第二部 騒乱と彼らの目的
第1章 死者の影
第0話 その幽霊はルールを知らずに
--文化地区通信管理局より、ドローン管理センター内の通信遮断--
「通信遮断了解。計測開始。先鋒隊、複合機を起動して待機」
--待機完了。本部と通信テストを行う--
--続けて地上警備部隊、デモ隊の退避完了--
「退避完了。各隊突入用意」
「特殊消防7班」、存在しない部署名を点滅させる技能総局所属の防災車輌が3台、文化地区ドローン基地各フロアの壁面に張り付いている。そこに搭乗しているのは、防火服に身を包み、放水銃にカムフラージュされた実銃を装備する情報総局本省の調査員たち。そのうち私と同じ車輌に登場する人員は誰1人として、人口子宮器時代から一度たりとも、FWチップの適合化を行ったことがない、らしい。
部隊を設立した当の本人は一年以上前に息を引き取ってしまったものだから、その真偽は遺書を通じることでしか知ることはできなかった。そもそもそれ以上を知りたいと思える事案ではないものだから、昨日から頭の中を駆け巡っている凡ゆる疑問は、脳の奥に重しをつけて隠している。
指揮車輌のモニター越しにデモ隊が撤退した輸送環状線の様子を見守っていると、私の隣に前触れなくファビアンが現れた。いや、正確には、ついさき程まで無口な事務官が腰掛けていた椅子の上を乗っ取るようにして、彼は久しぶりに姿を見せた。
「ジュラ・ホーン、悪い知らせがある」
「なんだ?」
突入指示を出そうとしていた通信員が、私の声に驚いて待ったをかけた。緊張が走る。
「いつでも突入できるようにしておけ」
「了解です。突入待て」
「突入待て」
私は立体通信用バイザーをヘルムの上からスライドさせ、本省と通信をしているふりをしながらファビアンに続きを促す。
「今奴はここには居ない」
その報告を聞いて、私は連絡部が突き止めた例のドローン輸送トラックの所在地をもう一度確認した。移動するアジト。AO5が被疑者の行動歴を分析して何も突き止められなかった理由。ストレンジの潜入部隊がかつて利用した車輌。エドメ警備隊のドローン中継車。その現在の座標に問題はない。登録番号RSQ-1968、民間警備会社所有の、例の車輌で間違いない。
「だが君の言う例の輸送車はここにいる。まさか、エドメとストレンジの共通通過点に見落としが?」
「いや、そいつが警備隊員に対するFW干渉に使われた空間であることはまず間違いない。問題は、ストレンジの記憶装置に映り込んでいた例のガスマスク野郎、今はあいつがセットじゃないということだ」
「待て、奴が今どこにいるのか知っているのか?」
「ああ」
「何処にいる?」
「彼女のところだ」
「彼女?」
しばらく意味を考えて、最悪の解に辿り着く。
「なんだと。ピカは何をしている?」
立ち上がってヘルムを機器にぶつけた私に向かって、ファビアンは冷静に言葉を続ける。
「下手に君の部隊が動けば一方的に奴に気付かれて終わりだ。3課のウバラが既に向かっている。今は彼に任せろ」
一体何事かと私の方を振り向いた通信員達に待機状態を解かないよう手で合図しながら、私はバイザーの角度を整えて狭い座席の中姿勢を直す。
「絶対に信用できる男か。護衛部門の能力で拘束に成功すると思うか?」
「ウバラは煽動犯のシルエットを見ていない。状況によっては取り逃すだろう」
「......博士の無事だけを祈るか」
「それでいい。君の為すべきことは輸送車を確保することだけだ。分かるな?」
私が頷く前にファビアンが立ち上がると、同時に補助席のクッションが跳ね上がる。私が乗っている車輌でも、行動員達の突入体勢が整ったようだ。会話の打ち切りを予感する。だが必要な助言は受け取った筈だ。別れを告げようと口を開いたとき、彼の冷え切った瞳が、堂々と私の心を覗くのを感じる。
「緊張しているか?」
「訊く必要ないだろ。それに奴が痕跡を残した時点で、既に勝敗は決まっている。躊躇う暇もない」
「油断して敵に流されるなよ」
私は返事代わりにバイザーを格納し、通信員の肩を叩く。ドローン基地から飛び出したモノレールの分岐器に防災車輌のラダーがぶつかり、作戦開始の鐘の音を鳴らした。それから数十秒、音が静まるのを待つ。すぐに潜入班からゴーサインが届いて、人1人歩ける程度しかない金属軌道の上を、外面だけ対炎加工を施したヘルム頭の部下達が慎重に渡っていく。私は高鳴る鼓動を抑えながら、姿を消した彼に向かって静かに口を動かした。
「ファビアン。もしまだ聴こえていたら、君の探査部隊をこのような事に使うことを謝らせてくれ。たとえ君が望んでいたとしても」
リールに巻き取った通信ケーブルを腰に括りつけて、先鋒部隊が基地の入り組んだ足場を走り抜けていく。フロア毎に分裂した各班は確実にクリアリングを行い、班長の視覚と共に再現された立体地図が指揮車のモニターに共有される。防火剤が撒かれた配線だらけの通路は妖しく鈍光を反射して、彼らの行く先を惑わせているようだ。
避難経路のため開け放たれた二重隔壁の中をライトで照らすと、隊員達のブーツに染み込みそうなほど泡まみれの水が溜まっている。バッテリー発火の警報から数分が経ち、職員や警備員はいない。システム通りに作動した防火ドアは危険物保管所に繋がる通路を内からも外からも完全に封鎖している。縄に繋がれ逃げ遅れた救援ドローンが、整備を待っている警備ドローンの整列を目の前にして力尽きている。しかし映像が捉える雑多な光景に反して、先鋒部隊はそれほど時間をかけることなく車輌基地に辿り着いた。
「整備場の映像です」
巨大なキューブの軸を貫くモノレールの束と、各階層に格納された整備車両。それを見下ろす吹き抜けの空間は停電した今も僅かな外部光を採り込んでいる。
「各班長、聞こえるか」
--通信正常--
「第3班以外は各フロアで警戒。3班、当該輸送トラックは技能総局基盤と復興博物館に連絡するレール上に配置されている。見つけ次第照合し、周辺状況を報告しろ」
--了解--
5つのモニターの映像が静止する。嫌な緊張が数分流れて、3班の音声通信がオンになる。
--発見、番号RSQ-1968。FWシステム搭載--
「番犬はいないか?」
--......クリア--
「了解。包囲して待機。決してタラップに爪先をのせるな」
--委員、奴の姿が見えません。周囲を捜索しますか--
「奴はいない。だが警戒は緩めるな」
同時に、私の乗っている指揮車のドアがスライドする。渡された技能総局技監の制服に袖を通し、透明な盾を携えた部下達を引き連れて滑りやすい非常階段を登る。整備場に到着すると、既に対象のトラックには牽引モジュールが取り付けられていた。
「委員、こちらです」
「こいつか。見た感じ何の変哲もない輸送トラックだが」
一周回り、やはり異変は何も見つからない。
「調査しますか」
「残り時間は?」
「10分です」
「私と、そこの2人。乗り込むぞ。他は放火の準備をはじめてくれ」
巨大な吸盤装置を使ってドアを開ける。私は慎重にそのタラップに足をかけた。そのとき、怒号が響いた。
「止めろ、逃げるぞ」
「止められない」
「運転手だ!」
3台挟んだドックに配置されていた積み下ろし台が薙ぎ倒される。手動運転で駆動する不明のトラックが、私の乗りかけている輸送車に向かって直線的に突っ込んできた。衝撃と共に、体が遠くに投げ出される。記憶装置が金切り音を立てて、しばらく視界が灰色に染まる。誰かが私の腕を掴み、敵から距離の離れたどこかに引きずっていく。
「降ろせ」
「なんだよ!」
「降ろせ、男だ!」
「なんだよ、お前ら!」
視界がやっと元に戻ると、甲殻類のような気色悪い外部骨格に身を包んだ男が破れた窓から引き摺り下ろされていた。私を庇うようにして包囲陣が敷かれる。
「聞いてねえ」
暴れる男に向かって、数発の銃声が響く。しかしその対義体拘束弾は明らかに火花となって防火マットの上を転がっていた。隊員がたじろいだ瞬間、男の腕の一部が激しく弾け飛び、そばにいたヘルム頭達の脚を捻じ曲げる。
「対人モジュールだ」
「違う、違う俺じゃない!」
「距離を取れ。上階の連中は何をしてる?」
「俺じゃねえって!」
味方が距離を取った瞬間、激しい放電音が響きシャコ男の身体から閃光が放たれた。物理的な抵抗は呆気なく終わることになった。私は彼に少しの興味が生じ、止める部下の手を抑えて一歩前に出る。何か知っているかもしれない。
「なんだよ」
「君は?」
「誰か来るなんて聞いてねえよ」
「名乗れないのか?」
「あんたらこそ誰だ?」
「質問は私が......」
「ああ、あれか。まじか、俺の前に?」
時間が無い、と隣で耳打ちをされ、私は上階の狙撃手に警告弾を撃つように要請した。
「あれか、予測不能の来訪者。つまりあんたが」
この哀れな無名の人物が、黒幕たる煽動犯から何を知らされ、どのような言伝を頼まれていたのか。それが明らかになることはない。手持ちの情報に何の価値もない事を不幸にも知らされておらず、ただひたすら交渉の機会があることを信じて、私の背後から彼の腕に照準を定める電磁砲に対して怯える仕草すらもみせない。もっとも、光沢のある金属骨格で覆われた海岸生物を想起させる顔からは凡そ感情と呼べるものを読み取ることはできなかったが。
私は自分の思考が緩やかに停止し、目の前の人物への関心がゼロに収束した瞬間を感じた。
「なんだよ」
くぐもった声がやや嬉しそうに言う。
「もし何か語るつもりがあるのなら、君の雇い主の名を言いなさい」
「知らないな。俺はただの整備士だ。勝手に襲ってきておいて......っ!」
対義体弾の柔らかな弾頭では貫けなかったシャコの甲殻に、小さな穴が開いた。派手な壊れ方はしていない。半人の彼には痛みも大したことないだろう。しかしこれまでとは違って確実に、肩関節の付け根から潤滑油の黒い液体が染み出して垂れている。
「待て、まて。わかった」
シャコ男が無駄口を叩いている間にも、銃身はゆっくりと狙いを変えていく。
「名は知らん。だがあいつが言っていたのは、そうだ......」
まだ、彼は助かると思っている。緩慢な動きがそれを表している。信頼する誰かから台本を告げられたのだろう。或いは、都合のいい正義に溺れて、無意識のうちに力を持つ者としての意識が醸成された可哀想な若者か。
「そうだ。独り言が多く、一見不可解だが合理的な行動をとるような人間。そいつを探せと言われたんだ」
「何だそれは」
「そう言われたんだ。そいつがFWの真の用途を知っていると」
私は合図をして、半壊した輸送トラックの方に向き直った。聞くに値しない。無意識がそう告げる。
「ああ、待て。分かった。言うよ」
男は初めて自分を庇うように手を前に差し出して後退りする。発砲音がする。肌色をした金属製の目蓋の上に、鉛筆を突き刺したかのような小さな穴が開いた。男は目が見えなくなったようによろめきながら、片手の指をもう一方の肘に捩じ込んで、内骨格が剥き出しになった自衛モジュールを床に落とした。
「分かった......」
身軽になった彼は体勢を崩す。床に転がる手のひらに、赤いシミがひとつふたつと増えていく。
--通信再開まで5分--
男は自分に銃口を向ける1人の行動員の側までゆっくりと足を進めると、スパイクの飛び出した手で縋り付くように凭れかかる。そして私の視界の隅で、彼は完全に動きを止める。もうじき本物の消防隊が到着する。嘘の警報を現実にする作業が残っている。その前に、私自身を囮にしたトラックの見分調査を終わらせなければならない。
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