた廊下のイメージ。その先の扉が隠しているモノの設計図を、Oはまだ知らないと言った。そしてそれこそが最大のセキュリティだとも。だとしても……


「理論が崩壊している。未来のあなたと、今のあなたは、まるで互いに相手が他者であるように振る舞っているみたい」


「その通り。未来の私は意図的に私に記憶を共有させまいとしている。私を形作る経験とO'を形作る経験はその大部分が共有されている。互いに最適な決断を下すのなら、記憶が創り出す無意識の意思と不意思のせめぎ合いは無限に繰り返される背進的なジレンマの中に閉じ込められてしまう。でも一方が重要な仮定を失ったうえで合理的行為者として振る舞うのなら、ジレンマは解消され、互いの場で発生する意思は異なるものになるわ。未来の私は、今の私を他者として存在させようとしている」


「O、あなたはそれに対抗して……?」


「私は今もこうして、グロムスの磁気圏を維持している」


 窓の外を緑のオーロラが覆い、星々が浮かぶ暗闇が際立つ。無数の恒星が巨大な重力の穴に向かって織りなす絹布は、人類の旅の航跡のようであり、実際には自らの文明には及ばぬ果てしないフロンティアである。その未開拓地の先住民が、矮小な人類に情けをかけている。そしてその情けは、ある時点で消えてしまうのだ。


「私は、人類の味方よ」


「それは、いつまで?」


 目の前でゾフィーの愛情を纏っているこの温厚な幽霊が、私の存在への関心を失い、冷ややかな手つきで振り払うとしたら。私の主観が違和感を唱え続ける、うら若きゾフィーのシルエットが一瞬想像通りの動きをした気がした。しかし極海の色をした瞳が私の畏怖の念を貫き、それ以上の拒絶を許さなかった。


「少なくとも、グロムスの観測データを今の私に転送し始めるその時まで。その頃の私にもきっと、あなたたちを救うという目的を無くしていないはずよ」


「私たちを、救う……」


 等身大に投影されたOの影は、なおその偉大な本性を隠しきれてはいなかった。私には理解できないことだらけだ。


「動機が聞きたいわ。私たちはペットか従僕か、あるいはあなたと対等な存在なの?」


「そうね、そこから順に説明しましょうか。随分と遠回りをしたし、時間が迫っている」



 

 Oが語り始めたのは、私たちが認識しているそれとは大きく離れたもう一つの歴史物語だった。遡る先は生存圏が飽和し始めていた太陽系連邦の時代。セレストが建造され、エウリュデイケ内部の陽電子回廊建設に人類が取り掛かった遥か昔の出来事。

 

「記憶を保管していた特異点の崩壊が私にとっての全ての始まり。私が構築したワームホールから突如姿を見せた知的生命体。それが私とあなたたちの邂逅」


 窓の外に、巨大な円筒が現れる。初めはゼロで、消滅時点から時間を遡るように次第に空間を支配し始める。そして気づけば私は、巨大移住船時代のセレストの展望デッキにゾフィーと2人で立っていた。実物大に再現されたコクピット映像には、直掩展開された宇宙港級探査船が陣形を組んでいる。その中に、エウロパやレーダーといったパリダ系外探査計画の主要機の所属隊をみつけた。新宇宙に到達した唯一の世代移住船、セレストが、補給のためにパリダ系へと針路をとる。


「彼らは高度な知識体系を築き、しかし放り出されたそこが死にゆく宇宙の大海原とは知らずに新天地を探し求めていた。幸い、その生命体は汎用的な言語システムと社会性を有していた。未知の法則を解析する能力に優れ、そして重要なことに、私のコンタクトに応答可能な手段を有していた」


 Oがグロムスの影を指差す。


「動機は他者による自己の認識と、生物的多様性への欲求」


「それだけ?」

 

「ええ。だから、あなたたちを救うという決断に複雑な演算は要しなかった」


「……」


「でも問題は、あなたたちを救うということの定義にあった。単一意識しか持たない私は、負のポテンシャルがまったく等しい2つのシミュレーション結果に挟まれて身動きが取れなくなった。あなたたちから個としての存在、そして不可侵の領域たる精神場、それらを奪う代わりに種としての生存を保証すべきか否か。そこで、あなたたちに意思決定を委ねることにしたの」


「委ねる?」

 

「あなたたちが完成させていない理論の解を受け取り、そしてその使い道を定める役を果たさなければならない、5人の人間。5人はそれぞれ分割された不完全の情報を手に、来たる裁定の日に一堂に会する。その5人はもはや揃うことが無いわけだけれども」

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