第3話 2人きり

「邪魔だ。周りの目が気にならないのか?」


 保安局本部が入るガラス張りの巨大なビルを前に立ち尽くしていると、すぐ背後からイラついた声が聞こえた。振り向かずとも声の正体が誰であるかはすぐに分かった。


「怖気付いたか?」


「あら、私が課長ってこともう忘れたの?」


 ロビンは続きの言葉を飲み込むと、大きく息を吸って官庁街の摩天楼を仰いだ。


「前任者としてひとつアドバイスしてやろう、今の博士の肩書だと、このビルであんまり肩で風切って歩くと恥をかくぞ」


 彼は硬い表情のまま嫌味を言い放つと、そのままいかついコートを風に靡かせて大階段に片足をかけた。その先を見上げると、巨大な時計塔と白い太陽のモニュメントが反射光で大理石風の床を輝かせている。保安局本部、アダマス・スクエアだ。


「ついてこい。案内を頼まれてる」

 

 私だけ異様に長かったエントランスでの保安検査を終えると、明るい吹き抜けの広間が現れた。私たちが入ってきたのは巨大構造物の中階層で、てっきり首都環状トラベラータが通っているものだと思っていたグランドフロアより下層の部分にもかなりの事務所が設置されているようだった。正方形の四隅を満員の透明なエレベータが忙しなく昇り降りし、無数の警備ドローンや書類束を抱えた人々が速足で廊下を通り過ぎていく。


 視野に青い矢印が現れてオフィスまでのルートや乗るエレベーターを示してくれてはいるものの、少し迷って立ち止まると誰かの肩に跳ね返されて結局望む方向に進めない。ロビンが呆れた顔をしているのが分かる。少し乱暴に腕を引かれて、仕方なく2人で通路脇にあるベンチの裏に回り込んだ。


「情報総局と違って無駄に騒々しいわね」


「いつもはこんなんじゃないんだが」


 ロビンは目の前をコーヒーマグ片手にゆっくりと歩いていた1人の男に声を掛けた。


「おい、今日はやけに人が多いな」


「まさに。見てくれ、昨日から昼ご飯抜きだ」


「何かあったのか?」


「光子数識別器のリコールがあって暫く本部外での通信を控えろと言われたんだよ。まったく技能総局は何をしているんだか」


「成程、厄介だな、それは」


「ははは、何言ってんだ、0.5課には関係ないだろ?」


 そこで男は私に気づいた。乾いたカエルのように目を細めて私を観察すると、鼻につく声で続けた。


「新人か、今度は何日もつかな」


 その癖毛の男はお洒落なジョークを決めたとでも思っているのか、私たちの目の前で一口コーヒーを啜ると爽やかな笑顔を振り撒き、腰を揺らしながら歩き去っていった。


「くたばれこの・・・・・・」


 ロビンは何か言いたげだったが、そもそも自分から声を掛けに行ったことを思い出したらしく、頬だけモゴモゴとさせてため息をついた。


「あいつは教育財務部門の勘違い野郎だ。基本関わりはないが、監察官を寄越してこられると色々めんどくさい事になる。頼むからあんまりやる気なさそうな恰好はするな」


 そう言い終わる前に急に距離を縮めると、ポケットに朝詰め込んできた制服のネクタイを雑に引っ張り出した。そのまま首元に腕を回して着けてきそうな勢いだったため咄嗟にパッと手で払った。ロビンは特に痛がったり悪びれたりする様子もなく、ただ無言で着けろと指示してきた。


「ねえ、0.5課って?」


「まあそれはすぐわかる」


 今のやりとりを見て彼の性格に感じていた違和感の正体を理解した。彼は単に敬意という言葉の意味を知らない男というわけではなく、相手の価値を行動から読み取れる傾向で判断している。それ故に人付き合いの上で求められる作法の理解が常人とはかけ離れているようだ。引いた顔をしているのがバレない様に俯いてネクタイを直した。私に対する見下した様な態度について、いちいち気にしないことにした。


 アンチ-オカルト部門の事務所は護衛部門と同じ6階にあった。エレベーターを降りると、先ほどまでとは打って変わった落ち着いた光景が広がっていた。半透明な壁越しに、グレーや黒色の制服に身を包んだ捜査員たちが小さなデスクに座って暇そうに黙々とサンドイッチを頬張っていた。部屋の天井には、セレストとその周辺基地の地図が投影されたパネル4枚がぶら下がり、そこに流れる無数の文字列が幾何学的な文様を作っている。


「ここにはセレスト中の要人の移動計画と、各地の犯罪傾向、FWシステムの通報が集約されている。ここにない機密情報は、5課の連絡部に聞けば大抵の場合なんとかなる。それから俺たち5課は、決してここに表示されることはない」


 回転ドアの前に立っていた机のようなドローンに網膜スキャンを要求された。それを済ませると当日分の護衛部門の班分けとスケジュールが目の前に表示される。そこに私やロビンの名前はなかった。


「このオフィスビルでの俺たちは、新世代ハッキング犯罪に特化した、保安局護衛部門の予備部隊だ」


 くつろいでいる様子の人々を気にもとめずに、狭い通路にはみ出した椅子を押しのけながらずんずんと部屋の奥まで進んで行く。


「博士は情報担当委員直属の行動部捜査員となる。管轄権で他部門と揉めることがあれば上に直接連絡を入れることだ」


 3課の事務室を通り抜けると、一気に空気が冷え込み光子ファイバーや金属壁剥き出しの細い廊下が現れた。薄緑色を帯びたそこは人気が無い。その左側には、まるで旧時代の船室のような狭く奥に長い小部屋がずらりと並んでいる。蝶番に赤錆のついたドアは取っ手がついていて、半開きの入り口からはみだしたタイル風の敷物が端から朽ちかけていた。小さなビニールがはためいている通気口の下の小さな看板に、古いフォントで単語が書いてあった。


 第三医務室、第六サーバー室、量子コンピュータ、補助武器庫、そして突き当りの1つだけ明らかにスリムな字体で書かれた「AO5」。その扉の前でロビンは立ち止まった。廊下の壁にもたれかかって私に一歩前に進むよう促す。扉の正面に立つと目線の先に青い文字列が浮かんで、それと同時にドアの頭上の方からかすれ気味の渋い声が聞こえた。


--オカルト部門、ロビン捜査官、管理権限を確認しました--


 外付けの鍵が開く音が聞こえてドアノブをひねった。自動で橙色の照明が灯る。3課の見通しの良いオフィスと違って奥と縦に細長かった。円形劇場のような構造をしているが観客は10人も入らないだろう。一番奥には電源の入っていないモニターがあり、側面の壁を殆ど何も入っていない樹脂製の本棚が占領している。天井には、裸の照明器具と独立した映像記録用のセルが血走った二つ目のように薄暗く見下ろしていた。


「ここがアンチオカルト部門の仮事務室だ。0.5課の意味が分かったか?」


「素敵な部屋じゃない。学生時代を思い出すわ」


「売れ残りの旧棟だ。古いが開拓時代ならではの頑丈なつくりだぞ」


 二人で同時に鼻で笑った。


「はっきり言って基本的にここを使うことはまず無いな。だがここらには3課と共用で使用する装備やシミュレーション機器が集まっている。戻ってこい、おんぼろに見えるが技能総局が選別した一級品ばかりだ。ちなみにエンジニアも共用だが、これについては個人で契約した方がいい」


 廊下に再び戻ると、ロビンは既に隣の補助武器庫に入っていた。慌てて追いかけるが、入ってすぐ足がすくんだ。金網の地面が一歩進むたびに不安をあおる音を立てる。円柱状の格子が上下3階吹きぬけの部屋の中心で大量の銃をぶら下げている。手すりに掴まって歩く私を見てロビンが嘲笑う様に言った。


「高所恐怖症か?」


「治療済みよ」


「その腕でよくドクタールナが怒らなかったもんだな」


「ええそうね。そういえば彼女は?」


「ダンのやつが首都警察の病院にポストを用意した。博士と違って大出世だな」


 ロビンが触れたパネルがかすかに緑に発光し、舞い上がる多少の埃と共に円柱が回転しながら登って来た。脚を伝って鈍い振動が頭を揺らす。


「補佐AIのPEG2nlに博士の脳をリンクさせる。こいつの母体は情報総局管轄の施設と局員の所有する装備のシステムを管理している。ペグ、俺の拘束銃と、それから連絡部からの贈り物は届いているか?」


--ジュラホーン委員から「新課長の左腕」を預かっています--


「私の左腕?」


 心もとないアームに運ばれて、2丁の拳銃と、そして布に包まれた明らかに「腕」の形をしたものが私たちの目の前に吊るされた。私が恐る恐るチャックを下ろすと、今装着しているものよりはるかに本物そっくりの偽肌に覆われた肩から先の義手が現れた。医療作業をするにはすこし不向きな太めの指に、肘関節から先にはモジュール接続用の溝が蛇の鱗のように入り組んでいる。袋を振り落とし両腕で抱えるとそれだけで長身のライフルに匹敵する重みがあった。ガラスカバーで覆われた関節部に政府の認証マークがついている以外は、ひどく見覚えがあった。


「義手かよ、ビビらせやがって」


「確かに私の左腕だわ、懐かしい。でもこんなもの私に返して本当にいいの?」


--プレゼントですから。違法端子を取り除き、長管骨型の自衛モジュールと、バスキュラー社の汎用コネクタを新たに取り付けています。それから--


 私の昔の二の腕に施された改造を一目確認しようと肘の裏にある突起に爪を立てて苦心していると、身体に装着していないにも関わらず補助電源が勝手に起き上がった。


--「もし次本部の資料室を利用するときは、博士の名義で正式に許可を取る様に。さもなくばPEG2の判断で自爆装置が起動するだろう」と伝言を預かっています--


「は?」


「そいつの言うことは4割嘘で、5割がジョークだ。いちいち気にするな」


 ロビンは隣で不器用に新品のマガジンを確認していた。トリガー部分に触れるとグリップが光り認証システムが起動する。小さく満足げに頷き、銃身部分を握って差し出そうとする。しかし次の瞬間私に渡そうとしていた手がぴたりと動きを止めた。私の指が宙を掻く。


「ひとつ確認しておきたくなった。やはり、まだゾフィーの幽霊に取り憑かれているのか?」


「それってどう言う意味?」


「捜査官として、人民の運命に責任を持つ覚悟はできたかと聞いているんだ」


「その質問に意味はあるのかしら。なぜ私が選ばれたと思っているの?」


 彼はまるで返事が聞こえていないかのようにじっと動かなかった。初めて会った時と同じ、相手を疑い見定める様な冷たい目をしていた。


「やっぱり本庁の連中は気に食わん。俺はどうでも良いが、あまり銃を向ける相手を見誤るなよ」


 そう言って深く暗い瞳で私の目をじっと見つめてきた。再び拳銃が差し出される。私はしっかりとそれを握った。


「当然よ」

 

--保安システムに同期しました。ようこそ、情報総局諜報部へ--


「私からもひとつ聞いても?」

「なんだ」


「私まだ組織のデータを貰っていないのだけれど、他のメンバーは?」


「俺も行動部以外の面子は会ったことがない。18人が連絡部で、そいつらの拠点は情報省諜報部にある。6人が市民の協力者、4人が保安局各部で情報収集を行っている」


「ねえ、ダンってもしかして」


「生活課の監察官というのは表向きの肩書きだな。あいつは根っからの諜報員だ。最後、博士と俺が、実際に捜査活動を行う行動部だ。先月まではあと3人居たんだが」


 そう言いながら制服の胸ポケットに着けられた識別子を指で叩いた。薄々分かってはいたが、一気にこの先上手くやっていく自信が無くなった。


「本当、最悪」


「お互い様だな。まずは辞めない部下を掻き集めるところから始めようか」

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